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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

一 愛媛県経済の展開と全国的地位

 高度成長下の後進性

 まず最初に主要指標によって、昭和三〇年から昭和五五年にかけての二五年間の愛媛県経済の規模と、その全国的地位の推移を概観しておこう(表産5-9)。
 愛媛県の人口は、昭和三〇年の一五四万人から、毎期二~三%のテンポで減少を続け、ようやく昭和四五年の一四一万八、〇〇〇人を底にして増加に転じた。その後は少しずつ増加率を高め、昭和五五年の国勢調査人口は一五〇万六、六三七人となった。全国の人口動向との関連を総人口の対全国構成比でみると、昭和三〇年の一・七三%から毎期低下し、昭和五〇年の一・三一%のボトムに達した後、昭和五五年にわずかながら相対的地位を回復した。また就業人口は、全国が一貫して増勢にあるのに対し、愛媛県では昭和三〇~三五年と四五~五〇年に減少した。対全国比は低下の一途をたどり、昭和五五年時点においても底を横ばいしている。愛媛県もまた日本経済が高度成長を遂げる過程で、大都市部への労働力供給基地として、かなり激しい人口流出を余儀なくされてきた。
 その主因として経済成長の遅れがあげられる。昭和三〇~五五年の二五年間の純生産の伸びは、全国が昭和三○年の六五兆五、三五〇億円から、二〇四兆二、〇六〇億円へと三一・三倍に拡大したのに対し、愛媛県は一、〇八八億円から二兆一、九七一億円へと二〇・二倍の拡大にとどまった。期別の増加率が全国を上回ったのは昭和三五~四〇年だけであり、この期だけ対全国比もわずかに向上した。その後、対全国比は低下の一途をたどり、昭和五五年には一・○八%と最低水準にある。人口の対全国比が一・三五%に止まっていることを考え合わせると、経済力の後進性はむしろ深まったといえよう。これを一人当たり分配所得でみると、人口減少と財政支出トランスファの相乗効果により、全国に対する所得水準格差は徐々に縮まり、昭和三五年の七〇・五%から昭和五〇の八七・七%まで改善された。しかし、その後は愛媛県が人口増と成長停滞に転じたために再び格差が拡大する傾向にある。
 こうした後進性は、県経済を主導する工業の構造的特性に起因する。愛媛県の工業出荷額は順調に伸び、対全国比は昭三〇~三五年に急上昇した後も横ばいあるいは微増で推移してきた。だが石油危機後の昭和五〇~五五年には相対的地位は大きく低下した。また商業販売額をみると対全国比は、この二五年間を通じて〇・五%台にとどまっている。一・五%経済といわれてきた県経済の中でも脆弱性が目立っている。それは、また県内産業諸部門間の連関の乏しさをうかがわせる。

表産5-9 愛媛県の主要経済指標の推移

表産5-9 愛媛県の主要経済指標の推移