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愛媛県史 民俗 下(昭和59年3月31日発行)

一 妊娠に関する習俗

 妊娠の祈願と呪法

 妊娠することを、ミモチになる(内子町ほか)とかニンタイ(津島町御槇)、またハラム・ミモル・チョウマンといい、妊婦をミモチオンナという(柳谷村)。妊娠するため、後述の安産祈願と同様に、神仏祈願することがある。大三島町肥海の「峠の観音様」(子育て観音)に祈願すれば子供を授かるという。大洲市蔵川では、田植えの朝のオサンバイオロシに、「子を授けてつかわさったら、来年から親子づれでオサンバイサマをおろします」と祈願すれば必ず、子供が生まれるといった。また種々の呪法として、津島町岩淵の満願寺にある二重柿(子持ち柿)を夫婦で食べる、産神に供えた産飯を夫が知らないうちに妻が食べる、胞衣(後産)の上をまたぐ、胞衣の上にボロを敷いてあたたまりが入るまで一時間ほどそこにすわる(新居浜市)、子だくさんの人の腹帯を身に着ける(柳谷村永野)、妊婦の湯巻きをもらって着る、後産を始末した手で作った握り飯を食べる、松山市の太山寺に参詣して針を拾って持ち帰る(女子が生まれると短針を、男子なら長針を捨てに行く―松山市)、八幡浜市神山の千体仏のうち、一体をひそかに持ち帰る(妊娠すれば返し、しなければもどさない)といった場合に、妊娠するといわれる。貰い子をすると、すぐに自分の子ができることもあり、その実子をセライゴ(松山市)とかエセライゴとよぶ(エセラウとはねたむ意)。産神に願を掛け、子を授かりたいとき、コンニャクを断つといった禁忌を伴うこともある(今治市波上浜)。
 こうした祈願等がかなわず、子供が生まれない女をウマズ(石女)という。ウマズであることが婚家で明らかになると、直ちに離縁されたことがあった(宇和島市)。
 かつて丙午の女や無毛の女は、嫌われて、縁遠かった(宇和島市)。不妊の男はタネナシという(西条市)。

 妊娠のしらせ

 嫁が身ごもった兆候があっても、婚家の者は当分、そっとしておき、嫁自身が、実家の母親とか近所の心安い女に頼んで、その旨を姑に告げてもらう例が多かった(宇和町ほか)。こうして姑に告げてもらうのが、妊娠三月くらいの時である(野村町)。姑に先ず知らせて、その後で実母に知らせたり(美川村長瀬)、夫が出稼ぎに行っているため、まず姑に打ち明けるところもある(伯方町伊方)。妊娠が確認されると、信仰している寺に報告するため参詣したり、産の神に赤飯やお頭つきの魚を供えて祝う(柳谷村)。
 さて妊娠三月ころ、婿が平常と違って、なんとなく元気がなくなり、よく寝込んだりする。これを男のツワリという。柳谷村ではツワリをシタヤミと呼び、夫のツワリをアイヤミという。アイヤミは、めったにないが、妊婦と同様な症状になるという。越智郡島嶼部の上浦町瀬戸・関前村岡村や久万町上畑野川など県下各地で男のツワリの伝承がある。ツワリになると、梅干しのような酸っぱいものを好むようになり、夫の方も同様な好みになるという(西条市西之川)。

