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愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

一 戦後の時期区分とその特徴

 戦後の時期区分とその特色

 第二次世界大戦終了後、現在に至る四〇年余の時代を大別すると、次の五つの時期に区分することができる。まず昭和二〇年(一九四五)から同二四年にかけて「戦後の混乱収拾の時期」(一九四〇年代後半)、昭和二五年(一九五〇)から同三四年にかけて「朝鮮戦争勃発と設備投資ブーム」(一九五〇年代)、昭和三五年(一九六〇)から同四四年にかけて「所得倍増計画と開放経済体制」(一九六〇年代)、昭和四五年(一九七〇)から同五四年にかけて「変動の時期と国債の大量発行」(一九七〇年代)、そして昭和五五年(一九八〇)から同五九年にかけて「改正外為法と新銀行法の施行」(一九八〇年代前半)である。
 まず第一の時期に当たる「戦後の混乱収拾の時期」は、昭和二〇年八月から同二四年にかけて敗戦の混乱を収拾する五年間であった。戦後のインフレが昂進するなかで、金融緊急措置令・資金融通準則・経済安定九原則・そしてドッジ公使の経済安定政策、一ドル=三六〇円の為替相場の設定等、戦後の復興の基礎づくりの時期であった。
 次いで第二の時期区分の「朝鮮戦争勃発と設備投資ブーム」は、昭和二五年から同三四年にかけての経済復興の一〇年間であった。朝鮮戦争の勃発によって、それまで苦難にあえいでいた日本経済は、あたかも息を吹きかえしたかのように生気を取り戻し、これによって勢いづいた産業界は、折柄登場した技術革新の波に乗って設備投資を競い合う時期に入り、銀行のオーバー・ローンがやがて論議を呼ぶに至った。相互銀行法・信用金庫法等の戦後の金融制度の確立は、この時期に行われ中小企業金融機構が整備された時期であった。
 第三の時期区分の「所得倍増計画と開放経済体制」は、復興を成し遂げた日本経済が昭和三五年から四四年にかけて、世界に向けて扉を開いた一〇年間であった。貿易為替の自由化に始まり、IMF八条国、資本の自由化へと進む一方では、政府主導による所得倍増計画が予想外に早い速度で実現した時期であった。この間に山一証券に対する日銀特融の時期を経て、戦後初めて赤字国債を発行するに至ったが、競争原理の導入による金融の効率化とともに、金融の再編成がはかられた時期でもあった。
 第四の時期区分に当たる「変動の時代と国債の大量発行」は、昭和四五年から五四年にかけての一〇年間であり、戦後四〇年の日本経済のなかで歴史の流れを大きく変化させた時期である。ドル・ショック、オイル・ショックと通貨と資源において、国際経済の地殻変動が世界各地で起こった。変動為替相場制移行、物価急騰の影響を受けて日本経済は戦後最大の不況を経験し、構造不況産業問題が表面化する等、多難な時期に再び第二次原油価格の引上げに見舞われ、資源の有限性を身を以て味わった時期であった。またわが国財政の大幅な赤字を国債の大量発行によって、補填しなければならないという仕組みが定着した時期でもあったと言うことができる。
 第五の時期区分に当たる「改正外為法と新銀行法の施行」は、昭和五五年から五九年にかけて日本経済がひとまわり大きくなって脱皮を遂げた五年間である。第二次オイル・ショック以後国際経済は長い不況の時期に入ったが、ひとり日本経済は輸出の好調に支えられて大幅な黒字国となり、海外援助の能力を蓄積するに至った。国内では金融の自由化、円の国際化へ向けて大きな前進が見られ、日本経済の国際経済に対して果たすべき責任が改めて問われる時期となった。