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愛媛県史 社会経済5 社 会(昭和63年3月31日発行)

第二節 労 働 争 議

 労働争議の推移

 終戦後、労働組合の再建とともに労働争議も次第に発生してきた。昭和二一年には二〇件の労働争議が発生し、年と共に次第に多くなり昭和二三年には五五件に達し昭和二〇年代では最高となったが、その後労働組合組織の退潮と共に減少した。
 昭和二六年に至り朝鮮戦争の特需景気などを背景に再び労働組合の組織化が進展、労働争議も多発化し、昭和二六年には労働争議の発生件数五二件、参加人員五七、五一八人となり昭和二七年以降も労闘スト、電産ストなど全国規模のスト、さらには宇摩地方の製紙、住友機械、白方機織など不況下の深刻な労働争議が多発した。
 昭和三〇年代になると経済は長期経済成長期にはいり、年によって谷間はあっても好況が持続された。このようななかで合同労組など中小企業を中心に労働組合の組織化が進んだ。さらに、昭和三一年からは総評を中心に春闘が発足、前年を上回る賃上げ要求額、妥結額と賃上げ闘争が進展した。
 こうして昭和三〇年代になると昭和二〇年代に比べて労働争議の件数、参加人員共に倍増した。かくして昭和三〇年代の労働争議は昭和三五年をピークに前半までは増加、後半は減少傾向を示した。昭和三〇年代前半は昭和三一年、三二年の日教組、県教組の勤評反対闘争、昭和三三年の警職法改悪反対闘争、昭和三四年、三五年の安保改訂阻止闘争など全国的統一闘争が発生、後半にはこのような大規模闘争が無くなり労働争議は減少した。
 県内では木藤鉄工所(昭和三一年)、県教組の勤評反対闘争(昭和三一年、三二年)、丸住製紙(昭和三六年)、県自交(昭和三七年)などの深刻な長期にわたる労働争議が発生した。
 昭和三三年には労働争議の参加人員が一〇万六、三七八人と最高となった。これは春闘における私鉄、住友各社、タクシーなどで労働争議が多発し、秋季、年末闘争で警職法改悪反対闘争が行われたことによる。また、昭和三六年に労働損失日数が一七万五、〇三〇日と最高に達したのは丸住製紙の長期の労働争議の影響である。
 昭和四〇年代も昭和三〇年代に引き続いて高度経済成長は持続され、春闘も参加人員が増加し進展した。このようななかで昭和四〇年代における労働争議は年によって増減する複雑な動きを示しながら、全体としては昭和三〇年代に比べ件数は増加、参加人員では減少傾向を示した。これは大企業において労働争議が減少、中小企業で多発したことによる。中小企業では金属産業、繊維産業、タクシーなどでの統一闘争が中心であった。
 昭和四四年の労働争議の発生件数は二七八件となり最高を記録した。これは春闘における全国金属、全自交の統一ストライキ、秋季、年末の全国統一闘争に多数の労働組合が参加したことなどによる。昭和四九年の労働争議の参加人員八万三八一人は昭和四〇年代では最大で突出した数字である。これは前年末の第一次オイルショックのあとインフレと不況のなかでの厳しい賃上闘争が行われたことによる。
 昭和四〇年代を通じての全国的統一闘争は反戦闘争、その後半には年金、人事院の勧告完全実施、インフレによる一時金闘争などがあった。昭和四五年の安保条約反対闘争は低調に終わった。
 県内では県自交東予支部(昭和四二年)、松山赤十字病院(昭和四三年、四七年)、県自交(昭和四五年)、今治地方の繊維産業(昭和四六年)などの労働争議が注目された。
 昭和五〇年代は、昭和四八年のオイルショックの後、次第に高度経済成長から低成長が定着するなかで、物価高、雇用不安、低迷する景気など厳しい経済のもとで、春闘の賃上も次第に困難となり、実質賃金の重視から賃上とともに政策、制度要求が高まっていった。
 このようななかで昭和五〇年代の労働争議は、昭和五〇年の発生件数一三九件、参加人員七万三、七八六人、労働損失日数七万一、〇七七日から次第に減少傾向を示し、後半から微増に転じたとはいえ、昭和五八年の労働争議は発生件数六四件、参加人員九、六九三人、労働損失日数二万一、三三四日となり、昭和四○年代の労働争議に比べ激減した。
 昭和五〇年代は、昭和四〇年代までにみられたタクシー、繊維関係労働組合の集団の労働争議が激減し、このことが昭和五〇年代の労働争議の減少の大きな原因の一つとなっている。さらに、本県は構造不況産業が多く低迷する景気のなかで企業整備、人員整理などにかかわる労働争議が昭和五〇年代を通じて発生、波止浜造船(昭和五二年)、酒六三瓶工場(昭和五二年)、阿部会社(昭和五四年)、などの企業整備問題は世の注目を浴びた。
 昭和五〇年代の全国的統一闘争は昭和五〇年のスト権をめぐり公労協を中心に行われた全国的統一闘争、いわゆる「スト権スト」が行われたが、それ以後このような大きな全国的統一ストはなかった(表2-8参照)。

