データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 民俗 下(昭和59年3月31日発行)

一 昔話

 昔 話

 昔話は一般的には民話と同じ意味にうけとられる。常識的慣用によれば、①擬人化された動物が主たる行為者となる動物昔話、②人間を主人公とする本格的昔話(人間昔話)、③人あるいは動物の愚行・ユーモアを主題とする笑い話の分野に分かれる。
 動物昔話は、「動物の起源や習性」「動物葛藤」などがある。ほととぎす兄弟・鳶不孝・雀孝行、猿蟹合戦である。
 本格的昔話は人間昔話である。人間が人間以外の動物や精霊と結婚する「異類婚姻」がある。異類が男性であって人間の女性と結婚するものには蛇婿・猿婿などがあり、蛇婿には苧環型と水乞型とがある。逆に異類が女性で人間の女房となる話には魚女房・蛇女房・鶴女房・竜宮女房・天人女房などがある。異常誕生をした子供が鬼退治に出かけて立派な働きをして目的を達成し幸福な結婚をするまでの過程を主題とした一寸法師・田螺息子・蛙息子、竹姫・瓜子姫などの「誕生婚姻」、主人公の幸福な結婚を妨げる相手との葛藤や競争者との勝負のほか婚姻の条件としての難題の解決などが話の中心となる継子話・兄弟話などの「婚姻争い」、地蔵浄土・舌切雀・大歳の客・笠地蔵などの「富の獲得」、牛方山姥・食わず女房などの「化物退治・逃亡」、助けられた動物がその恩に報いるため恩人の危難を救う「動物の報恩」など、人間と直接かかわる昔話がこの範時範疇に入れられる。
 笑い話は笑いを目的として語られる。登場人物は現実に存在した人物であり、特定の実在人物のように語られる。笑い話はその主題によってつぎの六つの分野に分けて考えられる。①偶然の幸福…偶然に好運な出来事にあって富を得たり幸福な結婚をする話で、空想的な趣向がとくに誇張され喜劇的趣向をおびている。鴨打ちなどの話では偶然の好運が継続的に発生する。②狡猾者…俵薬師や知恵有殿などに代表される話である。相手をだまして金儲けをしたり、主人を殺してその妻を自分の女房にしたりする非道徳残忍な主題であるが、全体的には笑いを誘う構成になっている。③おどけ者…吉四六・彦一などについて語られる一群の笑話で、狡猾・頓智・皮肉・吝嗇などが話題となり、実在の人物として語られる。赤陣太(八幡浜市)・黒助(城川町)・茂兵衛(津島町)・黒おじ(御荘町)などが挙げられる。しかし話の内容・主題によって他の昔話や笑い話の領域に分類包含されることになる。④業くらべ…術・大力・大食・法螺・歌・庇ひり・意地くらべなどがある。多くの誇張・滑稽の要素を含んでいる。⑤知恵くらべ…和尚と小僧話の巧知譚や殿様難題を百姓が解決して褒美をもらう話など、知力のくらべ合いを主題とした話が展開される。⑥愚か者…馬鹿婿・馬鹿息子・馬鹿嫁・馬鹿娘・愚か村など、愚か者の愚行を主題とした話である。述上の三つの昔話のほかに、次々に事柄を追っていく連鎖譚や長い名前を持つ子供、果なし話などを含む形式譚がある。さらには、実話や体験談の形式をとって、現実の事件に即した不思議・感動・滑稽などを語る世間話がある。

 愛媛昔話の発掘

 愛媛の中・近世史書や、戦記・実録・お家騒動記・世家・列伝・随筆・紀行・日記・教訓物などの近世書誌のなかにはときどき昔話や世話話が見受けられるが、昔話を中心とした書物はない。江戸時代に伊予の地の外にあって出版されたもののなかに、伊予の怪談・奇談が記載されているものがいくつかあるが、これとても伝説的なものであって昔話としての要件を満しているものではない。明治以降、愛媛で昔話を意識して収集されはじめたのは戦後のことである。大正のはじめ頃から柳田国男の提唱する日本民俗学が常民の伝承に学問としての眼をむけ、地方史書研究・編さんの副産物として、歴史事実としては認めがたい伝承としての伝説を書きとめていった。それらは書物からの抜き書きであって、常民からの聞きとり調査によるものではなかった。したがって、常民の語り伝えによる要素を強く内包する昔話は地方史家の収集の対象外に置かれた。また常民のなかからも自らが伝承してきた昔話を記録しようとする意欲も芽を出さなかった。昔話は愚にもつかない暇事であって何の価値もないこととして一笑に付されてきた。昭和三年、秋山英一は『いしづち山及び道前の伝説と情話』を書いた。情話は色艶めいた話ということではなく、心温かい話という意味であろうかと思われる。民話・昔話に通ずることばと受け取ってよい。戦後一〇年を経て『伊予の民話』(武田明昭33)が出版された。武田明は香川県在住の民俗学者である。愛媛の民話が県外人の手によって著述されたことは幾分かの皮肉をこめた刺激であった。
 愛媛新聞は「愛媛の昔話」七話を(昭34・1・31~2・6)、つづいて「続 愛媛の昔話」四五話(6・9~8・5)を連載した。いずれも読者の投稿原稿である。さらにこの企画は担当者の添削を受けることなく記事末尾にわざわざ(原文のまま)と註記されて三〇話が「愛媛の昔語り 第三部」として掲載された(昭35・1・13~)。「愛媛の昔語り 第四部」は投稿者の住所・氏名を明記して一二五話が長期にわたって連載された(3・19~)。それらは地方語の微妙ないいまわしをそのまま生かした民話、とくに昔話の味わいを直截に訴えるものであった。挿絵は真鍋博が担当した。真鍋は第四部から百話を選んで『愛媛の昔語り』を出版した。(図表「愛媛の昔語り」参照)
 その後、愛媛の民話は全国的な民話ブームとともに堰を切ったかのごとく出版される。伝説と銘打ったものを除いて、民話あるいは昔話と題したものを拾ってみても枚挙にいとまがないほどである。『ふるさとのはなし 9 山陽・四国地方』(宮脇紀雄 昭41)、『民話・民謡 保内・伊方・瀬戸』(川之石高校文芸部 昭41)、『えひめ昔ばなし』(森正史 昭42)、『民話・民謡 赤陣太物語』(川之石高校文芸部 昭42)、『すねぐろ物語』(和田良誉 昭43)、『日本のわらい話』(川崎大治 昭43)、『日本のおばけ話』(川崎大治 昭44)、『ふるさと9 北から南から 四国地方』(宮脇紀雄 昭44)、『玉川の民話』(玉川町教育委員会 昭44)、『おんだらいだら物語』(和田節夫 昭44)、『だいろくてん物語』(和田良誉 昭45)、『宇和民話集』(門多正志 昭46)、『からすのすこっぺ物語』(和田節男 昭46)、『ふるさとの民話』(大島郷土研究会 昭48)、『伊予の昔話』(和田良誉 昭48)、『伊予のとんと昔』(和田良誉 昭50)、『味生のいいつたえ』(亀下寿 昭50)、『西海の郷土史話と民話』(鈴木泰助・吉岡忠 昭50)、『愛媛のむかし話』(愛教研国語委員会 昭50)、『越智郡むかしむかし』(越智郡公民館連絡協議会 昭51)、『里の昔話』(丘頭茂 第一集昭51・第二集昭53・第三集昭55・第四集最終回昭57)、『伊予大三島の昔話』(日本口承文芸会 昭51)、『きたうわの民話集』(北宇和郡連合婦人会地区長会 昭51)、『伊予の民話』(和田良誉 昭51)、『日本の民話13 四国』(坂田員和 昭52)、『津島の伝説・茂八でっぽう』(永長明美 昭52)、『ふるさとのおはなし』(松山市連合婦人会ふるさとのおはなし編集委員会 昭52)、『鴫山物語』(菊池武美 昭52)、『小田の民俗』(昭50)、『柳谷の民俗』(昭51)、『美川の民俗』(昭52)(北九州大学民俗研究会)、『日吉村の民話』(北宇和高校日吉分校社会科 昭53)、『創作民話 にいはま』(蓮尾勇翠 昭53)、『松山のむかし話・民話』(松山市教育委員会文化教育課 昭53)、『津島町の民話・第一集』(津島町教育委員会 昭53)、『日本の民話10 四国』(稲田浩二編 昭54)、『城川のむかし話・民話伝説』(城川町教頭会 昭54)、『日本昔話通観22 愛媛・高知』(稲田浩二編 昭54)、『新宮村の昔ばなし』(信藤英敏 昭55)、『城川のむかし話・第2集』(城川町教育委員会 昭55)、『ふるさとの民話19 愛媛県の民話』(日本児童文学者協会 昭55)、『南郡の民話』(南宇和高校文芸部 昭55)、『えほん えひめのむかしばなし』(えほんえひめのむかしばなし研究会 ①昭55・②昭56)、『中島のむかし話』(中島町教育委員会 昭57)、『三間町のむかしばなし』(三間町教育委員会 昭57)、『重信のむかし話』(重信町教育委員会 昭58)、『石鎚の昔話 第一話・第二話』(平井辰夫 昭57・58)、『山口崇 民話の出逢い』(愛媛県文化振興財団 昭59)などがある。

