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愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

三 長浜町の臨海工業開発①

 長浜臨海工業開発の背景

 長浜町は、西部瀬戸内海の伊予灘に面し、昭和三〇年(一九五五)一月一日、旧長浜町・喜多灘村・白滝村・大和村・櫛生村・出海村の六か町村を合併して誕生した所である。この合併は、行政区域の広域化と財政の健全合理化を重要な狙いとして昭和二八年一〇月に施行された町村合併促進法が大きな契機となっていた。
 合併後の新しい長浜町の経済状況は、順調なものとは言えなかった。財政の面では、合併直後から膨大な赤字に悩まされ、財政再建団体として財政再建計画が完了するのに昭和三八年までかかった。産業の面では昭和三〇年代から昭和四〇年代の初めにかけて、最も就業人口の多い産業はみかん生産を主とする農業であったが、そこでの中核をなす農業従業者は激減し、高齢化が目立つようになった。漁業においても、漁業資源の悪化により漁業従業者は大きく減少した。特に若年の男子就業者の減少が著しく、ここでも就業者の高齢化が進んだ。産業の不振は若年人口の流出をもたらし、『長浜町誌』によると、長浜町の人口は、昭和三〇年の二万〇、七一九人から昭和四〇年には一万七、四〇三人へと三、三一六人(一六%)も減少した。長浜町も日本経済の高度経済成長過程における地方農・漁業地域の過疎化というパターンをまぬかれなかったと言える。
 このような経済の停滞による人口流出という状態を脱却するために、長浜町は昭和四二年に開発課を新設し、町役場・議会・学識経験者らによる地域開発委員会をつくった。そこでは、長浜町の立地条件を生かし、まず次の三つの振興策が打ち出された。その第一は、遊休施設あるいは農村平坦部地域に内陸軽工業を誘致することであり、第二は、海岸部に鉄鋼造船産業を誘致することであり、第三は、瀬戸内海時代にそなえ、長浜と対岸中国を結ぶフェリー航路を開設することであった。第一の内陸軽工業の誘致については、昭和四三年に長浜町工業誘致条例が定められ、同年沖浦の旧長浜中学校跡を利用して福山ゴム(現長浜化成株式会社)が、旧白滝中学と漁業協同組合旧事務所を利用して宗栄産業(現在は経営者が替わり、倉紡アパレル長浜工場となっている)が誘致された。さらに、昭和四五年には、カルビー冷食が下須戒に設置された。しかし、従業員数は、昭和四八年現在で三工場合わせて二二六人にすぎず、しかもそのうち八八%は女子従業員であったので、若年男子の流出をくい止める効果は小さかった。第二の造船については、男子雇用促進効果の大きい業種として、来島ドックモの他と接触が繰り返されたが実現しなかった。第三のフェリー航路については、昭和四四年八月から二隻のフェリーが長浜町と上ノ関町で就航したが、昭和四七年一〇月、経営不振のために休航した。
 長浜町が若年層の人口流出による過疎化を防ぎ、工業化によって産業の振興をはかるためには、個別分散的な企業誘致では不十分であり、抜本的な対策を必要とした。そこで登場したのが長浜臨海工業開発の構想であった。これは、大規模な臨海工業用地の埋立・造成と長浜港を大型船舶が就航可能な工業港に整備することによって、長浜に臨海工業地帯を形成しようとする構想であった。
 長浜臨海工業開発構想は、長浜町の過疎化に対する産業振興策として打ち出された側面もあるが、長浜地域が臨海工業開発の拠点として選ばれるためには、立地上の利点がなければならない。この点について、『長浜町誌』は、長浜臨海地帯は、「瀬戸内海に外航大型船が容易に進入できる唯一の水路『豊後水道』の喉頭部にあって、西瀬戸内経済圏域に分立する都市群および新産業都市、工業整備特別地域をはじめとする臨海工業地帯を海上で直結できる有利な地点に位置しており、加えて海象、気象が温和であり、地盤は粗目の砂でよく締っている上、埋め立て土砂が良く、地震、その他の災害も殆どないため、高層の工場建設が可能であり、また肱川の水量が極めて豊富であるため、工業用水にことかかない等工場立地に必要な好条件を具備しており、臨海装置型工業適地として脚光を浴びている」と述べている。

