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愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

一 新居浜地域の水利

 住友城下町と俗称される新居浜地域の工業用水需給の背景は、もちろん住友関連の重化学工業の発展史であり、当地方の水利事情と工業用水のかかわりを『新居浜市史』に要約して、次のような記述がある。

 「古来、新居浜地区の灌漑用水、飲料水は、地区内の川水、池水、泉水にもとめてきたが、飲料水はともかく、灌漑水になると不足勝ちで、旱魃の憂いが毎年あった。
 それは、主たる給水源たる国領川、渦井川の二つが南方山地部に発し、水量豊かに渓間を表流し、多くの支流を集めてようやく山麓に達し、平地に表流するに及ぶと次第に表流を減じ、地下に伏流して全線に豊かな通水が見られない。このため増水期はともかく、平素は川床が枯れる状態で、表流水の利用が十分できなかった。
 そこで古人は、川筋の所々に堰堤(井関)を設け、疏水(井手)を通じて灌漑に便したり、所々に貯水池を作って給水したり、或いは田の隅に汲井戸を掘って地下水を汲み揚げたりして辛苦した。幸い国領川沿岸には所々に天然の湧水があり、それを補っていた。高柳泉はその著名な一つである(注)。
 近代新居浜市の異状な膨張と時代の要求は、灌漑用水のみならず飲料水と多量の工業用水が必要となった。これがため豊富な地下水汲みあげがはじまった。海岸地帯では、大正の始めまで打抜きによる自噴水を飲料水に用いたが、工業用水の激増に伴いとまってしまった。そこで鉄管を地下深底に打込み、灌漑用水は大井戸で動力ポンプでくみあげた。市は大規模の揚水施設及び上水道工事を行い、また大正六年、吉岡泉の開発により、豊富な泉源を得て、国領川東地も水が豊富となった。」
 以上の記述に見られるように、当地方の水利の特色は、国領川の表流水が地下に伏流し、表流水の利用が制限され、従って灌漑・飲料・工業の諸用水はそのほとんどを地下水ないし伏流水に依存せざるを得ないことにある。
 (注)(『国領川流域における水利の歴史地理学研究』による。)

 井 堰
    国領川本流の洪水・高柳・岡崎堰、同支流の大久保・西谷・東谷堰・金子川筋の出口・横水・馬渕堰、渦井川筋の新旧両堰などが主要である。

 湧 泉
    泉川町下泉川、金子の庄内、新須賀の高柳泉組、中萩・東萩生・馬渕・横水の大師泉掛り、中萩岸ノ下の六郎泉・青木泉掛りというように諸湧泉がある。前者は国領川の左岸にあって同川の伏流水が河床に湧出する高柳泉を中心とする成鐘・吉岡諸泉の連合性で常時湧出し枯渇のない水量豊富な諸泉である。後者は中萩中央断層崖の下の湧泉で楠泉・第二大師泉・河東泉・黒岩泉・御大師泉、観音泉・六郎泉など二〇数か所に湧出する。