 愛媛昔話の処遇

 昭和二三年に発行された昔話の書物に『日本昔話名彙』がある。柳田国男監修、日本放送協会編で、日本放送出版協会の発行である。完形昔話(誕生と奇瑞・不思議な成長・幸福なる婚姻・まま子話・兄弟の優劣・財宝発見・厄難克服・動物の援助・言葉の力・知恵のはたらき)、派生昔話(因縁話・化物話・笑話・鳥獣草木譚・その他)に分類され、( )内のそれぞれの分類見出しはさらに昔話の具体的な話型がかかげられて全国の昔話が挙げられている。愛媛の昔話はわずかに九例が顔を出しているにすぎない。戦前の愛媛県に民俗研究団体がなかったことと、民俗学および類似の機関誌への投稿参加者が少なかったことがその原因である。わずかに「周桑郡郷土研究彙報」(周桑高女内郷土研究会 昭5~7)が「資料の解説」に記載されているだけである。しかし『日本昔話名彙』所収の愛媛の昔話にはここから引用されているものは一例もない。「地方叢談」「ひだびと」とある二例を除いてはすべて「昔話研究」誌に掲載されたものである。

 誕生と奇瑞 桃太郎…北宇和郡 昔研ニノ一三一 鬼退治の家来は石臼・針・馬糞など。 瓜子姫子…北宇和郡 昔研ニノ一三一  「瓜から生れたお姫様」 瓜から生れた娘が機を織るだけ。
 幸福なる婚姻 温泉郡怒和島 蛸屋惣兵衛という貧乏漁師、伊勢参りの途に鴻池の娘にあい、欺いて聟となる。
 財宝発見 取付く引付く…北宇和郡 昔研ニノ一三一  「ヒッツコウカ」
 動物の援助 花咲爺…北宇和郡 昔研ニノ一三二 「花咲爺」
 知恵のはたらき 松山市 地方叢談 荏原の金平狸 八股榎下の八股狸。
 笑話 北宇和郡 昔研ニノ一三〇 「伊勢海老の腰はなぜ曲ったか」
 (海老と大鳥) 昔、大きな鳥がいて、他の鳥から大きい大きいと褒められるので慢心し、諸国漫遊に出かけた。海の上を飛んでいたが疲れたのでそこに出ていた一本の杭にとまると「わしの口ひげにとまるものは誰そ」という。これが伊勢海老で、話を聞いて、それなら俺ほど大きいものはあるまいと今度は海老が漫遊に出かけた。途中で疲れたので、とある洞穴へ入って休んでいると「わしの鼻の穴へ入った者は誰ぞ」という。よく見ると、これが大きな魚の鼻の穴で、これがくしゃみをしたので伊勢海老は吹飛んで、岩にぶっかって腰が曲った。だから自慢をするものではない。

 鳥獣草木譚 かちかち山…上浮穴郡 ひだびと九ノ五 前段のみで仇討の段はなし。相手は狸でなく猿。 北宇和郡 昔研ニノ一三一 「カチカチ山」 婆の米搗前は略。仇討も木舟・泥舟が先で、その後小屋で焼き殺す。カチカチ山、ブイブイ鳥の問答。
 『日本昔話名彙』に収載されている愛媛の昔話の数は余りにもわびしいが、それは昔話そのものが乏しかった故ではなくて、記録収集され、報告されなかったためである。じつは愛媛でも昔話は豊かに語りつがれていた。

 ばばの面(図表「ばばの面」参照)