 争議行為を伴った労働争議

 この三八年間、労働争議のうち争議行為を伴ったものはその発生件数で昭和三一年の過半数を割った(三七%)以外はすべて過半数となっており、その割合は昭和三〇年代後半から昭和四〇年代、昭和五〇年前半と次第に高くなっており、そのピークは昭和四五年の九四%である。
 また、争議行為を伴った労働争議の参加人員は、総労働争議の参加人員の過半数に達しない年が八年あり、昭和三〇年代前半に集中している。
 その割合は昭和三一年の三三%から昭和二四年の九〇%となっており、高い割合は件数と同じく昭和四〇年代、五〇年代前半に集中している。
 争議行為の種類では、この三八年間を通じ同盟罷業が若干の年を除き大半を占めている。これに次いで同盟怠業が多く昭和四一年までは毎年行われているが、この同盟怠業は昭和三〇年代に集中しており、しかも件数や参加人員が同盟罷業を上回っている年がみられる。本県の場合、年と共に争議行為は同盟罷業のみになってゆく傾向がみられる(『愛媛県史資料編社会経済下』六五六頁参照)。

 労働損失日数

 昭和三五年以降の労働損失日数で最大のものは昭和三六年の一七万五、〇三〇日、次いで昭和三八年の一一万七、三六五日、最も少ないもので昭和五六年の六、九九九日である。これを争議行為を伴った労働争議の参加人員一人当たりでみると、昭和三六年の五・七日から昭和五六年の〇・八日となっている。本県では労働損失日数は年によって増減があり、一〇〇日を超すような長期スト、あるいは全国的規模の統一闘争が行われた年は当然労働損失日数が多くなっている。労働損失日数は昭和五〇年代に入り激減している。

 労働争議の大きさ

 表2-8のとおり総争議一件当たりの参加人員は、昭和二〇年代、昭和三〇年代には一、〇〇〇人を超す年もあったが、昭和四〇年代以降は次第に小さくなり昭和五〇年を除き五〇〇人を超す年はなく、昭和五〇年代にはいり後半は一〇〇人台に激減している。最高は昭和二六年の一、一〇六人、最低は昭和五六年の一三九人であった。
 つぎに昭和三五年以降の労働争議の継続日数をみると表2-9のとおり、三一日以上継続した労働争議が総争議件数の過半数を占めた年は昭和四五年の五二・五%のみで、四〇%台は昭和三九年の四六・四%、昭和四〇年の四二・七%の二年、他の年はいずれも三〇%以下で、昭和四八年の五・五%、昭和四九年の五・八%、昭和五○年の七・九%は特に低い。
 一方、労働争議の継続日数が一〇日以下であったものが総争議件数の過半数を超えた年は一一年を数え、特に昭和四六年以降に多くなっている。

 春季賃上闘争と労働争議

 昭和三五年以降の春闘における労働争議の件数が年間の総労働争議の件数に占める割合は、昭和三五年二七・八%から最高昭和四七年の六七・一%にわたっており、この二四年間のうち一五年は過半数を占めている。昭和三五年以降の春闘における労働争議の参加人員の年間の総労働争議の参加人員に占める割合は、昭和三五年の三五・七%から最高昭和三九年の八二・八%にわたっており、この二四年間のうち一五年は件数と同じく過半数を占めている。
 昭和三五年以降春闘の労働争議の労働損失日数が昭和四二年(四七・七%)、昭和五八年(三九・二%)が年間の総労働争議の労働損失日数に占める割合で過半数を割った以外は、すべての年で六〇%以上を占めている。最大の割合は昭和三九年の九二・三%であった。
 このように労働争議は昭和三一年春闘発足以来年と共に次第に春闘に集中するようになり、特に争議行為を伴う労働争議にその傾向が強い(表2-10参照)。

 労働争議の産業別推移
 
 農林業、漁業など第一次産業では昭和二五年の水産業に二件、参加人員二九〇人の労働争議が発生しているが、昭和二〇年代後半以後では発生していない。第一次産業の労働組合の組織自体も多くなく、総体の二%程度である。
 労働争議はたまたま昭和三五年が件数、参加人員とも第三次産業が第二次産業を上回っているが、この年以外は昭和四四年までは第二次産業に最も多く発生し、昭和四五年以降は第三次産業に多く発生し現在に至っている。しかも昭和五〇年代にはいって第三次産業と第二次産業の参加人員の格差が次第に大きくなっている。
 これを産業大分類でみると、労働争議件数では昭和四五年、昭和五五年を除き、製造業が最も多く、次いで運輸業が続いている。しかも、この二つの産業で総件数の過半数を占めてきた。製造業の総件数に占める割合は昭和二五年の七〇・九%を最高として、昭和五八年には二八・一%に低落した。運輸業は昭和五〇年代にはいると昭和五〇年、昭和五五年と他の第三次産業に第二位の地位を譲っている(表2-11参照)。
 参加人員でみると、件数とは異なり製造業は最多数ではなく、運輸業と最多数を分かち合っている。昭和五五年以降は製造業は姿を消し第三次産業の各産業が代わっている。
 製造業では、年によって多少はあるが、繊維工業、機械製造業、化学工業、紙・パルプ製造業などに多く発生している。

 労働争議の要求事項の推移

 経済の好、不況をとわずどの時代も要求の中心は、賃上げ、一時金要求である。また不況時には解雇反対、事業所休廃止反対など消極的要求が出てきている。労働協約改訂要求が昭和四四年、四五年に非常に高いのは県自交の労働協約の改訂の集中的闘争が行われたことによる。その他は労働時間、休日休暇などが主なものである(表2-12参照)。

表2-8 年次別労働争議発生状況

表2-8 年次別労働争議発生状況


表2-9 継続期間別労働争議件数の推移

表2-9 継続期間別労働争議件数の推移


表2-10 年間争議と春季賃上争議の推移

表2-10 年間争議と春季賃上争議の推移


表2-11 産業別、労働争議の推移

表2-11 産業別、労働争議の推移


表2-12 要求事項別争議発生件数の推移

表2-12 要求事項別争議発生件数の推移