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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

二 農作物構成

普通作物

 米の産出高は約三五万石、二三〇万円で、総生産価額の三二%、農産物価額の五三%を占める(表産2―3)。米は愛媛県においても最も重要な産物であったことはいうまでもないが、米の総生産価額に占める比率及び農産物価額に占める比率ともに、全国平均よりも幾分低いことが注目される。このように当時の主産物である米の比重が相対的に低いことが、逆にその他商品作物の比重を高め、また工産物比率を押し上げる要因となっていると見ることもできる。
 米に次ぐ重要農産物は麦である。麦の産出高は約二二万石、七一万円で、総生産価額の一〇%、農産物価額の一六%を占める。全国平均よりも
麦の重要度は高く、米の産額の低さをほぼ補う形となっている。麦の生産高は全国第一三位と高く、相当量が商品化されていたものと思われる。
 全国の産額でみると、麦に次ぐ重要農産物は大豆であり、全国各地で生産されている。主産地は関東地方及び新潟県であり、愛媛の大豆生産高は一万八、〇〇〇石、八万円と少ない。豆腐・黄粉・醤油・味噌の原料として不足分は移入によっていたのであろう。その他の雑穀類は、小豆・粟などかなり産出されており自家消費を満たしていたようである(表産2―4)。稗と蕎麦の産高が少ないのに対し、蜀黍の産出の多さが目立っている。蜀黍は全国の生産額の一九%を占め、岩手県に次いで全国第二位の生産高をあげている。以上の米・麦・雑穀類を合わせると総生産価額の約四六%、農産物価額の七六%を占める。
 その他に自家用及び販売用作物として各種の芋類及び蔬菜類が栽培されていた(表産2―5)。芋類では、当時、甘藷が西南日本を中心に生産されており、愛媛県は約一一二万貫、一六万円と全国第四位の生産高をあげている。米及び大豆の生産高が低く、他方それと表裏の関係にある麦及び甘藷生産高が高いことは、愛媛の地理的条件から生じた主食作物体系の大きな特徴である。芋類ではその他に、里芋の生産高が全国の中でも比較的高く、甘藷生産価額の半分ほどである。蔬菜類では、大根(蘿蔔)の産額がとくに多く、他に茄子も相当量が商品として出回っていたようである。
 果実類も、すでに近世以来各種のものが栽培されていたが、明治に至っても自家用あるいは商品作物としての栽培は、ごく限られていたのか、いずれの種類も産額は微々たるものである。果実の中では柿が最も多く、蜜柑の生産高は二〇万貫、一、九〇○円にすぎない。芋類及び蔬菜類と果実類を合わせて総生産価額の六%、農産物価額の一〇%となる。普通作物における穀類とその他作目との比重はその後も急激に変わることはない。

 特殊農産物

 実綿・菜種・繭などの特殊農産物、すなわち加工原料作物として商品化の程度が高い工芸作物の内訳は表産2―6のようである。何を特殊農産物とするか問題であるが、ここでは綿類・菜種・繭・藍(藍玉含む)・煙草・麻類・櫨実を特殊作物とした。全国的にみると、綿類・菜種が江戸時代に引き続き重要な特殊作物として特に産額が多く、これに繭・藍・煙草・麻類が続いている。これら六つの作物で農産物価額の一一・五%を占める。これに対し、愛媛ではこれら特殊作物が農産物価額に占める割合は四・二%と低い。愛媛では櫨実の産額が飛び抜けて大きく、綿類・菜種をも凌いでいる。逆に繭の産額が極端に小さいことも特徴的である。安政の開港による生糸への生産促進的な影響は未だ愛媛に及んでいない。その他の特殊農産物は一万円余の産額にとどまり、産地を形成し主製造地帯へ原料移出するほどでもない。これら産物のほとんどは、農家で原料作物の栽培とともに自家加工が農閑余業として行われており、煙草などでようやく葉煙草生産と刻煙草生産が分離しはじめた段階である。このような全国に比べやや特異な生産構成は、愛媛の自然条件や藩政期の殖産政策の影響もさることながら、幕末の商品経済の発達が著しかった畿内や開港地との地理的隔たりも作用していたと考えられる。

 畜産物

 「物産表」に記載された牛馬などの数字はその年の産出高ではなく現在高である。狩猟の獲物も畜産物に含んでいる。牛類の頭数は二万〇、六〇七頭で、全国の四・八%を占め第一一位にある。馬類は、一万七、三八一頭、全国の三・三%で第六位となっている。その他の禽獣類では鶏及び鶏卵が大半を占め、豚はわずか九頭にすぎない。畜産物の農産物価額構成比は七・九%で、全国平均の約二倍の高さである。

表産2-3 農作物

表産2-3 農作物


表産2-4 雑穀類

表産2-4 雑穀類


表産2-5 芋類及び蔬菜類

表産2-5 芋類及び蔬菜類


表産2-6 特殊農作物

表産2-6 特殊農作物