 帯祝い

 妊娠した事実を社会的に披露する習俗で、これが済むと、本人も家人も妊娠したことを公然と語るようになる。妊娠五か月目の戌の日に岩田帯・結肌帯を妊婦が締めることで、オビトリ(重信町・砥部町)・オビトリシキ(双海町)・オビツケ(南・北宇和郡)・オビイワイ(東予市・柳谷村・中山町・五十崎町・伊方町・野村町予子林・宇和島市日振島)・オビツケイワイ(三間町)・オビアテ(内海村)・オビシュウギ(宇和島市九島)・シズメオビ(八幡浜市中津川)などの呼称がある。広く県下一円、また全国的にみられる習俗である。五か月目でなく、二、三か月の戌の日に太夫を呼んでしたり(小田町上田渡・三瓶町周木)、五か月目が庚申様の月だと、前どりするか、翌月に繰り延べしたりするところ(重信町)もある。戌の日が選ばれるのは、犬の産が軽いので、それにあやかるためという。帯祝いをするのは、産が易くなるとか、腹の胎児の位置を狂わせないため(美川村)とか、太りすぎを防ぐため(松前町)、腹を冷やさないため(肱川町)という。産婆に帯を締めてもらうのが一般的である。本人が締めることもある。帯の贈り手は、夫か妊婦の姉妹(吉海町仁江)、嫁の里か身内(北条市)、安産のたちの人(瀬戸町川之浜など)、夫の伯母か嫁の叔母(宇和島市戸島)、仲人(同市日振島)などとさまざまである。帯はサラシで、三角寺のお守りの印が押されたもの(川之江市金田)、サルシ(サラシ)を半巾に折ってその間に堅いシンを入れたもの(石鎚山麓)、相撲の四本柱の紅白布や祭礼の神輿の紅絹を少し貰い受けたもの(今治市波止浜)、木綿一反(北条市)、延福寺の十一面観音御開帳に使った白木綿(中島町怒和島)、赤木綿(八幡浜市中津川)、アカネ木綿(野村町中筋)などが当てられる。
 新居浜市では、里方から帯を贈られるほか、子福者の岩田帯を貰う。帯の色は昔、白はあまり用いず、紅・桃色・黄の木綿が多く、近年は、その端を紅で染めたり「大」の一字を書いた白木綿が多い。長さはもと七尺以内、今は七五三にちなんで七尺五寸三分とすることがある。水引きをかけて三宝に載せ、神前に奉ってから用いる家や、産婆を主賓として招き神棚に御酒を供えて内祝いする家などが多かった。帯は緩むと子が太りすぎるといって、きつく締めるよう常に気を配り、夜分の就床中に緩むときは夫が締めなおすとよいという。入浴中には手拭いを帯の代わりとする。関前村岡村島ではオビトリに使ったアカオビは、お宮参りのときの着物にした。今治市波止浜では五ヵ月目の最初の戌の日を選ぶ。オビトリに招かれた産婆は、早く分娩するようにといって直ちに帰宅する。中島町のオビトリイワイには、隣近所へ小豆飯を配る。北条市ではサラシ木綿一反と祝餅が里などから贈られ、七尺五寸とか八尺三寸の腹帯がつくられる。久万町西明神では、褌のように股にくぐらせて締めると産が軽いといい、中山町では、帯の前側を広げてきつく締め、前で結ぶ。産後一か月は締めておき、その後は、子供を背負う帯に使った。美川村でも、スケと呼ぶ背負い紐に利用された。小田町では、風呂にも締めたまま入るので、最低二本の帯がいる。久万町上畑野川では、ふだん紅帯を結ぶが、洗濯時だけ白帯をする。いずれも無用となればオシメにする。瀬戸町川之浜や大久では、第一子は赤帯、第二子は白帯と区別し、赤帯で一番よいのは、船オロシに立てる赤幟を利用したものである。大洲市大川では夫の褌で腹帯を作った。美川村長瀬では、五か月目の腹帯に熊の小皮を縫い付けたクマの腹帯を締める。熊は、その手が小さすぎるとき再び腹の中に押し込めるくらいに産が軽いので、それにあやかる習俗といえる。北宇和郡内では、親類や近所に小豆飯・餅を配る。これらをもらうと必ず、ウブイワイをしなければならなかったので、この配りものを腹痛飯・腹痛餅ともいった。