 西条市に伝わる昔話を児童文学の立場から大西伝一郎が再話した「ばばの面」が『愛媛県の民話』に収録されている。

 とんとむかし。伊予西条の山ふもとに心のやさしいじいさんがすんでおったと。
 じいさんが、ある日、田んぼでしごとをしていると、ヘビがカエルをのもうとしておったと。じいさんは、かわいそうにおもって、「これこれ、ヘビよ、カエルをたすけてやってくれや。」と、たのんだんじゃが、ヘビは、カエルをくわえたまま、はなそうとしなかったそうな。じいさんは、どうぞして、カエルをたすけてやりたいとおもって、「うちのむすめを、おまえのよめにしてやるけん、こらえてやれや。」と、いうたそうな。すると、ヘビは、いままでくわえていたカエルをはなして、草むらの中ヘスルスルとすがたをけしてしもうたそうな。
 じいさんは、やれよかったとおもったが、ヘビとのやくそくがしんぱいになって、晩げになって家へもどると、いちばん上のむすめをよんで、いったそうな。「おまえ、ヘビのところへよめにいってくれんか。」
 ところが、あねのむすめは、「いやじゃ。ヘビのところへよめいりするなんて、とんでもない。」いうておこったそうな。じいさんは、二番めのむすめに、「おまえ、いってくれんか。」いうたが、「うちだって、いやしゃ。そんなら、ねえさんがいけばええじゃ。」いうて、きいてくれなんだそうな。じいさんはしかたがなく、すえのむすめに、「おまえいってくれんか。」いうたんだと。すると、むすめは、「じいさんが、そんなにこまっとるんなら、うちいってあげる。」といってしょうちしたそうな。
 いよいよ、あすはヘビのところへよめにいくという日、すえのむすめは、じいさんにたのんだ。「お経、千巻もっていきたいんじゃ。」
 じいさんはいわれたとおり、お寺でもろうてきてやったんじゃと。
 あくる日ヘビは、若者にばけてむかえにやってきた。
 むすめが、若者につれられていくと、川をどんどんのぼっていきよる。そして、とちゅうの淵までくると若者は水の中へはいってしまったんじゃと。「はよう、こんかい。」
 若者は淵の中から、大声でむすめをよんだんじゃと。
 そのとき、むすめは、もってきたお経を、その淵めがけてなげこんでおいて、経文をとなえたんじゃそうな。
 すると、淵の中からうずまきがおこって、波だったかとおもうと、みるみるうちに、淵の水がまっかにそまって、大きいヘビの死がいがうかびあがったんじゃと。
 お経のおかげでいのちのたすかったむすめは、よろこんで、さて、家へもどろうと、どんどん山道をくだっていった。だが、いつのまにか道にまよったらしく、いつまでたっても、里へはでられなんだそうな。
 日はとっぷりくれるし、風はヒュウ、ヒュウふくし、むすめはおそろしくなって、こばしりにあるいておったそうな。
 すると、木のあいだから、ちらちらとあかりが見えてきたそうな。「こんなところに家があったわい、やれうれしや。あの家にとめてもらおう。」
 むすめは、ようやくのことでその一けん家までたどりつくと、トントンと戸をたたいた。すると、ひとりのばあさんがでてきたそうな。
 それが山んばじゃったと。「おねがいじゃけん、ひと晩とめてつかあさい。」 むすめは、山んばでもなんでもええ、とにかくとめてもろうたらええんじや、おもうてたのんだそうな。すると、山んばは、「いまはでかけとるが、うちには、おにがおるけん、いけん。いねや。」いうたそうな。それでも、むすめは、つかれきっとったけん、もういちど、「どうぞ、とめてください。」いうたんじゃそうな。そしたら山んばは、しばらくかんがえておったがのう、「とめることはでけんが、そのかわり、これをもってけや。」いうて、おくへいって、ばばの面をとってきて、くれたそうな。
 この面さえもっとったら、どないおそろしいものがでてきても、こわないぞ。」
 むすめは、ばばの面をかむって、また、くらい山道をあるきはじめたそうな。
 だんだんさがっていくと、おにがたき火をしているところにであったんじゃと。「ああ、人間じゃぞ。とって食ったろかあ。」
 おには、むすめを見た。じゃが、なんせばばの面をかむったしわくちゃな女だったんで、「こんなおばば、食っても、うもうない。」いうて、どうもせなんだんじゃと。
 それからまた、どんどん山をおりていくと、長者さまの家の門のところにでたんじゃそうな。むすめは、「もう家のもんは、ヘビのよめさんになったとおもうとるけん、家へかえってもしゃない。」おもうて、その家の下男に、「あたしを、この家でつかってくれんかのし。」といったんじゃそうな。「おまえみたいなおばばじゃ、女中にはでけんが、なんかしごとがあるかもしれん。たのんでみたろわい。」いうて、おくへたのみにいってくれたそうな。やがて、その男がでてきて、「いまちょうどええぐわいに、ふろたきをさがしとったんじゃそうな。おまえさん、それでもええんなら、はよう、ふろたきをしておくれ。」いうて、とうとうむすめは、そこでふろたきになったんじゃと。
 むすめは、まい日まい日、灰まみれになって、ふろがまのすすをはらい、井戸から水をくみ、まきをもした。おかげて、顔はよごれ、手はかさかさじゃ。まるで、ほんもののばあさんのようななりではたらいておったと。
 あるとき、一日のしごともおわったんで、たまにはええじゃろと、みんながはいりおわったあと、ふろにはいらしてもろたんじゃと。ばばの面をぬいで、きれいによごれをあらいおとした。
 すると、ええ気もちになったので、ばばの面をぬいだまま、じぶんのへやで声をだして、本をよんでいたんじゃ
 ところで長者には、ひとりむすこがおったんじゃが、どこからともなく、ええ声で本をよむ声がきこえてきたんで、びっくりして、声をたどりたどり、いってみると、ふろたきばあさんのへやじゃ。
 ふしぎにおもってへやの中をのぞいたら、いままで見たこともないほど、うつくしくてかわいいむすめが、本をよんでいたんじゃと。「ああ、あの子をおよめにほしい。」
 むすこは、そうおもったとたん、きゅに病気になったんじゃそうな。
 あくる日になっても、そのつぎの日になっても、むすこは、ぶつぶついうだけで、ようおきてこん。
 長者さんも家の衆も、みなしんぱいして、お医者さんをよんでみてもろうたが、お医者は、あたまをひねりひねり、「これはなんの病気じゃか、わけがわからん。」いうだけで、さじをなげてしもうたそうな。
 そこで長者さんは、法印さんをよんで、ごきとうをしてもろうたんじゃと。すると、法印さんは、「これは、恋のやまいじゃ、はようよめさんをもろうてあげなされ、そうすればなおる。」と、いうたんじゃそうな。
 そこで長者さんは、よいむすめはおらんか、ほうぼうをさがさせたんじゃと。「うちのむすめをもろうてつか。」「いや、うちのむすめはべっぴんじゃで、もろうてつか。」
 大長者さんじゃけん、あとがらあとがら、およめさんのもうしこみがあって、それをむすこに見せたが、どれもみな気にいらんのじゃと。長者さんは、「おまえ、どこぞにすいたむすめがおるんじゃろ。どこ
のむすめじゃ。」と、むすこにきいたそうな。するとむすこは、「この家の中におるんじゃ。」いうもんで、長者さんは、はたとひざをたたいて、「おお、そうじゃったか。一番女中のお光じゃろう、あれならもうしぶんないわ。」いうて、むすこに長者さんの家ではたらいている女中たちの中で、いちばんうつくしいむすめを見せたそうな。
 けど、むすこはちがうという。長者さんは、はたらいているむすめをひとりのこらず、じゅんじゅんに見せたが、それでも、うんとはいわん。「これで家のむすめは、ぜんぶじゃ。あと、女といえば、ふろたきのばばあしかおらんが。」
 長者さんが、まさかとおもいながらそういうと、むすこは、「うん。そのふろたきばあさんをもろうてつか。」と、いうたそうな。
 「ええっ、あんなばばあをか……。」
 長者さんはたまげたが、むすこがこのまま死んでしもうたらたいへんじゃけん、「ええわ、もろうてやるわ。」いうたんじゃと。むすこは、とたんにげんきになったそうな。
 しかし、長者のよめが、うすぎたない、みすぼらしい身なりではこまるとおもうたけん、からだをあらって、ええきものをきせてみたら、すこしはましになるじゃろうおもうて、ふろにいれさせたそうな。
 ところが、ふろからあがってきたむすめを見て、長者さんの家のもんは、「これが、ほんまにあのふろたきばあさんか。えらいべっぴんや。」と、びっくりしてしもうた。おまけに、ええきものが、ようにあう。みんな、ほれぼれとむすめに見とれていたそうな。
 むすめは、いままでのことを、ぜんぶ、長者さんの家の人たちにはなしたそうな。長者さんはおどろくやら、かんしんするやら。大よろこびで、むすこと祝言をあげさせたそうな。
 むすめは、長者さんのむすこといっしょに、どっさりとおみやげをもって果がえりしたんじゃと。「おお、おまえ生きとったんか。」
 もうとっくにへびに食われて死んだものとおもっておったむすめの家のもんは、すえむすめが、ぶじなだけでなく、いいおよめさんになってかえってきたので、大よろこびしたそうな。

 この昔話は「姥皮」型の昔話である。本来は継子話のひとつであるが、姉妹型として話されている。室町時代の物語に『うばかは』があり、江戸時代初期頃には奈良絵本にもなっている。老婆に身をやつした姫君が釜の火焚きとなるが、姥皮をぬいだところを見染められ幸福な結末を得る型である。その発端は蛙報恩や蛇聟入であって、釜の火焚となって身をやつすところが要件である。変装用の着物は頭巾・蓑・婆の皮という綿帽子・どんざの着物などであるが、愛媛では面となっているのが特徴であろう。再話者が西条に伝わる姥皮型昔話の素話を再話以前にどのような形として受容したのか詳細は知りえないが、少くとも「ばばの面」と題して構成した原話のなかには蛙報恩・蛇聟入・姥皮の要件がなんらかの形で伝えられていたものと思われる。
 『日本昔話名彙』にわずか九話しか顔を出していない愛媛の昔話は、じつはその底辺に多くの型の昔話を包蔵しており、静かに語りつがれ、ひそやかに愛されてきたことは、昭和三〇年代後半以後の全国的な民話ブームにうながされて県内で再評価された昔話が堰を切ったように記録刊行されたその内容の多彩豊富さによって立証される。

 愛媛昔話の登場

 昭和五二年、『日本昔話事典』が刊行された。昔話研究の現状に応じて、その伝承の実態を重んじながら、昔話の話型・主題・構成要素を挙げて適切な解説がつけられている。さらに関連する神話・伝説・語り物にも触れ、地方伝承についてもその問題点を掲げている。例えば「トッポばなし」の項が立てられているのはその一例である。項目分類は、総論・伝承伝播・話型・昔話形式・モチーフ・要素・世間話・伝説・神話・語り物・民謡・ことわざ・文献目録・地方別研究・外国の昔話、と広範である。この事典の土要項目である話型は六一〇型が挙げられている。執筆者・資料提供者として愛媛県からは和田良誉の名が見える。「百話クラスの語り手」のところには本県の井上ツルノが顔写真とともに紹介され、〝愛媛県八幡浜市日土町今出 明治33年生まれ 和田良誉『伊予の昔話』(日本放送出版協会)、同『伊予のとんと話』(講談社)〟の記事がある。この事典の資料となったと思われる「日本昔話資料集目録」は、明治以降昭和五二年六月までに刊行された単行本を主とし、民俗誌・伝説集のうち昔話を含み重要と思われるものが掲げてあり、「愛媛県」では次の書籍がかかげられている。

『周桑郡郷土彙報』 『伊予の民話』 『愛媛の昔語り』 『伊予路の歴史と伝説』 『えひめ昔ばなし』 『赤陣太物語』 『玉川の民話』 『おんだらいだら物語』 『だいろくてん物語』 『宇和町民話集』 『今治の伝説』 『佐田岬とっぽ話 からすのすこっぺ』 『広見町昔話集』 『広見町笑話集』 『小田の民俗』 『伊予のとんと昔』 『伊予大三島の昔話』

