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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

一 会社資本投資の増進

 会社勃興のブーム

 商工業部門の発展の足どりを、会社数及び会社資本金額の趨勢によって探ってみよう。明治一〇年代には法的根拠のないまま、多人数で出資した実質的な会社が各分野に現れ、明治二〇年前後には会社設立のブームが出現した。この動きは二〇年代前半に一時的に衰えるが、明治二三年商法公布(二六年一月一日施行)、明治二六年会社・手形・破産法施行・銀行条例の実施など制度的条件の整備もあって、日清戦後、会社企業熱が爆発的に燃え上がった。会社の乱興は第一次・第二次の大反動を伴い、三四年にはわが国最初の激烈な金融恐慌を引き起こすまでに至った。日露戦後三九年から四〇年にかけて再び企業熱が勃興し、四〇~四二年不況をはさんで企業計画が再勃興する。その後大正一~三年の大不況を経て、第一次世界大戦による未曾有のブームに突入する。この日清戦後から第一次世界大戦の翌年までの、息の長い会社新設・増資ブーム期における愛媛県内の会社企業の動きをみていこう。
 まず、会社数は、明治二九年の一三二社から、四二年の一八二社へ、さらに大正八年の四五四社へとこの二三年間に三・四倍に増えた。また、払込資本金額は三五〇万四、〇〇〇円から一、三四三万七、〇〇〇円へ、さらに四、四六〇万五、〇〇〇円へと一二・七三倍の成長をとげた(表産3-7)。この二三年間の払込資本金増加率は全国の成長率一五・〇三倍(明治二九年、三億九、七五六万円から、大正八年、五九億七、五五〇万円へ)をやや下回るものの著しい伸長であった。この成長期の中でも、日清戦後から明治三〇年代初頭と第一次世界大戦期の二つの時期は飛躍的な成長をみせた。明治二九年から三二年の三年間で払込資本金は二・二倍に拡大した。日露戦後はしだいに資本投資の増勢を強めながら、大正三年七月の第一次世界大戦を迎える。大正五年以後の大戦景気で企業利潤は増大しさらに企業熱があおられた。大戦中の大正五年から戦後八年までの三年間に会社数は一六一社増え、払込資本金は一・二倍に膨らんだ。

 会社規模の拡大

 こうした投資総額全体の増進は個々の会社の規模の拡大を伴った。一社当たり払込資本金規模は、明治二九年の二万六、五四五円から、明治三九年の五万七、九六九円へ、さらに大正八年の九万八、二四九円へと、この間に三・七倍に拡大した。これはこの期の全国の拡大幅二・六倍をかなり上回っている。もっとも、どの年次においても一社当たりの資本金額は、全国のそれ(明治二九年八万六、五八七円、明治三九年一一万四、八七四円、大正八年二二万七、三七八円)の半分以下という零細さであった。
 銀行業を除く諸会社の公称資本金階級別の分布状況をみると(表産3-8)、総体的に零細さが目につくが、それでも第一次世界大戦中の好景気で会社数が急増するにつれ、規模も拡大していることがはっきりとよみとれる。明治四三年には公称資本金額が五〇万円以上の会社はわずか三社だけであった。大正期に入ると資本金五〇万円程度の中堅会社が漸増してきて、その一部が大正五年以降の空前の好景気下で規模を拡大したり、あるいは織物業や製糸業で大規模会社が新設された。大正八年末には資本金総額一〇〇万円以上が七社、五〇万円以上が七社に増えた。一〇〇万円以上の会社は、愛媛水力電気株式会社(今治町〈現今治市〉)、愛媛鉄道株式会社(大洲村〈現大洲市〉)、宇和島運輸株式会社(宇和島町〈現宇和島市〉)、日本酒類醸造株式会社(八幡村〈現宇和島市〉)、宇和火電株式会社(八幡村〈現宇和島市〉)、伊予鉄道株式会社(松山市湊町)、松山電気軌道株式会社(松山市紺屋町)の七社であり、いずれも明治期の設立であった。一社を除き電気・電力会社と運輸・鉄道会社である。五〇万円以上は、松山染織株式会社(温泉郡素鷲村〈現松山市〉)、三島紡績所(三島町〈現伊予三島市〉)、河野製糸株式会社(大洲町〈現大洲市〉)、宇和島呉服株式会社(宇和島町〈現宇和島市〉)、日本織物株式会社(松山市二番町)、松山商事信託株式会社(松山市三番町)などの七社であった。これらはいずれも大正期に新設されたものであり、一社を除き繊維会社であった。なお、当時の大規模会社の大半は銀行業が占めていた。ここで、大正八年『愛媛県統計書』によって同年末の県下主要会社(公称資本金五〇万円以上)を掲げておこう(表産3-9)。三八社中銀行が二四行を占めている。

 会社組織別の動向

 明治末期には、合名・合資会社は総数の三分の二を占め株式会社数を凌駕している。払込資本金額でも三分の一を占めていた(表産3-10)・株式会社が比較的少ないのは、この段階では原動機使用の小工場が相次いで設立され、小規模な会社が多数生まれたが、本格的な資本制企業活動はまだ特定の事業分野に限られていたということであろう。
 大正期に入ると、合資会社の比重が急減し、合名会社と株式会社が増大する。一方では資本力の弱い企業の整理・集中を進めつつ大規模化が進展し、他方では旺盛な企業熱を反映して零細な会社が叢生するという二極化の動きがみられた。大戦ブーム期には合名・合資会社は停滞し、株式会社が会社数でも上回るようになった。また総会社資本の九〇%を株式会社資本が占め、資本主義的企業活動の本格化を示している。引き続く高利潤・高配当によってますます増大する必要資本量が、特定地域の地主・豪農や商人ばかりでなくより広い層から出資されるようになった。大正九年の反動恐慌以降は合名・合資会社は社数・資本金額とも停滞し、株式会社のみが増加していくのである。

 資本の蓄積

 なお、これら諸会社に投下される資本がどのような階層から出たものであるかを直接に示す資料は得られないが、次の職業別預貯金構成から資本の集積状況を幾分は推定できよう。終始、商業の割合が高く、依然として商業が有利な地位にあって蓄積を進め、その集積された資本は一部しか生産過程に投下されていないようである。農業の比率が高いということは、地主層や一部富農の手元に大量の農村資金が集中され、それが零細な醸造所や製糸工場・織物工場などの経営に直接投下されることはあっても、県内の近代的産業へ積極的に向けられるということは、それほど多くなかったということであろう。それらは第一次大戦のころになっても産業資本に転化されないまま多額の預貯金として残っていた。これに対し、工業の地位は低く、急激な工業発展にもかかわらず、地場産業資本の形成が遅れていたようである。それでも大正八年には工業の比率がやや高まり、工業部門で資金の蓄積条件が整ってきたことがうかがえる。

表産3-7 産業部門別会社資本投資

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表産3-8 公称資本金階級別会社の推移

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表産3-9 大正8年の主要会社一覧表

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表産3-10 資本形態別会社累年比較

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表産3-11 郵便貯金、銀行預金の職業別構成

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