 臨海工業開発構想

 長浜臨海工業開発構想は、昭和四三年(一九六八)ごろから具体化し始めたと考えられる。昭和四七年七月八日に愛媛県と長浜町は、共同で東洋建設株式会社と国土総合開発株式会社に、長浜町地先海面土地造成計画に関する諸調査を依頼し、同年七月二八日の町議会では、長浜町地先海面土地造成の推進が議決された。昭和四四年七月二一日には、愛媛県の昭和四五年度施策として、約五〇〇万平方メートルの地先埋め立てを行う「長浜臨海工業地域造成計画」が発表された。
 開発構想を具体化したものとして、昭和四五年八月一日に財団法人長浜町開発公社が設立され、同年一〇月一日には黒田沖埋め立てが開始された。漁業協同組合に対して漁業補償交渉が開始されたのが、同年六月二三日であるから、交渉開始より三か月余りで埋め立てを開始したことになる。土地造成計画四一三万平方メートルのうち、第一期工事として三号地の造成工事が昭和四七年五月に完成した。「晴海」と名付けられた三号地は、埋立面積三一万二、三八八平方メートル、事業費約一七億円であった。
 長浜臨海工業開発構想が愛媛県の計画として正式に位置づけられたのは、昭和四五年一〇月に公表された『愛媛県長期計画』においてである。この計画の中で、「長浜地区については、肱川の豊富な水資源と航路条件とを基盤に、装置型企業をはじめとする大規模工業の立地をすすめることにする」とされ、さらに「新居浜港、東予港、松山港および、あらたに工業開発拠点となる長浜港などについては、大規模な臨海工業用地の造成とあわせ、大型船舶の就航にそなえて泊地、航路の整備をすすめ、工業港の機能を強化する」とされた。
 臨海工業開発構想が長浜町の計画として正式に位置づけられたのは、第一期工場用地造成事業が完成し、工場建設も間近にせまった昭和四七年一月に公表された「長浜町振興計画基本構想」においてであった。この基本構想は、具体的に昭和五六年を目標年次として、表用1―22に示されたような主要経済指標をかかげている。
 この主要経済指標の中で、総人口が目標年次の昭和五六年には二万八、〇〇〇人と昭和四六年の二倍にも増加すると推定されているのは、第二次産業と第三次産業における大幅な就業人口の増加が見込まれているからである。第二次産業については、「臨海大型企業の誘致により、これへの新規従業者三、〇〇〇~三、五〇〇人、関連する企業等の従業者も約同数にのぼると見込まれ、その内町内に定住するものは約半数とみると、おおむね五、〇〇〇人程度」と見込まれ、第三次産業については、増加する理由は示されていないが、「現在においても増加の一途をたどっており、目標年次には六、〇〇〇人程度」が見込まれている。
 基本構想は、臨海工業開発を推進するに当たって、(一)工業用地の造成と優良企業の誘致、(二)工業用水道の開発、(三)関連公共事業の整備をあげ、第一の工業用地の造成と優良企業の誘致において、工業用地の埋立可能面積を約五〇〇平方メートルと推定し、昭和五六年までの造成目標面積をおおむね三八〇万平方メートルとしている。