 昭和五二年六月までに刊行された単行本としては、いくらかの洩れはあるとしても妥当な書目といえよう。
 ついで、昭和五四年『日本昔話通観』第22巻として「愛媛・高知」が刊行された。全三二巻のうちの第八回の配本である。稲田浩二・小沢俊夫が責任編集し、本県の篇別編集委員は和田良誉である。その「資料目録」は単行本のみならず稿本をも掲げることとしている。『日本昔話事典』資料集目録に掲げられている資料書目以外では、※単行本(稿本を含む)…なし、※雑誌…「旅と伝説」3-11 横田伝松 伊豫の伝説・「昔話研究」2-3 山口常助北宇和昔話―愛媛県北宇和郡下波村・「ひだ人」10 増田増夫 昔話三題、※地誌民俗誌類…『宇和地帯の民俗』(和歌森太郎編)・『伊予路の歴史と伝説』・『小田の民俗』『柳谷の民俗』が挙げられ、「参考資料」としては『波方の民話』(波方小学校編)・『とっぽ話』(近永小学校)・『ふる里の民話』(吉海町教育委員会)・『日本の民俗38 愛媛』(野口光敏)・『西海の郷土史話と民話』・『愛媛のむかし話』・『越智郡むかしむかし』・『伊予三島市の歴史と伝説』(伊予三島市教育委員会)・『きたうわの民話集』・『伊予の民話』(和田良誉)・『茂八でっぽう』・『松山のむかしばなし』・『愛媛の伝説』(愛教研学校図書館委員会)・『美川の民俗』が掲げられている。これらの書誌のうち直接に『昔話通観』の資料として生かされているのは「資料目録」のうちの※単行本が主体であるかのごとく思われ、「参考資料」は書誌名としてのみ掲げられているようである。前出 愛媛昔話の発掘 に掲げた書目とくらべて偏りがあることはいなめない。愛媛の昔話を資料的に収集する場合、県立図書館・伊予史談会・松山商大所蔵の稿本や市町村誌、各史談会などの雑誌、県文化財保護協会の「愛媛の文化」、県教委の民俗調査報告書などにも及ぶのが適当である。これがための研究機関・組織が、民話研究の専門家を中核として発足することが望まれよう。

 愛媛昔話の主題

 昔話の話者が、何について話すのか、その〝何〟が主題であるといえよう。祖父母から孫へ、親から子へ、話巧者な近所の爺や婆から童どもへ、〝何〟かが話し継がれてきた。
 主題によって、昔話は分類集約され、比較検討されてその個々の持つ性格や本質が解明になる。このことは地域文化の特質や地域住民の志向をも明確に浮かび上らせることにもなる。そのいくつかを摘出してみる。

  姥捨山

難題型…漆塗りの棒のどちらが元か末か印を付けよといわれたんよ。年寄りはきたないから、口減らしのために捨てておるとこがあってな。息子が捨てかねてお婆さんを床下にかこうとったんと。へてから、隣の国からこの朱塗りの棒を持って来て、印をつけよというんと。そして灰の縄といっしょに持ってこんと国攻めするというんと。お殿さんは太鼓打って家来を集めたけんど知恵がある家来がおらなんだんで民百姓にまでお触れが出て、知恵のある者は誰でもかんまんけん連れて来いということになったんと。そしたらお婆さんが「馬鹿じゃなあ、お前らはそがいなことさえ知らんのかな。浜の塩水に藁を漬けといて、それで縄を絢うて、陰干しして、金属の平鍋にちゃんと置いとってその縄の端から火をつけてゆっくり燃やしなはいや。そしたら灰の縄が出来らい。いらいさえせなんだら灰の縄ですらい。棒の本末は水に浮かしてみなはい。すぐわからい。元の方は重たいけんちょっと沈むのよ。こうちょっと沈んだ方が元のほうよ」というたんと。息子は灰縄をこしらへ、漆棒の本元の印のつけかたをお殿様に教えたんと。そしたらお殿様は喜んで「褒美をやるから遠慮なく望みの品を言うてみい。」と言われたので、「何もいりませんけん、婆さんを床の下から出して一緒に暮したい。」と言うたんと。お殿様はお婆さんをかこっとった事を許して、「もう年寄りを捨ててはいけん。」というたんと(三間町)。 漆棒は川へ流してみると元が先に流れる(小田町)、髪をどのように括ったら解けるか女の髪を左に揉んだら解ける(柳谷村)、打たぬ太鼓に鳴る太鼓、お手振り袖振りというものを作って持参せよ→太鼓の中へ蜂を封じて持参〈太鼓を転がすと蜂が暴れまくって打たなくても太鼓が鳴る、太鼓の皮を剥ぐと蜂が飛び出し刺そうとするので殿様があわてて手を振り袖を振る〉(柳谷村)、曲りくねった石の小穴に糸を通せ→穴の出口に蜂蜜を塗り馬のひげを蟻にくくりつけて通す(三問町)。
担い棒型…昔、六〇過ぎたら、子が担うて人捨場に捨てよった。男が孫といっしょに親を捨てにいって担い棒も捨てたら、孫が「その棒捨てたら損じや、お父を捨てるときわしが使うんじや。」というたので親を連れて戻った(小田町)。 他に、車(三間町)、いぐりもっこ(大三島町)、駕籠(三間町)。
枝折型…子が親を捨てに山道を行く。背負われた親は子が帰途に迷わぬよう途中の草木を折っていく。子を思う親の心に感じて子は親を連れもどす。
枝折・難題型…枝折型のあとに難題型が続けられる。酒泉型…昔は酒がでけたら酒屋には笹を立てよったがいの。昔は、年寄りは山へ連れていって捨てよったらしいの。かわいそうなけんど竹やぶへ持って行ってな。そいから、どうも孝行な息子じゃけに隠して飯を持って行きよったらしいの。お爺さんは食い余った飯を竹の伐り株に入れとったら雨が降って水がたまったなんかしたら自然に酒になったんじやな。そこへ雀が飛んで来て竹の中の水を飲んだらしいな。飲んだところで雀がバタバタ倒れたけん、お爺さんは息子に苦労けまい、竹の中の毒を飲んで死のうと思うて飲んだら甘うて気持がようなったんで、息子が来たんで、そいで何したんじゃがいうて息子にお前も飲んでみいというた。お爺さんの酒がえらい評判になって連れ戻そうということになってな、そいで新酒がでけたらああいう笹を立てよったがな(小田町)。

  蛇婿入り

立ち聞き型…娘のところへ若い衆が毎晩草履をはいてくるが帰りははだしで帰る。母親は九九足の草履を貯めておいて娘に誰かと尋ねるが娘は知らぬという。娘が男のあとをつけることにし、二人の着物の褄を縫い合わせて糸を長くして隠しておく。男は蛇の姿となって板戸の節穴から出て行く。池に入った糸を見て観音を念じていると池の中から話し声がして「わしは百夜通うたがもうこれまでじゃ。それでも蛇の子をはらましたのだから満足じゃ。」というと、その蛇の仲間が「人間をはらましてもつまらぬ。人間は、三・五・九月にお節供をして、桃・菖蒲・菊酒を戴くので蛇の子はおりてしまう。お前の負けじゃ。」と話している。娘は帰って母親にこの立ち聞き話を告げて節供の酒を戴いて蛇の子をもうけなかった(大三島町)。 娘のところに夜這いに来た若者の着物に苧をうんで針をつけ裾を三針縫っておき、翌朝その糸を辿って蛇淵に行き、母蛇と子蛇の話を立ち聞きする(小田町)。 釣り針の大きいものを鱗に刺す(柳谷村)、麻を針に通して男の胸に刺しておく(柳谷村)などがある。
針糸型…夜這いに来る若者を不審に思いおだまきを針のみぞに刺し袴のすそに縫いつけて跡を辿り蛇淵に至り蛇を生む。娘はのち雨乞い・安産の神として祀られる。火焚き娘型…「ばばの面」の例話に示した型である。西条市のほか、伊予三島市金砂・柳谷村・内海村に類話がある。
水乞い型…蛇に娘をやると約束して田に水を入れてもらう。末娘が飄箪を櫃に入れて嫁入りし、淵の中に櫃を沈めて蛇を殺す。娘は蛇の鱗を火災除けとして持ち帰り金をもうけた(城辺町)。 今治市矢田の蛇池、久万町父二峰にもこの型の昔話が伝承されている。
蟹報恩型…吉海町仁江の蟹満寺の昔話、蟹が蛇退治。たらい子型…蛇の子のどろどろしたものをたらいにいっぱい生んで娘は死ぬ。蛇の淵に元旦に雑煮を投げこむ。蛙報恩型…娘に助けられた蛙が娘に害をする蛇を殺し恩を報ずる(広見町竜王滝)。

  七夕女房

 七夕を見染めた男が訪ねてくる。七夕の父が「山を拓く」「木を焼く」「粟をまいて収獲する」という難題を出す。男は七夕の援助でそれを果す。男は瓜畑の番をさせられ、瓜を切ると、洪水になる。七夕が木綿を幾反も流して助けた(城辺町)。 七夕の婿はお祇園さま。七夕の親は嫌って人食い馬に乗せるが、馬は祇園の願いを聞いて食わない。八反歩の田の蕎麦を刈らされると七夕が手を叩いて倒してくれる。祇園が七夕の忠告を忘れて瓜を割ると洪水になり七夕は流される。七夕が「七月七日に会いましょう」と叫ぶが、耳の遠い祇園が問い返すと天邪鬼が「七月七日」という。七夕が七桶半の苧をうんで三日三晩にわたって流すと祇園はそれにつかまって向う岸にあがった(一本松町)。