 安産祈願

 帯祝いのあと、神仏への安産祈願などが行われる。一般に近くの社寺に参詣し祈願する。子安観音・厄除観音の異名をもつ四国霊場六五番札所三角寺(川之江市)の杓子を密かに借り受け常に肌につけておけば、手授けのみならず安産の祈願となる。無事出産すれば、新しい杓子を添えて返す。今治城跡内の土居神社境内のスナトコサンに祈願して砂を借り、安産なら倍にして返す。石手寺(松山市)境内の訶梨諦母天や長浜町青島の弁天様からは小石を、松山市土居田の鬼子母神や小松町香園寺(四国霊場六一番札所)の子安大師からはミニ産着をそれぞれ貰ってきて、無事安産すれば新しい小石を奉納したり、新しいものを作って奉納する。香園寺は、弘法大師がここに安産極秘の法を伝えたといわれる寺で、子安大師として特に有名である。出産の時、枕の下に敷くシキマモリ、産に臨み水で飲む梵字護符、腹帯のマモリ等が出され、子安講(子安遍照会)も県下全域に分布している。新居浜市黒島の黒島神社、大三島町の大山祗神社、香川県志々島の十握明神、朝倉村の鷹取殿、松山市別府町の福水神社(もと御産所様と呼び、その付近に豪族河野家の産屋があったといわれる)、同市姫原の軽之神社(斯多那岐宮とか姫宮社とも。この神社付近の小川の白蜷虫と呼ぶ小貝をお守りとし、産後は再び川にかえす。神社へは白粉・紅を奉納)、松前町の高忍日売神社、小田町の森の子守観音、宇和町王子神社(三〇~四〇㎝の箒を奉納)、宇和島市祝森の子安地蔵(前垂れ・帽子を奉納)、同市法円寺の鬼子母神、広見町の等妙寺、御荘町の興禅寺末寺にある子安地蔵などが安産の神仏として信仰されている。また、吉海町泊の安産石(大山積神の誕生石との伝承もある)、や御荘町菊川のオ石サマ(分身石、成長伝承がある)にも安産祈願者は多い。
 無事安産すれば、その礼として底のない袋を奉納するところが伊方町亀浦の子安観音、大洲市田口の梅見神社・同市徳森の太郎大明神社、野村町予子林大成の子安観音など南予地方に多くみられる。産がいよいよ近いと「塩釜大明神様、どうぞ…」と祈ると安産する(関前村岡村)。

 妊婦の心得と胎教

 子は親に似る。妊娠中の親の態度、生活の仕方などが子に受け継がれるというのである。美しいものを見ると美しい子が生まれる(今治市波止浜)。美人の写真や絵を見るとよい(久万町ほか)。八月一五日の芋名月に団子を丸く、きれいに作れる人ほど、美しい子を産む(小田町)。奇形の見世物などは見てはならない(新居浜市)。腹を立てると鬼の子が生まれる(野村町予子林)。読書・観劇は、悲観的なものや、残忍性のあるものを避ける(宇和島市ほか)。根気のない子になるので、何事も途中でなげだしてはいけない(久万町)。お産の前に楽をすると腹の子が太りすぎて難産するので、生まれるまでよく働くとよい(川之江市金田・三間町・一本松町ほか)。「子は袂や懐からは出ない」のだから「小さく産んで大きく育てる」ようにしなければならない。そのためには、美食は避け、心を引き締めて身体をよく使うことが安産につながる(新居浜市)。

 妊婦の食物と禁忌

 妊娠三か月以内の食物について、特にやかましくいわれてきた。兎を食べると三つ口の子が生まれるというのは最もよく知られた伝承で、全県で聞かれる。オコゼを食べると醜い顔の干が生まれるといったり、反対に容ぼうのよい子が生まれるという(今治市)。鳩・タナゴは口から産卵するので食べない(松山市・柳谷村)。アヒルは卵を抱えないから食べない(今治市)。丈夫な子ができないといって、五か月以内ではタコ・イカを食べないとか、タコを食べるとイボの多い子が、ソバを食べるとソバカスのある子が生まれるという(上浮穴郡ほか)。三か月以内にシシ肉(久万町・柳谷村)を、またトリ肌の子が生まれるので鶏肉を食べない(大洲市)。牛肉は、体に水がまわって難産するので食べない(大洲市)。砂糖(乳の出を悪化させる。久万町)、こんにゃく(今治市波止浜では子の肌の色や腫物のあとが黒くなるという)、こんにゃくのカラシ煮(刺激物で流産する―新居浜市・久万町ほか)、麦(子の皮膚がきたなくなる。大洲市大川)、節のないもの(体に障害をきたす―松山市)、大根・イモ・果実などの二股ものやミカンの大小の房・二股まつたけ(双子が生まれる。松山市久谷、新居浜市・今治市波止浜)、柿(腹が冷える―肱川町)、アマボシ(干し柿―肱川町・大洲市)、青い魚(ジンマシンができる―肱川町)などが嫌われた。また理由ははっきりしないが、酢メシ(大洲市)、脂肪の多いもの(宇和島市)、アブラゲ(三間町)も同様に妊婦には好ましくない食物とされた。

