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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

三 諸産業の概要

 豊富な農作物

 近世における諸産業の構成を直接に示す資料は得られないので、当時の主要な産物の種類を列挙することによって、産業構造の一面なりとうかがっておこう。
 中世末期の三間郷一帯における農業の実態を伝えた『清良記』三〇巻中の第七巻親民鑑月集によれば、南予地方では、すでに豊富な種類の農作物が栽培されていた。これらを分類整理したものを引用して示すと次掲の通りである(表産1―3)。中世末期から近世前期にかけては、農作物の種類にそれほどの変化はなく、また、この期には東・中・南予の農作物に地域的相違はほとんどなかったと思われる。したがって、表に示された作物の種類は、近世前期の全県にほぼ共通する作目であったといえよう。作物の中心は稲であり、数十品種の粳稲・糯稲が栽培され水田夏作物の大半を占めていた。畑には米に次ぐ主要作物である麦(裸麦・大麦・小麦など)が冬作物として、また夏作物として大豆・小豆・大角豆などの豆類のほかに粟・稗などの雑穀類が栽培されていた。雑穀類も重要な主食作物であった。野菜や果樹類は種類は多いが生産量は少なく自給を満たす程度であった。
 近世の中期、享保年間(一七一六~一七三五)のころから、主要作物の米・麦・雑穀類はもとより、野菜類とくに主要野菜である大根・茄子・かぶ・牛蒡などや特用作物(棉・藍・麻)でも、栽培技術の開発が進み、開畑や水田の造成と併せて農業生産は増大した。このころには、本県に伝植された新作物、あるいは在来の特有作物が各藩の特産物として保護育成されるようになった。櫨・楮・茶・馬鈴薯・甘蔗・甘藷・煙草・薬用人参・生姜などであった。なかでも楮は各藩とも栽植を奨励し、藩政末期ごろには今治藩を除いて深く干渉し、藩外販売を統制したり役所を設けるなどしている。櫨は宇和島・大洲・松山の各藩が積極的に奨励し、「櫨樹ヲ栽培スル甚夕広く櫨実の産額年々二百万貫ノ上二出ツ盛ナリト云ウヘキ」(明治二四年『愛媛県農事概要』)重要産物であった。茶や甘蔗の栽培が盛んとなり地方の特産物となるのは、近世末期から明治初期にかけてである。新作物の代表は甘藷である。享保一七年(一七三二)の大飢饉以降、雑穀に代わる主食作物として県内各地に普及し、「雑穀・麦」という輪作体系をも変えることとなった。これら新作物や特用作物の由来沿革は各藩により異なるが、近世末期に主要な輸出物産として、それぞれ盛況を呈し、これらが農作物に占める比重はしだいに高まった。

 エ産その他産業

 藩政期における農業以外の産業としては、上記の特用作物を原料とする製紙・製蝋・綿織などが早くから農閑余業として行われていた。これら工産物は、藩政後期に入って貨幣経済が浸透し、各藩の財政が窮乏するにつれて、しだいに藩の保護統制をうけるようになり、厳しい専売制のもとで発達した。これらについては、第二編「工業」において詳述されているので、ここでは主要産品を列挙するにとどめる。
 製紙では、宇和島藩の仙(泉)貨紙、大洲藩の半紙、西条藩の奉書紙が名声を博し中央市場で多くの需要を得ていた。製蝋は、大洲・内子・宇和島地方で盛んであり、ことに宝暦年間(一七五一~一七六三)に白蝋の製法を発見して以来急速に発展した。綿織物は、松山地方の伊予縞(あるいは伊予結城・道後縞)とよばれる縞木綿と今治の白木綿、八幡浜・北宇和地方の宇和織物に代表される。窯業では、菊間瓦と砥部焼がそれぞれ松山藩と大洲藩の保護奨励を受けて特産品として発展した。
 伊予古来の産業で欠くことができないのは鉱業である。藩政初期より、幕府の金・銀・銅の生産奨励に応じて、立川鉱山今市ノ川アンチモン鉱山(現西条市)の開発が積極的に進められた。その後も今出鉱山(西宇和郡)、千原鉱山(現丹原町)など各地に大小の鉱山が開発され稼行されていた。日本有数の大銅脈を有する別子銅山は、元禄四年(一六九一)大坂の泉屋(住友家)が稼業請負(のも永代請負)の形で経営を始めた。産出量は当初より順調に伸びて、元禄一二年には二五三万斤(約一、五〇〇㌧)に達した。これを頂点に産銅量は明治中斯まで漸減していったが、従業者二、〇〇〇人から五、〇〇〇人を傭する愛媛の一大産業であった。その他、鉱産では明浜(東宇和郡)の石灰岩採石業の発展がみられた。
 さて、表産1―4に示しだのは伊予各藩より幕府への献上品目である。献上品の多くは領内の特産品であった。そうめんや蜜柑など興味ある産物がみられるものの、農産物ないし農産加工品は概して少なく、主として海産物である。各藩内において漁業が盛んであったことが知ら
れる。愛媛における漁業は古来より盛んであり、近世に入って網漁業が発達するとともに飛躍的に発展した。たい縛網漁業は瀬戸内海地域に発達し、いわし網漁業は宇和海に発達した。瀬戸内海側では鯛・鰆・鰕・鰮を産し、宇和海では鰮・鰹・烏賊を産した。海産物は領内の自給ぽかりでなく移出され、ことに宇和島藩では重要な財源であった。



表産1-3 伊予国中世末・近世初期の農作物

表産1-3 伊予国中世末・近世初期の農作物


表産1-4 伊予八藩献上品目(時献上)

表産1-4 伊予八藩献上品目(時献上)