  難題婿

歌の謎型…「恋しくば訪ね来い十八の国、百たん木なる木の下、かけてくさらん一の橋、紺の暖簾に夏の虫」などの歌の謎をといて男が婿入りする(伊予三島市金砂)外。一把の藁型…隣りに悪い息子がありましたもんやな。その子が嫁さんもらいに、その娘をもらいにいったら、お婆さんが「一五把の藁を三口に詠んだらやる」言うてお婆さんが言うたら、その息子が「ちょいと入れば庭でござる。―昔は百姓は鍬を掛けよりましたからな、耕す鍬をな―庭の隅には鍬でござる。婆さんの顔にはしわござる。」言うてなし、嫁さんもろうて帰ったという話だすわ(三間町)のほか、長々話の話婿・婿肝試し・石負い婿・縄綯い婿などがある。

  運定め

男女の運型…商人が山の神に宿を借りると粟八斗の福を持つ女の子と、七歳のとき鱶に食われて死ぬ運命にある男の子が生まれたという話声がする。男の子は鱶の絵を書いた扇子で喉を突いて死に、女の子は箕売りの妻となっていたが死別し、のち酒屋の妻となって繁盛した(宇和島市蒋淵)のほか、ノミの運…猟師が本の下で雨宿りをしていて、生まれた子供が七歳でノミに食われて死ぬ運命にあることを知る。大事に育てるが大工の鑿が落ちて子供は死んだ(内海村)、水の運・水の神など。

  蛇女房(図表「蛇女房」参照)

蛇娘型…悪徳の米商人がいた。二桝二量りといって、買うときは大きい桝で、売るときは小さい桝で売る。その崇りで娘は蛇になり小松ヶ池に行かなければならない。途中で家に泊めてもらうことになるが部屋がないので上間の三椏を蒸す桶の中で寝る。親は「七日間は桶を開けてくれるな」と言って帰るが家の主人が四日目に開けると、娘の体は半分が鱗で半分が小判に変っていた。娘は池の主となり、親が会いに来て「一度顔を見せてくれ」というと娘の姿で現われたが「もう二度と来てくれるな」と言って水中に消えた(柳谷村)。
目の玉型…貧乏ではあるが優しい男がいた。あるとき川端できれいな娘が泣いている。道に迷ったという。男は家に連れ帰り痛めていた足を治療してやる。夫婦となって仲良く暮して子供が生まれた。嫁は「家の門まで帰ったら咳払いをしてくれ」という。不思議に思って咳払をせずに家のなかをのぞくと蛇がうずくまっているので声をかけると美しい嫁の姿になった。嫁は「正体を見られたのでお別れせねばならぬ。用事があれば万が池に来てくれ」と帰る。子供が泣くので困って池に行って話すと、しゃぶらせてやってくれと自分の目玉をぬいてくれた。子供はそれでずんずん大きくなる。名主はそれを聞いて目玉を取りあげたので男が池に行くともう一方の目玉を呉れて「これからは日暮れも夜明けもわからぬので、明けと暮れ六つの鐘を撞いて合図してくれ」と言って姿を消した。それでお寺では朝夕の鐘を撞く(八幡浜市日土)のほか蛇淵型(松山市湯山)がある。

  子育て幽霊

出世型…八幡浜市日土・保内町川之石の幽霊和尚、今治市明積寺・松山市大林寺の学信和尚など。
誕生型…今治市鳥生寺などの六文銭と飴にまつわる話。

  継子の椎拾い

山姥援助型…継子は底のない袋、本子は底のある袋を持って椎拾いに出かける。継子は袋が一杯にならずに困りはて、その夜は山の中の家に宿を求める。婆が「ここは鬼の宿で危険だから二時頃に鶏のなき声を真似たらよい」と教える。鬼は夜が明けたと思って逃げていく。継子は婆さんの虱を取ってやり褒美をもらって帰る。継母は本子に底なし袋を持たせる。婆の家に泊って教えられたとおり鶏鳴を真似るが、鬼は昨夜だまされたことに気づき腹をたで本子を食べてしまった(三間町・小田町・八幡浜市)のほか、本子援助型(内海村)などがある。

  食わず女房

食べさすのが惜しいので男が嫁をもらわずに働いていた。ある日、飯を食べないから嫁にしてくれという女が来たので嫁にする。男が仕事から帰ってみると米が減っている。翌日、天窓からのぞいて見ると、嫁は大釜で飯を炊ぎ、二つに割れた頭を突っこんで飯を食べている。男はそしらぬ顔をして、やっぱり独りがよいと嫁を去なすことにすると、嫁は最後の願いに棺桶をつくってくれという。嫁は急に化け物になって男を押えつけ棺桶に閉じ込め山に向う。男は柊の枝で蓋をあけて逃げる。追いかけてきた化物がうしろから「晩になったら蜘蛛になってお前を食べ殺す」という。男は家に帰ると、天窓の下に炭火をおこして待ちうけ、やって来た蜘蛛を焼き殺した。以後、「夜の蜘蛛は親に似ていても殺せ」という。他に、蜘蛛女房型(松山市高岡町・川之江市金田・久万町・小田町・三間町・城辺町・八幡浜市・一本松町)や露見型(柳谷村)がある。

  舌切り雀

隣の爺型(大三島町・柳谷村・八幡浜市・三間町)や、試練型・異郷訪問型(宇和島市下波)の話を伝えている。

  炭焼長者

炭焼のところに女房が来て米を買う小判を渡すと池の鴨に打ちつける。裏のかま場に黄金があることがわかり、炭俵につめて出し長者になる。これが住友のはじめであるという(川之江市金砂)をはじめ、類話は多い。

  河童の賜り物

正保(一六四四~八)の頃、新居浜市新須賀の青戸御引淵のあたりに岡田新兵衛通雅が馬を繋いでおいた。淵からエンコが出てきて手綱を身にまきつけ馬を淵に引き込もうとした。馬は驚いて跳ねあがりエンコを引っ張ったまま一目散に主家に駆けもどった。家人が寄ってたかってエンコを叩き殺そうとしたが、新兵衛は制止し戒めて放してやった。翌朝から毎朝、流し場に鯛が届けられる不思議がつづいた。三〇日ほど経って女中がひどく罵ったのでぷっつり届けられなくなった…という。河童の悪戯―救命―報恩型の昔話は、大洲市の淵童、柳谷村の瓜盗人河童、三瓶町や三間町・津島町のエンコ、城辺町庄屋二神伝兵衛の妻にまつわる猿猴皿などがある。

  吸い付こうかぁ食いつこうかぁ

爺が婆につくってもらった弁当をもって山に行き木を伐っていると「吸い付こう吸い付こう」というものがある。爺は「吸い付きぁ吸い付いてみよ」と言うと、宝物がいっぱい吸い付いている。隣りの悪爺がそれを聞いて婆のこしらえた弁当を持って山へ行くと案の定「吸い付こう吸い付こう」と声がする。しめたと思って「吸い付きぁ吸い付いてみよ」と叫ぶとクチナオや化け物がいっぱい吸い付いてきた(三瓶町)話は八幡浜市、宇和島市の祝森・下波、三瓶町、一本松町などにもある。

  長柄の人柱

大きな川をはさんで村があり大雨が降ると渡れない。両方の村で相談して橋を架けることになったが土台が崩れてしまうので人柱をたてることにしたが誰も申出ない。役人が「横継ぎのあるものを人柱にしたらよい」と言い調べたが誰もいない。最後に役人のをしらべてみると袴のすそに横継ぎしていた。役人は人柱にたち立派な橋ができた。役人の嫁が「ものは言うまい、もの言うたからに、うちの主人は人柱」と嘆いた(八幡浜市)という話は、縞の着物に絣の継ぎ・着物の背縫いで糸つなぎなどの人物が人柱に選ばれ、結末部には歌が付けられている。

  鼠の楽土

山仕事に行っている爺が団子をつくって持って行く途中で穴の中に落した。婆が穴の中をのぞくと「猫さへ来うねば豊年々々」とはやしながら鼠が餅を搗いているので婆は猫の鳴き声の真似をすると鼠は逃げてしまう。穴に入って餅や大判・小判の宝物を持って帰る。隣の欲婆が翌日団子を作って鼠穴に落すと、鼠はいったんは逃げたが昨日のことがあるので引き返して来て欲婆を噛み殺した…隣の爺型や鳥の屁型は南予に多い昔話である。

  猿婿入り

百姓が稲田に水がなくて困り「水を引いてくれたら娘を嫁にやる」と立札を出す。猿が水を引いたので百姓が娘に相談すると上の二人は断るが、末娘が「嫁に行くから桶を作ってくれ」という。娘は猿に桶を負わせて山に向う。途中で川を渡るとき桶に水が入り猿は溺死する。娘は里に帰って庄屋の女中となり、ついにその嫁となった。(東予)。大三島町肥海では猿が狸に、桶が水瓶に変って話される。

