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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

三 明治中期商売の状況

 盛んな商業活動

 商品生産及び流通の発展に対応して県内各地に各種の商売が生まれてきた。明治一七年『愛媛県統計書』に初めて商売統計が載せられている。これによれば、同一七年一二月三一日現在の商売戸数は三万四、三七三戸で、これに雑商を合計すると四万一、九一四戸となる(表産2-21及び表産2-22)。これは当年の総戸数一八万六、〇八三戸の二二・五%に相当する。業種をみると、流通段階によって構成が異なるが、合計で一、〇〇〇戸以上になる主要な商売は、菓子果物・魚商・穀物商・酒店・紙文房具商・飲食店・旅寵屋・味噌醤油商・乾物・青物商・蝋油櫨商・薪炭商である。これら一一業種が全商売に占める割合は六七・六%であり、かなり特定業種に集中している(表産2-23)。菓子果物が最多数であることは全国と変わらないが、魚商の比率の高さは愛媛県の地域的特徴である。菓子果物や魚屋・米穀店・酒屋など日常必需品を扱う商店は、県内各地の最寄りに散在していたようである。この時分には硝子・ランプ・時計などの新しい舶来物の商売も見られるようになった。家具・調度品など耐久消費財を扱う商店は少ない。耕作道具や織物用具(筬)の小売店はあるけれども、工具器械類の商売はまだあげられていない。特殊な商売では古着・古道具・古金など古物商の数が多いことから当時の消費様式がしのばれる。
 卸売・仲買人・小売別にみると、小売商が圧倒的に多く、全体の七八%を占めている。必需的食料品を先導にして、消費生活過程へ商品経済が急速に浸透している証左である。卸売商・仲買商の比率が高い業種は、楮・藍・櫨・竹・材木などの原材料と紙類・綿・茶などの特産品である。これら物産については、生産者(その多くは農家)から集荷する中間業者が活発に活動していたことがわかる。

 市街地と農村の商売

 これら商売が都市と農村にどんな割合で分布していたかをみると、どの程度、都市の商業機能と農村における商品経済が発達していたかを知ることができよう。当年の『愛媛県統計書』では市街の基準は明確ではないが、都市として越智郡今治市街(現今治市)・温泉郡松山市街(現松山市)・北宇和郡宇和島市街(現宇和島市)の三地区があげられている。この市街の総戸数に対する商売戸数の比率は二七・二%と高い。総体的に都市の方が商業が盛んなのは当然である。また、県内の商売戸数のうち市街地に存在する比率は、商売全体では一一%であり、卸売・仲買商では五・六%、小売商では一四・五%となっている。市街に存在する比率は小売商の方がより高いのは、都市では消費の商品経済化がいも早く進展していたことを示すに他ならず、卸売商が比較的少なかったのは、消費財卸売機構の未発達と卸売商の商圏の狭さによるものであろう。
 他方、農村部(一部前記の市街地以外の町場を含む)には、多種類の販売店や質屋・旅人宿が存在するとともに、卸売・仲買商ではとくに郡部に存在する比率が高い。これは生産を担う多数の零細な小農民の存在と、これまた小規模の流通業者の乱立を示すものである。農村部における工業生産者と流通業者の大部分は、半農半工ないし半農半商であったと考えられる。ちなみに同年の農家数一四万一、九〇四戸のうち四万〇、二三二戸(二八・四%)は兼業農家であった。また、郡部の総戸数に対する商売戸数の比率は一八・九%と低い。このような都市と農村における商売の量的・質的な相違は、資本主義経済が発達するにつれて一層明瞭になってくる。

表産2-21 明治17年愛媛県業種別商売数

表産2-21 明治17年愛媛県業種別商売数


表産2-22 明治17年愛媛県雑商数

表産2-22 明治17年愛媛県雑商数


表産2-23 明治17年愛媛県主要商売構成比

表産2-23 明治17年愛媛県主要商売構成比