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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

一 愛媛の街道今と昔――V・Wルートの整備――

 古代の道路

 古代においては、律令制度の確立と共に京の都と地方の国府を直結して、中央集権を推し進めるため時の為政者によって、その支配体制の一部として交通動脈を形成させた。この時代の伊予の太政官道は京と伊予国府(現今治市付近)を結び、南海道に通ずる官道である。この官道は讃岐国府から瀬戸内に沿って西進し、伊予国最初の大岡駅(現川之江市)と近井駅(現土居町)・新居駅(現新居浜市)・周敷駅(現東予市)を経た越智駅(現今治市)の五駅があった。延暦一五年(七九六)には大岡駅から南進し予土の分水嶺山脈を越え、土佐国府に至る新官道が開かれ途中に山背駅(現新宮村)が置かれ、伊予国内では六駅となった。各駅には五頭の馬が常備され、官用をもって世話をしたが、このような駅馬の制は一般庶民には無縁のものであった。

 藩政時代の道路

 近世になり江戸に徳川幕府が開かれ、五街道を中心に交通路の整備を行い、全国的に主要街道と呼ばれる道路が整備・充実され始めたが、伊予における街道の整備はそれほど進まなかった。その理由としては各藩とも参勤交代は、もっぱら三津浜や波止浜から安芸への瀬戸海路を、宇和島からは佐田岬を横断しての宇和海路(図交3―1)など、陸路よりも海路を利用したからである。
 藩政時代における松山藩内の街道は、本町の札の辻を起点として大洲街道(松山~大洲)それ以南の幹線道路は、宇和島街道(大洲~宇和島)・宿毛街道(宇和島~宿毛)と続いた。また三坂峠越えの久万街道(松山~池川)・瀬戸内沿いの今治街道(松山~三芳)・讃岐の金毘羅参詣者の金毘羅街道(松山~小松~川之江)・さらに松山外港の三津浜までは三津街道が通じていた。しかし、これらの多くは一間(一・八メートル)以下で主に徒歩であったために、近道の必要から尾根沿いや峠のある狭い坂道が多かった(図交3―1)。これら諸街道のうち三津街道は、参勤交代や物資輸送の関係から最も整備され往来も多い街道であった。
 近世の道路としてもう一つ大切なものは、弘法大師ゆかりの四国八十八ヶ所札所参詣の道としての遍路道である。愛媛県内では、御荘町の四〇番札所観自在寺を皮切りに二六の札所があるが、一般庶民の日常生活に密着せず、他の街道のように自動車道路にならなかった。この遍路道は昔の風情を残すものの夏草に覆われ、静かに消滅しつつあるのが現状である。

 幹線道路の改修

 国道という用語を使用し始めたのは、明治九年(一八七六)太政官通達によって、道路の種類を国道・県道・里道の三種類に分けてからである。この体系は、大正八年(一九一九)の道路法の制定まで道路行政の基本として存続した。
 四国の近代的道路整備は、「四国新道」といわれる現在の国道三二号(高松~高知)と三三号(高知~松山)で、大型の荷馬車が実用化され始めたころの明治一九年に着工され、三坂の難所を経て同二七年に完成し、現在のVルートの基盤がこの時に造られたのである。
 県内における一般国道は、一六路線(一一号・三三号・五六号=指定区間・五六号を除き旧一級国道、一九二号・一九四号・一九六号・一九七号、さらに三一七号ほか八路線=指定区間外・旧二級国道ほか)、実延長九六四㎞に達している。現在、松山市を起点(松山市役所前)とする道路は一九六号ほか四路線、終点となっているのは一一号・三三号・五六号の三路線である(図交3―2)。四国の高速自動車国道は、「四国横断自動車道」(高松~高知~須崎、総延長一五四㎞)と、「四国縦貫自動車道」(徳島~高松~松山~大洲、総延長二二四㎞)のニルートで、縦貫自動車道は昭和六〇年三月、伊予三島~土居間一一㎞が開通し、同三二年の全国の基本計画からしてはあまりにも遅い部分開通である。

 Vルート・Wルート

 昭和二七年(一九五二)、道路法の全面改正により、県内でも一級国道として二路線(一一・三三号)、二級国道として三路線(五六・一九二・一九六号)が指定され、自動車道路として拡幅・舗装を目的とする一次改築が行われた。そのトップを切って一一号、さらに三三号・五六号の順に着工し、最も難工事だった五六号も四六年に完了した。主要幹線はモータリゼーションに対処したものの、加速的な自動車の普及に対応できず、二次改築工事も松山市や市部地域で開始した。その主なものは、松山南・東・砥部・重信道路や西条市・川之江~三島のバイパスなどで、一部はすでに使用され道路整備も急速に進んだ。しかし、それを上回る速度でモータリゼーションが進行し、主要国道の自動車交通量は一段と増加、一日(一二蒔間)五、〇〇〇台以上となり、特に旧一級国道や都市部における交通量の増加が目立ち、そのほとんどが一万五、〇〇〇台を突破している(図交3―3)。
 四国の主要幹線路線のうち、国道三三号(高知~伊野~久万~松山間・一二二・九㎞)と、三二号(高松~池田~高知間・一三七・六㎞)は、四国中央部を横断する「Vルート」として、四国経済圏の物資交流と観光の大動脈として期待されている路線である。この路線は、明治初年の「四国新道」として計画・実施されたルートとほぼ同じである。一方、国道五六号(高知~宿毛~宇和島~大洲~松山間・二八九㎞)と、五五号(徳島~阿南~室戸~高知間・二一九・九㎞)は、紀伊水道側の阿南海岸国定公園と、豊後水道側の足摺宇和海国立公園に代表される景観のすばらしい海岸線を通過する。これは〝蒼い国四国″のイメージどおり、四国外周のWルートとして、四国の札所巡礼コースと平行する観光道路でもあるが、Vルートに比べて生活道路としての性格が強い。

図交3-1 愛媛県の旧街道と遍路道

図交3-1 愛媛県の旧街道と遍路道


図交3-2 愛媛県内の国道道路網図

図交3-2 愛媛県内の国道道路網図


図交3-3 愛媛県自動車交通量図 昭和58年

図交3-3 愛媛県自動車交通量図 昭和58年