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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

7 南予レクリエーション都市の建設

 観光拠点の開発

昭和三〇年代、経済成長を謳歌するなかで余暇時代を迎え、観光振興を国家施策として、三八年には観光基本法が制定された。四四年策定の新全国総合開発計画(新全総)においては、将来の余暇動向に対応するため産業開発大規模プロジェクトとして、自然観光レクリエーション地区の整備及び大規模海洋性レクリエーション基地の建設が観光レクリエーションの主要課題とされた。これを契機として各省庁の検討が積極化し、中核となる建設省では都市住民の将来の大型「いこいの場」として、レクリエーション地域、施設の計画・整備を掲げ、大規模レクリエーション緑地構想に始まる諸方策の検討が進められた。
 昭和四五年には「レクリエーション都市整備要綱」が決定され、愛媛県の西南部から高知県西部に至る足摺宇和海国定公園では、四五年、西海町鹿島を中心とする岩礁海域が宇和海海中公園として、我が国で初めて指定された。さらに四七年には国立公園に昇格指定されるに至り、変化に富むリアス式海岸美と南海性気候の恵みである海中景観美が二重奏をかなで、観光資源として大きく注目を浴び、宿泊施設の設置、自然公園集団地区整備などが漸次進められた。
 海も山も美しく、温暖多雨で暮らしやすい自然に恵まれた南予は、かんきつ、漁業など農林水産業に依存した地域であるが、高度経済成長の進む中で日蔭となり、著しい過疎化が見られた。また、地形条件などから交通施設等々の公共基盤整備の遅れも甚だしく、国・県に対する後進性打開の対策要請は極めて強いものがあった。県では地域産業の育成、生活基盤の整備を強力に進める一方、国家施策を背景として、南予の特質ある地域環境を活用創出して国民の自然観光レクリエーション活動の場を提供、これにより地域に開発利用の新風を起こし、地域体質改善の決め手の一つとするべく、四国西南地域の観光、レクリエーションの大拠点を整備する方針を立てた。
 新しい整備手法は、建設省のレクリエーション都市方式によることとなり、建設省の内意を得て、四五年度に県単独調査により南予レクリエーション都市基本構想を策定し提出した。建設省では全国数地区について適地条件の比較調査、続いて自然、社会生態系、地域計画、レクリエーション都市施設計画など諸般の検討が行われ、四七年新全総プロジェクトによる「地方型レクリエーション都市」として南予が指定された。
 県では直ちにプロジェクトチームを編成、都市計画、交通、水資源、農林水産、開発保全など諸計画を検討し、「南予レクリエーション都市(以下南レク都市)整備計画」を策定した。計画の主な内容は「緑と海を主題として、見る、楽しむ、憩う、学ぶ、鍛えるなどの快適なレクリエーション都市づくりを図ること、レクリエーション活動の核となる公園は、国庫補助事業として整備するとともに、道路、下水道、港湾など関連公共整備事業を合わせる、利用に伴う休養、宿泊サービス施設を民間中心に配置して公共・民間協力方式による一元化を図るとともに、足摺宇和海国立公園並びに林業圏との結び付きに配慮する、地域構成はレクリエーション資源の諸条件を考慮し、宇和島、津島、御荘・城辺の三地域を拠点開発方式として調和のとれた施設を配置する。」というものであった。
 四八年三月、津島地域について都市計画区域の指定並びに南レク都市一号公園(近家地区)の事業認可を得て、建設の第一歩を踏み出し、以後用地取得を主体に逐次施設の建設が進められた。
 宇和島地域では六号公園(日振地区)と日崎園地、大人園地を開設、多目的広場、キャンプ場なども整備され、海水浴客などに広く利用されている。津島地域では、昭和六〇年四月、日本庭園「南楽園」が開設され、壮大な池泉回遊式の大庭園として水と岩、花と緑、季節のうつろいの度に人びとの目を楽しませ、憩いの場として脚光を浴び、南レクの成人向き重要拠点となっている。また、南楽園周辺の交通事情に対応して国道五六号から近家間に幅員二八メートルの都市計画道路を新設、地域交通と合わせ、修景に勝れたレクリエーション道路として寄与している。
 御荘・城辺地域では足摺宇和海国立公園、宇和海海中公園などに連帯する形で馬瀬・大森山地区を山頂公園として、国道沿いの貝塚地区に御荘プール公園を開設、第3セクター施設と一体運用で地域の核点を形成し、青少年向きの長期滞在型のスポーツ・休養・遊び拠点を目指し逐次施設の増設に努めている。五二年一一月、城辺町久良湾海底で旧日本海軍の戦闘機「紫電改」がほぼ原形で発見、引き揚げられ、五四年七月、馬瀬山頂公園内に展示館を建設、保存されている(表3-50・51参照のこと)。
 施設の整備については四八年の石油ショック以降、観光レクリエーション動向も混迷し、レクリエーション都市整備の方向も慎重な再検討期に入った。五六年、五九年と南レク都市整備検討委員会で計画、整備について調査検討が行われ、整備を進めてきた。また、宇和海海中公園への交通路として五一年三月末、御荘・西海間に有料道路が開設された。着工以来の総事業費は用地補償五二二・五ヘクタール、事業費一一四億四、四〇〇万円、施設整備三〇施設、開設面積一二業費一一〇億八、〇〇〇万円である。