  千匹狼

丹原町桜樹の山奥に新五郎という男がいた。女房と子供が男を嫌って相名山を越えて逃げていると峠で狼の千匹連れに出会った。女は子を脊負ったまゝ傍のオモの木に登って逃げたが、狼はお互いに梯子となって母子を追いつめ食い殺す。「新五郎恋しやおもの木や相名の峠や人たちや」の歌を女は残した(丹原町)。姿が狼型の話が伊予三島市金砂にあり、田植型は宇和町で伝えられている。

  継子の味噌煮

味噌豆を煮いていると坊さんが来て「食わせでくれ」と言うが家の者は断る。坊さんが釜の蓋を開けると継子が味噌炊きされていた。そこで今でも坊さんが廻るときは七軒まわって味噌豆を食べねばならぬ(柳谷村)とか、味噌豆を炊いたときは継子でないことを示すために隣七軒に味噌豆を配る(三間町)。

  笠地蔵(図表「笠地蔵」参照)

貧しい爺と婆がいた。正月の餅を搗く金がなかった。婆はへそくりを出して爺に餅米を買いに行かした。爺は途中で雪に埋もれた地蔵たちを見て雪を払って行く。爺は米屋と間違えて笠屋を起した。爺は夜遅く笠屋を起したことを済まなく思い笠を買い、地蔵にかぶせて帰る。婆に話すとよいことをしたと喜んでくれた。せめて餅搗き歌なりと歌おうかと爺婆が声を合わせて歌っていると外でも歌う者がある。出てみると搗いたばかりの温かい餅が縁側にたくさん置いてあり、笠をかぶった地蔵の後姿が夜の闇のなかを遠去かっていく(柳谷村)。来訪型の話である。久万町には招待型の笠地蔵話がある。

  蛸の足の八本目

今治小部の海岸で漁師のお寅婆さんが昼寝している大蛸に出合い、その足を一本切り取って町で高価に売る。つぎの日もまたつぎの日も大蛸の足を切り取って売る。八日目には足も頭もいっしょに持ち帰ろうと鉈をふり上げたら大蛸が叱ってお寅婆さんを巻いて海の中に引きこんでしまった。いまにお寅岩・蛸岩がある。類話は今治宅間の子育ての蛸足や大三島町の婆が岩としても話されている。

  手なし娘

継母が本子娘を可愛がり継子娘を排除しようとするがその長所はかえって顕れるので手を切断して片輪にする。しかし霊現によって手は再生し継子娘は幸福な生活をする(八幡浜市・三間町)嫁入り型のほか、中島町には…継子娘のお杉が殿様の側女となり男児を生んだ。下男に殿様への手紙を持たせると継母が「鬼子が生れたと書き変える。殿様がそれでも育てよと返事をすると継母は「片腕を切って連れ出せ」とすりかえる。お杉は片腕のない子供を脊負って行くと峠でお大師さまに会い子供の腕をつけてもらった。継母の腕はなくなった。信濃の国の峠でお杉餅を売っていた母子をお殿様は連れ帰る…という話もあり、伊予三島市にはお大師と手なしの母の話がある。

  鳥飲み爺

爺が畠で仕事をしていて昼になったが弁当を忘れていた。鳥を捕まえで焼いて食べると鳥の鳴き声と同じ屁が出る。殿様の行列に出合って珍妙な屁をして褒美をもらう。隣りの爺は真似たが失敗する。屁ひり爺の話である。屁の音は「ピンコ、ヒヨリ、ピイ」(八幡浜市)、「ピー、ヒヨドリゴエニ、サカズキシンシャン」(三間町)、「爺が田打ちゃ腰ぬかしてヒョロヒョロ」(一本松町)、「チンカ、ちょ鳥、チンカンベ、オショショ、どん百姓でみずかがみか」(三間町)などである。

  機織り淵

ある男がわくが淵で釣をしていると針に大物がかかったのか上がらない。淵に投びこんで探っていくと美女が糸を繰り機を織ろうとしていた。「ここは恐ろしい主がおる、早く帰れ」といわれ逃げ帰る(広見町)。柳谷村の水釜、肱川町の滝の口淵などにも類話がある。

  櫃貸し岩

面河村笠方に樽御前淵があり丸太橋が架っていた。淵の主の大蛇は客用本膳をいくらでも貸してくれた。「お膳三〇脚、小皿五〇枚、箸三〇人前」と頼むと翌朝丸木橋の上に揃えてあった。ある時不心得者が一枚の皿をこわして捨てた。おことわりもしないで返そうとしたら大蛇は皿の破片をくわえたまま姿を消しその後は誰が頼んでも貸してくれなくなった。こんな昔話は椀貸伝説と呼ばれ、木地屋が伝播したと考えられている。玉川町与和木のお櫃岩・古屋の谷のあなぐらさん・津倉の物貸し神様(狸)のほか、今治市上徳の大神宮岩や川之江市川滝の鶴椀淵などがそれである。

  桃太郎

鬼退治型のほか、猿蟹合戦と複合した型が宇和島市下波に伝わっていた。…婆が川で洗濯をしていて桃を拾って持ち帰り戸棚に入れておく。爺が帰って戸棚を開けると子供が生まれていたので桃太郎と名付ける。桃太郎は大きくなって鬼退治に出かけ、きび団子を与えて石臼・針・馬の糞・百足・むくろじを家来にする。鬼の家で、むくろじはいろりの中、百足は手水鉢、針は手拭、馬の糞は門口、石臼は門口の屋根に隠れて鬼の帰りを待つ。鬼はむくろじがはぜてやけどを負い、百足や手拭の針に刺されて逃げ出すと門口の馬糞で滑り転ぶ。その上に石臼が落ちてきてとり押えられ、最後に桃太郎に殺される。

  桶屋と山女郎

山婆や山爺や年功を積んだ動物は人間の行動・心理をすべて読みとると信じられていた。ところが、人間の意志にかかわりのない突発的な出来事や偶然の動きは予知することができぬので、やはり人間の方が一枚うえであると降参する。…桶屋が庭先で仕事をしていると目の前に山女郎が立っている。桶屋は心の中で鉄砲で撃ってやろうと思うと山女郎はそれを言い当てる。恐しくなって桶仕事に精を出していると、弾いた竹が山女郎に当たる。山女郎は「人間は心の中で考えてもいないことをする」と恐しがって逃げる(松山市)話がこれである。伊予三島市寒川には…金砂に古狸が出て畑を荒すので里の人びとが困っていたが退治しようにも人の心を読むので手出しができないで困っていた。狩人の関助が寒い夜焚火をしながら狸を待っていると「寒いねや、当らしてくれ」と出て来たが、焚火の青竹がはじけて火の粉が散り狸の毛を焼いた。「あいたた、思いがけんことをするねや」といいながら山奥に逃げて二度と悪さをしなくなった…話や、土居町の…赤石山麓に木こりの杣平四郎いた。毎日、五良津山で木を伐っていると天狗が出てきて、鷹の羽違いという木の伐り方を平四郎に伝授する。真似して伐っていたところ思わず天狗の片足を切り落してしまう。天狗は「思わんことをする」と言い残して飛び去った。思いがけぬ失敗をすると「やあ、杣平四郎をやったぞ」と言うようになった…話もこの類話で、桶屋の口承であろう。

  蜘蛛の糸

爺が山からの帰途、蜘蛛淵で休んでいると川蜘蛛が出て来て爺の足に糸をかけて姿を消す。三回もくり返すので怪しんで足の糸を傍の木に掛けたら地鳴りとともに木株が引き倒された(野村町)。美川村日野浦本組の、鉄砲の名人梅木が撃った大蛇が沈みこんだ蛇が淵などの類話がある。

  孝行面

松山市東野に孝行息子がいて薪を売って盲目の母親を養っていた。大晦日の日に、米を買った残金で鬼の面を買って帰ったところ母親が怒り息子は追い出される。山の中の広場で大人が焚火をして博奕をしていた。息子は近くで見ていたが顔がほてるので面をかぶり寝入ってしまった。大人は鬼がいると勘違いして我先きに逃げた。眼をさました息子は周囲に誰もいないので泣くが、眼の前に金がたくさんあるので持ち帰りお上に届ける。褒美にその金をもらった息子は親子仲良く暮した。その住居は宝ヶ谷にあるという。また八幡浜市には「鬼の面とお福の面」の孝行話がある。