 長浜町第二次開発構想

 昭和四六年(一九七一)八月のドル・ショック、昭和四八年一〇月の第一次石油危機等を契機として日本経済は、高度経済成長経済から低成長経済への移行期を迎えた。経済計画の面でも、全国レベルでは、昭和五二年二月「第三次全国総合開発計画」が閣議決定され、愛媛県では、昭和五三年三月、『愛媛県長期総合計画』が策定された。このような状況のもとで、長浜町においても、昭和四七年一月に策定した「長浜町振興計画基本構想」を見直し、新たな観点から練り直す必要性が生じた。こうして、昭和五五年一月に、昭和五五年度を初年度とし、昭和六五年を目標年次とする新たな「長浜町振興計画基本構想」が策定された。第二次開発は、実質的には、この時点より開始されたとみなすことができる。
 この基本構想の策定に当たっては、「その指標の設定も、また、かなりの流動性を予想する必要があり、これらの点については臨海部の単なる工業開発事業のみに止まらず、港湾の整備と、南予における流通拠点の建設等をも計画の基本として、策定しなければならない」とことわった上で、次のような計画の指標をかかげている。
 主要経済指標の中で人口については、今後第二次開発事業として、流通基地建設、企業立地、港湾整備等が進めば、目標年次の昭和六五年には一万七、〇〇〇人に達すると推定されている。このように大幅な人口増加が見込まれているのは、第一に、第二次産業が、次期開発事業による新規立地企業の雇用増加八〇〇人、関連企業の従業員八〇〇人とそれぞれ増加し、その定住率を約五〇%とみて、おおむね三、五〇〇人程度と見込まれているためである。第二に、第二次開発事業が工業開発だけでなく、流通基地建設並びに港湾整備も推進され、その結果、運輸通信等を中心に卸売業、サービス業等に顕著な発展が予測され、就業人口がおおむね三、九〇〇人と大幅に増加することが見込まれているためである。
 第二次開発事業を推進するに当たっては、(一)工業用地の造成と優良企業の誘致、(ニ)流通拠点基地の建設、(三)工業用水道施設の整備、(四)関連公共施設の整備をあげ、第一の工業用地の造成と優良企業の誘致については、「工業用地の埋立造成可能面積は五〇〇平方メートルと推定されるが、目標年次までの造成目標面積を概ね二〇〇平方メートルとする。その事業実施に当たっては、企業の立地と不離一体の関係にあるため、この団地にふさもしい高度加工型企業、また、地域に対して貢献度が高く、かつ瀬戸内海の自然環境を阻害しない優良企業の誘致を行う。一方、港湾施設用地、流通基地用地、更に、公共用施設用地等もこの用地と同時に造成を行う。」としている。
 昭和五九年に長浜町が発行した『長浜臨海工業用地――企業立地のご案内――』では、第二次開発事業について、「第二次臨海工業開発事業の一環として、昭和六四年三月完成を目標に、今坊地区約四〇万平方メートルの埋立造成に着手し、四国西南地域の工業開発拠点として、また、将来的には、西瀬戸経済圏構想におけるアジアポート計画の副港への位置付けを目指して港湾機能の拡充強化」に取り組んでいると述べ、分譲予定単価三・三平方メートル当たり約一〇万円、分譲予定単位一万平方メートル以上(地場産業三、三〇〇平方メートル以上)とした上で、次のような第二次臨海工業開発事業構想図を示している。
 ひき続いて、昭和五六年一二月には『総合エネルギー基地建設基本構想』が策定された。この構想は、「総合エネルギー基地及びその他の関連施設等に必要な用地を造成取得し、石炭火力発電所及びLPG、石油製品等備蓄供給関係企業並びに木工業を主とした地場産業の立地を図る」としている。さらに、長浜港について、「立地企業群の建設に伴う貨物取扱量の増大、入出港船舶の大型化に対応して、現在の港湾区域を大幅に拡張するとともに・・・・・このエネルギー基地構想は、国家的要請に基づく大事業であることから、長浜港が重要港湾に指定されるよう、国・県に強く要請するとともに、貿易港として機能させるため、税関支所等関連出先機関の設置について、国に強く要望する」としている。