 南予レクリエーション都市開発株式会社設立

レクリエーション都市の整備は、建設省の示す都市計画の手法による一元的な整備を行い、また公共民間協力方式により地域の開発に寄与するとの基本方針に基づいて、県ではプロジェクトチームを設け、第三セクターの性格や構想などが検討された。計画は「レクリエーションの核となる都市公園施設が公共と民間で構成されること、またレクリエーション活動に伴うサービス、宿泊施設などは民営施設が中心であるが、施設位置の決定をはじめ施設の整備は個々の恣意的な建設を抑制し、公共側を補完・連帯して、民間開発の先行的・モデル的役割を果たすために、官民協力の公共性を柱に第三セクターの設立による一元的開発を民間サイドの開発の要とすること」を趣旨として県概案をまとめ、建設省と協議し日本能率協会の手で成案を得、南予レクリエーション都市開発㈱(以下南レク会社)設立推進へ官民協力のピッチが上がった。
 大手企業の参画は、建設省の推薦で住友商事、三井物産、三菱商事三社を予定して準備は進められた。設立幹事会(県、建設省、日本開発銀行、参加企業)が設立原案を作成し、関係者に出資計画の内諾も得て、四八年三月定例県議会で議決、同年六月南予レクリエーション都市開発㈱が設立された。授権資本額一〇億円、当初払込資本金二億五、〇〇〇万円、官民交えた役員数は二〇人で社長には白石県知事が就任した。
 設立当初の会社事業は都市公園民営施設(マリーナ・ゴルフ場・マリンランド・ロープウェイその他)、休泊施設などとされ、用地取得、分譲、賃貸、管理維持、施設建設及び経営、諸種のサービスや受・委託などを行うこととなっていた。設立直後の石油ショック以降、急変する諸情勢を見通しつつ、四九年に払込資本金五億円、五二年には一〇億円と増資した。事業としては須の川集団施設地点にレストハウスを開設、続いて御荘・城辺地域馬瀬山頂に宇和海展望タワー、山頂と御荘プール間にロープウェイを建設、五四年には南レクロッジを開設し、公共施設と連けいした施設の利用体系が形成されている。また、各都市公園の開設に合わせて五一年から日振地区、津島地域、御荘・城辺地域の公園、施設の管理運営あるいは管理も受託している。その後、最も経営を圧迫していた同社保有の宇和海展望タワー並びに御荘湾ロープウェイは、建設後公園施設として県へ売り渡し、実情に即した健全経営の配慮が払われてい資して、払込資本金を一五億円とし、出資構成は地方公共団体三三・四%、民間六六・六%となっている。

表3-50 南レク都市地域別施設計画図

表3-50 南レク都市地域別施設計画図


表3-51 南レク都市公園の開設状況

表3-51 南レク都市公園の開設状況