 妊娠に関する俗信

 健康な子を出産するために、さまざまな禁忌や呪法などが伝承されてきた。
 (1)アイバラミ 一家に複数の妊婦がいることをアイバラミといって忌む。その場合、動物の妊娠すら嫌われる。いずれか一方が負けて、生児の育ちが悪いとか(今治市波止浜)、一方が負けて死ぬ(宇和島市)とまでいわれる。そこでアイバラミを機に別居するとか、兄弟夫婦または姉妹は分家するとか(今治市)、妊娠した家畜をケガエ(家畜の交換)をするとか(津島町)、猫と一緒にお産すると負傷するといい、猫を実家につれて帰るか、嫁が里方とか他所へいって出産する(南・北宇和郡)。伊予市では、姉妹のアイバラミには、同一の茶碗を贈る。
 (2)一定の行動をめぐる禁忌等 葬式や火事を見てはいけない、見ると黒アザ・赤アザのある子が生まれるなどと、妊婦は行動上のさまざまな禁忌を伴ってきた。県下全域で普遍的な伝承は、葬式を見たり、手伝いに行くと、ノブヤケ(久万町・大洲市)・ホクロ (伊予市・松山市久谷)・黒ホクロ(今治市宅間)・ホグロ(重信町)・ホヤケ(新居浜市・松山市)・青ホヤケ(今治市)・アオノブ(砥部町)・アザ(宇和島市)ができるというものである。葬式に参加すると頭のちぢまった子ができる(中山町)とか、手伝いに行っても穴掘役はしてはいけない(西条市)。肉親の死などでやむを得ない場合は、懐に鏡を入れておく(新居浜市)。火事の場合も、これを見るとホヤケ(西条市・重信町・砥部町)・ノブヤケ=青アザ(松前町・大洲市)・ノビヤキ(小田町)・赤ホクロ(今治市宅間)・ウミジルシ(宇和島市)のある子ができるという。また火事を見るとき、どこか体の一部を指で押さえても、胎児の体の同じ部位に赤ヤケ(松山市久谷・大洲市)・ホヤケ(伊予市)・ノブヤケ(八幡浜市)ができる。一度、お尻をたたいてから、指で押さえるとホヤケは出来ないという(松山市久谷)。偶然に火事を見てしまった場合は、真正面からとか、終わりまで徹底して見るとか(今治市・新居浜市・久万町・大洲市)、手をうしろに回して見るとよい(松山市興居島)。宇和島市では、ふと火事を見た時は、妊婦はその足をかくと、生児にウミジルシが出来ないという。
 便所の取り扱いについても、妊娠中は特にきれいに掃除をしておくことなどが要求される。きれいにしておくと安産(西条市・吉海町椋名)するとか、美しい子が生まれるとか(西条市・大洲市・重信町・伯方町伊方)いわれる。
 箒にまつわる禁忌もある。箒をまたぐと難産するとか(小田町ほか)、箒で物をたたいてはいけない。箒の穂先が分かれているように無数の子が生まれるからという(新居浜市)。今治市波止浜では、箒を逆
さに立てれば逆子を産み、濡らしては難産するという。箒の神様は、分娩のときに一番最初に手伝いに来る神様で、美川村長瀬では産が近づくと、普段使っている箒を洗ってお床に祭り、燈明をあげ、火が消えるまでに産が終わるよう祈る。伯方町伊方では、もし足で跨いだときは、箒をいただくとよいという。
 牛や馬の手綱(内子町)・刃物(三間町)・卵の殼(重信町・伊予市)・ふきの皮(伊予市ほか)をまたぐと、難産するという。とくに馬の産は一二か月かかるので、その影響で産が重くなるとか(小田町)、一二か月たたないと生まれないとか(大洲市)、三か月も出産が遅れるとか(西条市西之川)いわれる。
 カマド(クド)を直すとか(北条市ほか)、新しく築くとか(久万町)すると三つ口の子が生まれるという伝承も全県的に聞かれる。クドを壊すと兎唇の子が生まれるとか(朝倉村万丁)、きれいにしていないと醜い子になるともいう(伯方町)。三つ口になるのは、このほか遠足の弁当を捨て、それをうさぎが食べるとか(八幡浜市)、片口を修繕するとか(今治市波止浜)、片口で料理するとか(新居浜市)、堤防の決壊を見るとか、五か月以内にハサミ・クシ・財布などを懐中に入れるとか(新居浜市)があげられる。
 乗り物に乗らない(宮窪町)、塩を粗末にしない(伊予市ほか)、犬が交尾しているのに水をかけない(城川町)、欠けた茶碗で食べない(柳谷村)、縫い物をしない(小田町)、特に死人の着物は絶対縫わない(大洲市)、産が近くなって重いものを持ったり、高下駄を履かない(新居浜市)とかいわれる。いずれも、そうしないと産がきつくなるというのである。
 胎児がヘソノオを首に巻いて、難産するので、転倒してはいけない(大洲市大川)。胎児が乳首を離すといって、妊婦は高い所へ手をあげたり、おろしたりしてはいけない(三間町ほか)。鼻の低い子が生まれるので、オクドサンの上に物を置かない(伯方町北浦)。耳の端に穴ができるので、針を胸部の着物にささない(今治市波止浜)。袋子といって羊膜を被った子が生まれるので、袋物を縫わない(新居浜市)。出産前に産着やシメシ(むつき)をつくると、子が育ちにくいというが、二枚に限ってこしらえるのは、よい(大洲市大川)。歯の生えた子が生まれるので、櫛を帯に挾まない(今治市)。イカを食べたら流産する(八幡浜市)。屋根の葺き替えはしない。するときは、石垣の石を一個とっておくとか、棟の一か所を残すとかしないと難産になる(宇和島市)。石けんの代用品の米ヌカを多用すると胎児の頭が太る(大洲市)。

