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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

一 商品流通の発展

 市場の拡大

 明治初年における愛媛県の物産構成は、第一節でみたように、農産物の構成比は六〇%でほぼ全国並であった。しかし、自給作物である蜀黍・甘藷の比率が高く、商品作物では櫨実と楮を除き、全国よりウエイトが小さかった。それでも、水産物と鉱産物の割合は全国平均を上回り、また、清酒・綿織物・紙・蝋・油などの農村工業製品を中心に工産物比率は比較的高く、当時においても愛媛県の商品流通はかなり発達していたと考えられる。
 明治維新後、封建的束縛が解かれ需要が拡大するにつれて特有農産物や清酒、瓦のような地方特産品は徐々に周辺地域へ市場を拡大していった。とりわけ、藩政期に物産方の支配下におかれていた楮・紙や綿織物・木蝋・陶磁器などは従来の大阪市場及び九州・中四国市場から、東京方面へ、さらに海外へと新市場の開拓を図った。この過程で増産による粗製濫造や他産地との競争に対応して旧来の流通機構を変化させながら、商業資本の新たな展開が行われたのである。すなわちこれら伝統的生産部門では、一部にマニュファクチュアの展開が見られるものの農家副業的ないし家内工業的な小生産段階を脱しえず、また彼ら小生産者に楮・櫨実・実綿などの原料を供給するのも零細な小農民であった。このように広域ないし大量需要の市場条件が形成される一方で、商品供給者の側か小生産段階を脱しえないという状況においては、原料や製品の流通過程への商業資本の積極的な参入を招き、生産者よりは商人の手に富を蓄積させ、商人による問屋的支配を生むことになる。前近代的な農村工業の展開とその上に立脚する商業資本の発展は、他方での地主制の発展と併せ、むしろ生産資本の蓄積を阻み、蓄積された商業資本が寄生地主化や銀行資本へ展開する途を開くのである。