  歳の夜の客

大歳の夜に泊めた遍路が納屋に坐ったままで黄金になっていた話は川之江市・内海村・城辺町などにある。

  猫と茶釜の蓋

三間町大藤の稲尾に丹後、山野鼻に但馬という鉄砲撃ち名人の兄弟がいた。小倉の山猫退治を頼まれたが猫は鉄鍋に鉄蓑を着ているので弾丸が通らない。正月六日の晩、山猫が現れて「今晩は歳の夜ではござらぬか、丹後但馬さまもござるまい。蓑も鍋もみな脱げ」といって踊りはじめたところを撃ち殺した。丹後但馬は村の祭り神となった。山猫退治話は城辺町山田や城川町などにもある。

  話の値うち

彦八の話はよく当る。男が「心は急いでも手は急ぐな」という彦八の話を聞いて家に帰ると、女房が坊主と布団の中で寝ている。男は腹を立て打ち殺そうとするが彦八の話を思い出し女房を起す。女房は「娘の頭に虱がわいたので坊主に剃って一緒に寝ている」といった(三間町)というような処生訓を主題にした話で、川之江市金田には「見抜き見通し」の類話がある。

  歌婿選び

三間町の庄屋が男衆の杢蔵に「てんちん酒」を買って来たなれば望みのものをやるといった。座頭に、てんちん酒が瓢箪酒であることを教わってそれを買って帰ると庄屋は感心した。杢蔵は庄屋の娘が欲しいという。娘は「天から空へ咲く花に何をいうぞよこれ杢蔵」と詠むと、杢蔵は「天から上へ咲く花も落ちりゃ杢蔵の下にこそなれ」と返したので娘は納得して夫婦になった…は、難題婿の変型である。小田町では八・一〇・一三歳の男児が独り娘を持つ庄屋に傭われていて、八蔵の男児が歌婿選びに勝ってその家の養子になる話がある。

  大晦日の火

信心深い下女のキミが大晦日の火の番をしていたが消えてしまう。困って外に出ると葬式が通っている。火種をもらうと棺桶をあずかってくれと頼まれる。縁起でもないと思うが押入れに隠しておく。元日に光りものがするので開けてみると黄金であった。キミは寺を建てて生仏となった(中島町)という話は大三島町添・柳谷村名荷下・吉田町白浦・内海村柏などにも類話がある。

  魚女房

一本松町御在所の女が正直者の嫁となった。うまいサツマ汁を作る。隠れて見ていると女は鯛となって摺り鉢のなかを尻尾で掻きまわしていた。見つけられて女は海に帰って行った。今治市の「常世の国の生まれ柑子」の話や三間町田川の「鯛汁」の類話がある。

  宝化け物

長者の嫁が、ごまから屋蛸兵衛に嫁入る。化物屋敷で祝言をしていると火の玉が飛んだので屋敷を掘ると黄金が出る。五万長者蛸の八左衛門と改名して栄えた(宇和島市)話があり、伊予三島市金砂には…棺桶に入れられた三〇両の金の怨念を解放してやった男が、甦った長者の娘と夫婦になり善光寺で酒屋をはじめて繁昌し、長者が来訪して娘と再会する…話がある。また久万町・内海村にも宝化け物の話がある。

  天人女房

天の羽衣説話系統の昇天型昔話は三間町や大三島町その他にある。

  大福地福

宇和町明間に信心深い爺がいた。若者たちが元日の若水迎えは集落のとり決めで一里もはなれた穴小屋まで行くことになったとだます。正直者の爺が若水を迎えて帰ると若者が声をかけた。爺が「今朝はがいに寒いけん若水が凍ってしもたんかゴトゴトジャラジャラいいよらい」というので手桶の中をのぞくと大判小判がいっぱいであった。爺は元旦の福をもらって分限者となって幸せに暮らした。玉川町竜岡力石の茶筌松の白椿の根元の黄金昔話などもある。

  南瓜と猫

旅人が、宿屋の猫が戸を開けるという話をすると猫が船まで追ってくる。数年後、旅人がその宿に泊ると南瓜が膳に出る。南瓜を食べるなという夢をみたので調べてみると猫の目から生えた南瓜であった…(内海村)話は大三島にもあって、肥海では南瓜を植えない家が二軒ある。三間町では南瓜の一本植えを忌む。大洲市蔵川では胡瓜が猫の目から生える話がある。

  猟師とせんぐり食い

せんぐり…というのは次々にという意味である。三間町戸雁の猟師が山で休んでいた。目の前に山ミミズが出て来た。蟇がミミズを飲みこんだ。蟇は蛇に、蛇は猪に食べられた。猟師は猪を撃とうとしたが、せんぐり食いを悟り撃つのをやめた。後ろで「よい思案であった」と大声がして、ミミズ・蟇・蛇が出て来た。吉田町には蛇―蟇―蟒の型で「よい分別」と声がかかる話がある。

  わらしべ長者

わらしべ→あぶ→蜜柑→反物→馬→家屋敷→(長者)の形の話が三間町に、わら→三年味噌→錆刀→うわばみ退治→金銭→節季払いの形が中島町にある。同町には…蛸延繩漁で蛸ばかり食っていた貧乏人の蛸屋惣兵衛が伊勢詣りに行き鴻池の娘に見初められ「家には仕まわり三ばい壷三百、家はごまんの柱にこもくの屋敷、寝ていて月日が拝まれる」と法螺を吹く。夫婦約束してのち、娘が惣兵衛の家に来てみるとぼろを着た男が小屋のなかにいる。神の授けた縁だと祝言する。鴻池から金が贈られてきて惣兵衛は分限者になる蛸長者の話が、小田町には「うしなど御左衛門之守」が長者となる「うしなど長者」がある。

  瓜姫

婆が拾った瓜を戸棚に入れておくが取り出そうとすると開かないので斧で割って戸を開ける。姫が「爺に着しょチャンチャンコ、婆に着しょチャンチャンコ」と歌いながら機を織っていた。

  踊り猫

宇和島の奥の猟師長次郎が歳の夜に山に行くと化け物が踊っているので鉄砲で撃って血をたどってみるとわが家の飼い猫であったとか、八年飼いの赤猫が踊る(大三島町肥海)話がある。

  猿地蔵

地蔵の前を通って物売りに行く婆が帰りにその前で弁当の団子を出して、「おかげでよく売れました」と供えているところへ猿が来た。じっとしていると猿たちは供えものの団子を食べ、婆を地蔵さんと思いこんで、「お猿のおつべは濡れたてかんまん、お地蔵さんのおつべを濡らすな」と声を合わせながら川を渡って婆を岡の上に担ぎあげ野山の果物を供える。婆はそれを売って金をもうけた(南予)。

  もの言うドンコ(図表「もの言うドンコ」参照)

肱川町中居谷の男が五十崎町で祭りの買物をして嘉城の魔の淵のそばで長さ二尺廻り三尺の大ドンコを捕えて棒鼻に掛けて峠まで来ると、どこからともなく、「嘉城殿よ、どこへ行きゃる」と声がかかった。「おらぁ中居谷へ脊をあぶってもらいに行くぞ」とドンコが答えたので男は荷物を投げ出して逃げ帰った。ドンコの脊焙りは 松山市瀬戸風峠では「余戸割木(小麦藁)で脊なあぶりに行くのよ」、小田町では池の成の主殿が「わしは臼杵の畝々へ背なあぶりに行くぞぇ」と答える。

  夢の蜂

商人が夢のなかで蜂に案内されて宝物の在りかを教わる。覚めて掘ってみると宝物が出てきて分限者になる。中島町の熊蜂三彌・城辺町の七壷黄金などがある。

  おらびくらべ

久万町露峰の篠崎さんの久保田という田に三貫目ほどの石がある。昔はこの田は庄屋のもので村中の娘が唄をうとうて田植えをした。山から天狗が来て歌合戦となったが村の娘たちに歌い負かされて悔し涙を落して逃げ帰った。この涙が石になったので天狗の涙石といい、久保田の田植えには必ず雨が降るので他の田植えは敬遠するという。これは歌いくらべであるが、猟師と山爺がおらびやいをしようというのでまず山爺が大口を開けたところへ猟師が鉄砲弾を撃ち込んで山爺に食われずにすんだ話が小田町突谷にある。

  鬼の楽土

爺が唐黍団子と粟団子を子供に持っていってやろうとして鬼の穴に落ちる。鬼はここにある炊杓子で三粒の米を釜に入れて混ぜると釜いっぱいになるから炊いてくれという。爺は炊いてやるがすきを見て杓子を持って逃げ帰り分限者となる。隣りの爺が真似をしたが杓子泥棒と鬼にとらえられ地獄の釜に入れられる話が上浮穴郡にある。

  織り姫と天邪鬼

お姫さまが窓ぎわで「おつぼにそっと」といいながら機を織っていると天邪鬼が来て「おひつにたんと」といって織るので、家来が捕えてトキワの藪の中で殺した。鬼の血に染まってトキワの根は赤くなった(南予)。