 胎児の性別判断

 生まれてくる子が男か女かは、親たちの最大関心事であるといえる。子の股の裏に一つ皺があれば(股の切れ目の数が一つなら)次に生まれる子は男で、二つ皺なら女である(大洲市ほか)。腹が平ら(松山市ほか)とか、横にひろがる(西条市西之川)とかは女、腹がつき出ると男が生まれるといわれる。腹の右側が太くなれば男、左の方なら女が生まれる(新居浜市ほか)。妊婦の顔がきつくなれば男というのもよくきく(西条市ほか)。乳首の色が濃厚(黒色)ならば男(新居浜市ほか)、妊婦が左足を先に敷居をまたぐと男(宇和島市)、妊婦が右足から歩きだすと男(今治市)、不意に妊婦を呼び後方か、左に振り向けば男(宇和島市)、同じく右から振り向くと男(今治市波止浜)、胎児がよく動くと男(今治市波止浜)といわれる。また生まれ月第一日の最初の訪問者が男なら、男の子が生まれる(宇和島市)。かつて近所の人などで産のあることを知っている者は、朔日にその家を朝早く訪れる時は、戸外から声をかけて、入ってもよいかを、尋ねてからにしていたのは、そのためである。
 母親と父親の各年齢を加えた数を、一年子の時は一を、二年子(妊娠した年の次の年に出産した子)の時は二を加えてそれぞれ三で割って割り切れると女が生まれる(西条市西之川ほか)という。

 避妊と堕胎

 かつて生活の貧困の中で、人が生きるために、新しい生命を断つ因習が存在した。女が水を飲んで性交した時は、妊娠しない(今治市)。松山市の太山寺へ自宅の針を持って詣で、捨ててくると避妊ができるという。堕胎は妊娠二、三か月目に行うのが普通で、ツワブキ・ゴボウ・フキ・ミョウガの根を一〇mほどに切って、それを局部に挿入する方法が採られた(一本松町ほか)。高い所から妊婦が飛び降りるとか、孟宗竹をゆがいて食べると、オロスことができた(西条市西之川)。間引きは、かつて道徳的に罪悪視されない時代があり、県下でも大正時代ころまで行われていた。子供が生まれると、相談の上、産婆が濡れ紙を用いて窒息死させたり、父親が石臼を抱かせて圧迫死させたという。