 長浜臨海工業開発の経過

 昭和五〇年一二月発行の『長浜町誌』によると、昭和四七年五月に完成した晴海団地に立地した企業は、次の三二社であり、そのうち昭和電工を除く他の三一社は操業している。
 これに対して、昭和六一年三月三一日現在における晴海団地の立地企業は三三社であり、このうち三社が未操業、二社が休業となっている。また、従業員数も五一一人と大幅に減少している。さらに、晴海団地内の誘致企業は、昭和サボア㈱長浜工場とライジング飯田㈱長浜工業の二社のみであり、残りは地元企業である。従って、企業の直接的な新規雇用創出効果は、大きくなかったと考えられる。
 昭和四三年以降、長浜町が誘致した企業の従業者数は、昭和六一年三月三一日現在で総数三六八人である。これは、昭和四七年一月の第一次「長浜町振興計画基本構想」における昭和五六年の目標値、誘致企業への新規従業者三、〇〇〇~三、五〇〇人を大きく下回っている。昭和五五年一月の第二次「長浜町振興計画基本構想」の目標年次は、昭和六五年であり、どの程度の新規雇用創出効果があるかは、将来の企業誘致に依存するところが大きい。昭和六四年末完成を目標にして約四〇万平方メートルの埋立造成に着手している今坊地区(第二号地)への立地決定企業は、昭和六一年末現在で一二社、譲渡面積二七万平方メートルであり、そのうち、県外からの誘致企業は、三社、譲渡面積は、二一万四、〇〇〇平方メートルとなっている。
 長浜町全体の人口の変化率をみると、昭和四五年から昭和六〇年までに人口は一六・四%減少し、人口減少傾向に歯止めがかかっていない。特に、一五~二四歳の若年層の減少率が高い。その結果、人口の高齢化による若年層の人口流出による人口の高齢化、さらに人口の高齢化による人口の自然増加率の低下という悪循環が生じている。
 産業別就業人口をみると、昭和四五年の七、〇七五人から昭和六〇年の五、九一六人へと大幅に減少している。これは、農業人口が二、三三〇人から一、二八八人へと激減していることと、卸売・小売業が一、〇七三人から九〇九人へと減少したこと及び、農業人口の減少を上回る率で増加するものと期待された製造業人口が、一、一六七人から一、二二九人へとわずかな増加にとどまった結果である。
 産業別純生産をみると、昭和五八年は昭和四五年の約三・二倍(名目)に増大しているが、昭和五八年は昭和五五年よりも名目額でも減少している。昭和四五年と昭和六〇年とを比較して、名目でも純生産額の増加率が低くとどまったのは、構成比の高い農業、運輸・通信業、卸売・小売業の増加率が低かったからである。また、飛躍的な増加が見込まれた製造業も、名目で約七倍の増大にとどまっている。
 以上のことから分かるように、長浜臨海工業開発構想は、工場用地の埋立・造成という点では昭和四七年五月に完成した晴海団地(第三号地)、昭和六四年末完成を目標にして着工されている今坊地区(第二号地)と着実に進行しているが、昭和六〇年現在では、県外誘致企業の新規立地及び立地見込みは、目標を大きく下回っている。また、総人口、就業人口及び生産所得においても目標をはるかに下回り、人口は減少している。長浜地区が、四国西南地域の工業開発拠点となり得るか否かは、今後の課題として残されている。

表用1-19 長浜町人口の推移

表用1-19 長浜町人口の推移


表用1-20 長浜町誘致企業の状況(昭和48年現在)

表用1-20 長浜町誘致企業の状況(昭和48年現在)


表用1-21 長浜町誘致企業における従業員の状況(昭和48年現在)

表用1-21 長浜町誘致企業における従業員の状況(昭和48年現在)


表用1-22 第一次基本構想における主要経済指標

表用1-22 第一次基本構想における主要経済指標


図用1-4 長浜臨海工業用地造成構想図

図用1-4 長浜臨海工業用地造成構想図


表用1-23 第二次基本構想における主要経済指標

表用1-23 第二次基本構想における主要経済指標


図用1-5 長浜第二次臨海工業開発事業構想図

図用1-5 長浜第二次臨海工業開発事業構想図


図用1-6 今坊地区埋立平面図

図用1-6 今坊地区埋立平面図


表用1-24 晴海に立地した企業

表用1-24 晴海に立地した企業


表用1-25 晴海団地立地企業一覧表(昭和61年3月31日現在)

表用1-25 晴海団地立地企業一覧表(昭和61年3月31日現在)