  塩出し臼

伊予三島市に、しお爺さんという貧乏人がいて、毎日山奥に塩を樽に入れて売りに行っとった。ある日、塩と猪の肉と交換して峠で休んどると大岩の下で一寸法師が楽しく暮していた。肉をくれという。一寸法師は肉のかわりに何でも欲しいものが出てくる小さな碾き臼をくれた。爺さんは村の渡し船に乗って船頭にこの不思議を話し、試しに塩を出そうといい石臼を廻した。が臼が塩に埋まって止めることが出来なくなって船は沈んでしもた。いまも海の底では石臼がまわって塩を出しよる。

  隣の寝太郎

むかし、庄屋の隣りの貧乏人の息子が大晦日に提燈・白衣・鳩を持って庄屋の屋根に上り、石鎚の大天狗と名乗り婿にせよと叫ぶ。庄屋は驚いて独り娘の婿にした(丹原町)話は、伊予三島市では白木綿一反とけいを道具として出雲の神と名乗って隣りの長者の娘の婿となる。

  継子と魚

ほんの子には中身のええとこをやり継子には頭をやる。そがいすると継子は「わしはこの家のおかしらじゃけんお頭もろうた」というけん、こりゃ都合が悪い思うて尾っぽをやったら「わしはこの家の王じゃけん尾もろうた」というので、継子には魚の中身を食べさせるようになった(三間町)。魚に、頭はがん(眼)肉、尾は砂摺りといっていちばんうまいと嫁がいう。舅が頭を、姑が尾を食べ、嫁は中身を食べるようになった(上浮穴郡)という。

  絵姿女房

仕事一途な百姓男に村の世話役が器量よしの女を世話する。男は女房と一刻も離れたくないので絵姿に描いてもらい懐に入れて畑仕事をしていた。ある日、暴風雨となり絵姿が空に飛ぶ。殿様がその絵を見てその女房を探させて百姓男に差し出せと命ずるが承知しない。殿様は村芝居を興行させ見物に来ていた女房を籠におしこんで奪った。以後、女房は笑いを失う。男はかわらけ売りになって女房を探し求める。殿様の城に行き、「芝居なかばに妻とられ、かわらけ買うてくれ」と言うと、二階から女房が顔を出して笑い声をたてた。殿さまはかわらけ売りにもう一度笑わせてくれと頼む。殿様かわらけ売りと着物をとりかえた。百姓男は殿様になる(小田町)。

  蛙息子

爺婆が神さまに願をかけて蛙の子を授かる。追いかけられた蛙は庄屋の娘のロに弁当の麦粉を塗って娘を盗人にしたてる。追われた娘は蛙を袂に入れて帰り、途中のお宮で麦粉を食べると蛙は若者に変身した(一本松町)。

  金太郎の女

若殿が鷹狩りに行きあぶら屋で休む。そこの娘が美しいので城に連れ帰る。奥方とこの娘は同じ日に男児を産む。娘に化けている山姥は自分の子と奥方の子を取り替える。奥方がわが子と思って育てる山姥の子は肥えて強く、山姥娘が育てる奥方の子は青白くて弱い。強い山姥の子が山姥のところに来て「母さま」と呼ぶ。若殿の前でも「母さま」と呼ぶので山姥の姿になり「これでも母さまか」と言う。山姥の実の子は「これこそ本当の母さまじゃ」と答える。実の子は正体を現した山姥と山に帰り、金太郎となって動物だちと仲よく遊んだ(西宇和郡)。

  米出し地蔵

正直者の夫婦が畑打ちをしていると、嫁の打ちロから恵比須の神像が出てきた。洗って鼻の穴の土も取り除いて神棚に祭ると、鼻の穴から米が出て、夫婦が食べるほどずつ貯まる。隣りの欲悪い男が借りて鼻の穴をほじくって大きくするとどんどん米が出てきてとまらない。男は米に埋まって命を落すところを正直者夫婦にやっと助けてもらった(西宇和郡)。

  見るなの部屋

道に迷った若者がある家に宿を乞うと女が泊めてくれ、そのまま家の番をすることになる。三つの部屋のうち一つの部屋は開けてはならぬといって外出する。退屈していた若者がその部屋を開けると鶯が機を織っているのが見えた、と同時に鶯も家もかぎ消えた(三間町)。

  申し子話

夫婦が神に頼んで子供を授けてもらう。頼みまちがいで三三尋のチンボのある男児が生まれた。長じて庄屋の風呂焚男に雇われる。お姫さまのところまで三三尋が伸びていって子を宿させる。父親捜しの時、三歳になった子が三三尋の男に親子盃を持っていく。お姫さまと三三尋は庄屋を追い出され山の松の下でまどろんでいると天狗が出る。三三尋がするする伸び天狗を威嚇する。逃げた天狗は打出の小槌を落していく。三三尋はそれで酒蔵を打ち出して分限者になる(小田町)。

  トッテカケタカ

時鳥はトッテカケタカと鳴く。貸金の催促に急がしく子を育てる間がないので他の鳥の巣に卵を生む。そして八千八声鳴かねばならぬので夜も昼も鳴く。血が出て口が赤い(小田町)。前生ではモズは馬方であったが茶店をしていた時鳥に馬の靴代を払わず食べ逃げをする。時鳥はいつも催促をして鳴き、モズは借金返済のために木の枝に蛙を取って掛けておく(上浮穴郡)。

  デシコシ

梟はデシコシと鳴く。小僧が托鉢をして病気の和尚に粥を食べさせるが、和尚は小僧がもっとおいしいものを食べているに違いないと邪推しその腹を破る。稗と粟だけしか出て来なかった。和尚は後悔し井戸に身を投げて死に梟となって「弟子恋し」と鳴く(小田町)という。

  雀孝行

昔、雀の親が死にそうになったんで、雀は着のみ着のまんま飛んで行って、そて、あんなに身なりが汚いんじゃけど、燕は奇麗にお化粧して行ったんで死に目に会えなんだ。雀はそれでお米やお麦を食べようんねえ。燕は食べるものがないので虫なんか食べて「わしら田の土ゅう食うて、口ゃぁしぶい」いうて鳴きよるんじやと(大三島町・北宇和郡)。

  郭公鳥

郭公鳥の片脚は白く、片脚は黒い。継母が継子のカッコウを殺して、仕事から帰った実父に「カッコウは山に行った」という。父親は片方の脚絆を履いたまま慌てて探しに出て行き鳥となった(広見町)からであるとか、大山祇神社の祭礼に子を失った母親が島じゅうを探しまわったあげく片足に破れ草履をはいて狂い死にして郭公鳥になったので、四月の祭礼がくると「トクボウトクボウ」と子供の名を呼んでやってくる(大三島町)という。

  猿蟹合戦(図表「猿蟹合戦」参照)

川の端でおむすびを食べとったお遍路さんが向うの穴の蟹に投げてやったが穴が小さいので蟹はうずんだまま困っとった。猿が熟柿と取り換えしようというて蟹のおむすびをとりあげたまま尻を向けて屁をひった。蟹がおこって猿の尻を爪ではさんだので猿は痛いいうて飛びのいたら尻の毛がみんな抜けてまっ赤になり、その毛が蟹の爪に付いてしもうた(重信町)。

  犬の脚

むかしは犬は三本脚じゃったそうな。そいでお大師さんが不自由じゃろと思いなはって後ろ脚をもう一本付けてやんなはったんといわい。そじゃきに犬は小便かけたら勿体ない思うてお大師さんにもろた足を上げて小便するんじゃと、ほんとですらい(西宇和郡)。

  百足の使い

急な用があった。村の飛脚は腹痛で動けないので脚が沢山ある百足に頼んだ。もう戻ってくる頃であろうと戸口に出てみたら百足はまだそこにいて一本一本の脚に一所懸命わらじを付けていた(保内町)。

  鶴と亀

鶴と亀とがお庄屋さんにやとわれとった。天気がええけに和霊さんにお参りに行こうやといって一緒に出かけた。亀は途中の歯長峠の下り坂や三島谷を転げ下りるので鶴とどっこいどっこいで和霊さんに着いた。夜になったのでお籠堂で泊ることにした。鶴は亀に夫婦になろうといった。亀は不釣合いなことなので断るのに困って「鶴さんあんたの寿命は千年で、わしの寿命は万年じゃ。夫婦になったらわしゃ九千年も後家でおらんといけないなぁ」と嘆いてみせて角を立てずに断った(野村町)。

愛媛の昔語り

愛媛の昔語り


ばばの面

ばばの面


蛇女房

蛇女房


笠地蔵

笠地蔵


もの言うドンコ

もの言うドンコ


猿蟹合戦

猿蟹合戦