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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

二 産業別就業者

 圧倒的な農業就業者

 産業構造を最も良く反映している指標として、産業別就業者の構成があげられる。表産4-11は、国勢調査の結果に基づいて、愛媛県において「本業として何らかの業務に従事する者」を、各年次統一の産業分類に組み替えて表示したものである。
 第一回国勢調査が実施された大正九年(一九二〇)には、有業者総数四八万八、五二一人のうち五九・一%は農業に従事し、次いで製造工業一六・六%、卸小売業七・八%、サービス業六・〇%などの順となっている。前章で述べたように、第一次大戦期に鉱工業が農民層を激しく分解させたにもかかわらず、なお農業就業者が圧倒的地位にある。全国の構成に比べてみると、第二次産業比率は、ほとんど差がなく、第一次産業比率が五ポイント余り高い。その分、第三次産業比率が低くなっている。全国の場合は、第三次産業が第二次産業をすでに凌駕している。

 第三次産業就業者の増大

 昭和五年には、前回に比べ人口が九万五、四〇二人増加したのに伴い、有業者総数が二万人弱増えた。その内訳は、卸小売一万五、○○○人増とサービス業七、○○○人増が大きく、建設業と水産業も若干増加した。農業就業者は横ばいを示し、鉱工業の農民層分解力は衰えた。むしろ、工業従事者は、恐慌による縮小と産業合理化による人員削減によって三、四一九人減少し、構成比は一五・三%に下がった。工業専業戸数も、大正七年二万三、〇〇〇戸から、一万七、〇〇〇戸の最低となった。この慢性的不況の一〇年間の就業者構成において、主要な生産部門の比重が絶対的に、あるいは相対的に後退し、第三次産業部門が拡大して、ついに第二次産業を超えたことは注目に値する。農業及び工業から排出された労働力の、かなりの部分が水産業や商業あるいは雑業に不完全就業の形態で吸収されたことを示している。県社会課の調査によれば、昭和五年の失業者数は五、五〇〇人、昭和七年でも一万人程であるとされるが、その数倍の潜在失業者が存在していたと推測される。工業就業者の比重は全国とほぼ同水準にあるが、農業の比重低下のテンポは全国よりも鈍く七ポイントの格差が生じた。なお、男女別では、男子就業者が一万五、〇〇〇人増加したのに対し、女子は五、〇〇〇人余の増加にとどまり、有業者総数中の男子比率は、わずかに高まって六三・一%となった。

 徴兵の拡大と労働力の動員

 昭和一五年には、人口が前回調査より三万六、五八三人増加したにもかかわらず、有業者数はわずかながら減少した。それはいうまでもなく徴兵の拡大によるものであり、有業者のうち男子は二万二、〇〇〇人減少したが、女子は二万一、〇〇〇人増加している。その結果、就業者の男女比は六〇対四〇に縮まった。とくに農業従事者は、男子が二万七、〇〇〇人減少し女子が二万人弱増加したので、男女ほぼ同数となった。逆に製造業では、化学工業及び機械器具製造業での男子従業者が急増したため、男子比率が著しく高まった。軍需産業を中心とする重要産業部門での労働力を確保するうえで、昭和一四年、国家総動員法に基づいて制定された「国民徴用令」が大きな役割りを果たした。その後、戦争の激化とともに成人男子の徴兵が拡大する一方で、労働力需要も増大し労働力不足が深まるにつれて、婦女子・学生・生徒・若年者を含む労働力の総動員体制が進められていった。
 さて、昭和一五年の産業別就業構成をみると、この一〇年間に農業、卸・小売業、サービス業の比重がわずかに低下し、鉱業と工業の比重が若干高まった。全国の場合、農業の比率が四一・七%に急減したため、第一次産業全体では本県との格差は一二ポイント以上に拡がった。また全国平均工業比率は二一・一%に急拡大し、県工業との間に五ポイントの開きが生じた。これまで工業就業者比率は全国のそれと同水準を維持してきたが、生産額構成からみた場合と同様に、戦争を転機に県工業の後進性が明白となった。

表産4-11 愛媛県の産業別就業者

表産4-11 愛媛県の産業別就業者