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愛媛県史 社会経済5 社 会(昭和63年3月31日発行)

三 採貝漁業出稼の要因と今後の課題

 出稼の要因

 何が本県人、特に南予の人々をはるかオーストラリアの地に、かくも多く出かけさせたのか、まず、日本から移民(出稼)を押し出した要因の第一として、日本人の気質そのものに海外志向性があったのではないか。海洋民族的性格が自然に形づくられた。それは移民(出稼)を多く出した府県が瀬戸内海に面した広島、山口の両県、有明海や玄海灘に面した熊本、福岡、長崎、黒潮の流れに囲まれた和歌山南部や本県南部、沖縄などに多いことから証明されるのではないか。
 第二は農村の経済的疲弊が移民送出に拍車をかけた点は見逃せない。例えば、明治一八年(一八八五)の第一回ハワイ官約移民では六〇〇名の募集に対し、二、八〇〇名の応募があったように、農村の過剰人口による潜在的移民希望者が多かったことを示している。しかし過去の資料に乏しいが、南予が相対的に貧困であることが実証されたとしても、それが即、オーストラリア採貝漁業への出稼の主たる原因とは言いきれない。それよりも、閉ざされた南予の世界であっただけに、なおさら外の世界への進出意欲を強めた南予人の隠れた半面を思うのである。
 和歌山を通じて採貝漁業への出稼を知って、新しい世界への隠れた意欲が開花したと言える。
 第三に政府の移民政策と民間の移民会社の出現が移民送出に力を貸したと思うが、オーストラリアの場合、他の国と比較して政府の政策的影響は小さかったことが一つの特色とも言える。
 第四に、優れた指導者や先輩移民の成功が刺激となる場合があるが、採貝漁業への本県の場合もこの傾向は強く、それが三瓶町、西海町、内海村などの出稼移民母村集中化の要因となった。
 一方、外国側から移民(出稼)を引っぱる要因としては、第一に労働市場における労働力の要求があった点である。奴隷制度廃止により、代わりの労働力として契約移民が求められるようになった。農業移民や鉱山労働力が多かった中で、真珠貝採取という漁業出稼はめずらしく、海洋国日本に適した出稼だったと言える。第二に、このような契約移民は過酷な労働条件を伴うけれど、高賃金の魅力がある。第三に先駆移民の呼び寄せが出稼を引っぱる大きな要因となっている。呼び寄せは親子、兄弟から親類などの血縁に拡大し、さらに地縁へと拡大するのが一般的で、採貝漁業でもこの傾向は同じである。

 今後の課題

 以上、オーストラリア採貝漁業への出稼について、現在までに把握できた資料をもとにその特色をみてきたが、本県の海外発展史の中では明らかに空白の部分であり、その全体像の解明と県史の中の位置づけが今後の課題である。その為には出稼者の名簿整理や埋もれた資料の発掘を急ぐ必要がある。