データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

二 商工経済会時代

 商工経済会の成立

戦時経済下、戦争遂行のため平時下に制定された商工会議所法は廃止され、代わって商工経済会法が昭和一八年三月、法律第五十二号をもって公布され、同年六月一日から施行されることになる。商工経済会法の目的(第一条)とは、つまり「商工経済会ハ国民経済ノ総力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル為国策ニ協力シ産業経済ノ円滑ナル連絡ヲ図ルト共ニ其ノ改善向上ニ努ムルコトヲ目的トス」である。これは商工会議所法第一条の「商工会議所ハ商工業ノ改善発達ヲ図ルヲ目的トス」に比べて大きく異なっている。
 商工経済会法の公布により、全国主要都市の一四四の商工会議所は、商工経済会へと組織変更を求められた。商工経済会は道府県の県庁所在地に設置され、商工経済会の数も四七となった。そして県庁所在地以外にて存在する商工会議所は、商工経済会の支部となった。
 商工経済会の事業も同法第四条の規定によると、(一)当該地区内ニ於ケル産業経済ニ関スル統制ニ対スル協力、(二)当該地区内ニ於ケル産業経済ノ運営又ハ整備ニ関スル連絡(三)当該地区内ニ於ケル産業経済ノ改善向上ニ関スル施設(四)産業経済ニ関スル調査及研究(五)前各号ニ掲グルモノノ外商工経済会ノ目的ヲ達スルニ必要ナル事業であった。
 さて商工会議所の解体と同時に、その全国組織である日本商工会議所も、経済会法の第四十五条「商工会議所法ニ依ル日本商工会議所ハ本法施行ノ日ニ於テ解散ス……」の規定によって解散することとなった。かわって「全国商工経済協議会」が任意団体として創設され、全国四七の商工経済会が加盟した。

 愛媛県商工経済会の成立

 商工経済会法が一八年三月に公布、六月一日施行に伴い愛媛県では、直ちに商工経済会設立準備の動きがみられる。それも商工省告示(昭和一八年七月一七日付)で九月四日までに商工経済会の設立認可申請を求められたため、極めて早急な着手となった。本県では県商工経済会設立委員が任命された。大本貞太郎(伊予鉄鉄道株式会社社長)、菊池伝次郎(宇和島生活必需品商業組合理事長)、酒本静市(酒六株式会社会長)、黒川雄之進(愛星しょう油株式会社社長)、戸田国太郎の各氏から成っていた。八月二八日総立総会が開催され、定款などの承認がなされ、直ちに商工省へ設立認可申請を提出、九月二一日に認可を受けた。ここに「愛媛県商工経済会」が成立する。会頭に大本貞太郎、副会頭には木原茂・菊池伝次郎が就任した。
 愛媛県商工経済会の活動も、商工経済会法の定めた事業活動(第三条)に従って行われた。そのほか昭和一九年でみると戦時生産増強激励移動演劇、金属類回収協力、工場生産能率増進の指導、生活必需品総合配給所設置促進、県生活用品価格査定委員会など多岐に及ぶものであった。
 商工経済会も昭和二〇年八月の終戦、そして二一年九月二一日の商工経済会法の廃止により解散、わずか三年という短命で終わりをつげた。