データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 民俗 上(昭和58年3月31日発行)

4 動物のタタリ、その他

 動物のタタリ

 南予地方の伝承に熊をとってはいけないという。熊は位が高いから猟師はその位に負けるという。もし熊を射ったらすぐ鉄砲を尻の下に敷いて、しばらくすわっておき、その間は自分の眼をかくしておく。熊の毛を水流れの三方に分けて散らし、「この毛が流れあうまで、わざすな」と唱える。こうしないと崇るというが、九州のように墓を立てることはしない。
 越智郡伯方町北浦では河童(かっぱ)をつかまえて、さんざんにいじめたので、タタリがあり、ついに神社に河童をまつった。
 『宇和旧記』にでる伊延村(現東宇和郡宇和町)の霊蛇の伝承は、蛇の霊をまつるどころか断してしまうのである。すなわち、同地の安楽寺のある土地は昔、淵であったが、霊蛇がかくれ住んで庶民に害をなしていた。嘉元二年(一三〇四)に宇都宮永綱が、その蛇を射とめ、往来の人を安心させた。ところが霊蛇がタタリをなすに及んだので、嘉暦元年(一三二六)、その淵の半ばを平げ、大小の二つの池を掘り、精舎を草創して蛇霊を断したというのである。

 時間的契機のタタリ

 越智郡上浦町甘崎の城はフルジロといって、ここに「皿を貸してください」と頼んでおくと十人前揃えて出してくれる。しかし返すときに皿が足りない場合には、必ずタタリがあるという。このようにタタリ伝承は、人や物等に依拠するばかりでなく、時間を契機としてタタリがおこることもある。喜多郡地方ではかつて旧五月五日と同二八日には牛を田圃に入れれば、牛にタタリがあるとか、行先不明になるとかいった。喜多郡肱川町大谷の深田太郎右衛門は、何かまうことはないといって二八日に牛に田をすかせておったら、いつのまにやら牛は消えうせ、太郎右衛門は悲惨な最期をとげたそうで、年々その供養をしてきた。
 タタリ伝承なり御霊信仰をもちつたえるうえで、重要な役割を果たしたものに祈祷師・占い師あるいは山伏があげられる。例えば、南宇和郡一本松町中川では占い師が、どんな生き霊や死霊がさわって(崇って)いるのかを、手の脈の打ち方をしらべて判断した。同町正木では犬神(後述)のタタリを除くには古いカナグツ(蹄鉄)を屋根の上に投げるとよいなどと、さまざまなタタリ克服策が伝承されていたのである。