データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

3 県際関係

 広島県から上島地域へ分水

越智郡上島地域(弓削町・岩城村・生名村)は、小離島における宿命的な水資源の不足に悩まされており、弓削町では昭和五三年海水淡水化施設(電気浸透法)日量一五〇立方メートルを設置するなどの努力をかさねてきたが、絶対量の不足から水資源対策は緊急かつ最大の課題であった。
 この時期広島県では、本土の県営沼田川用水供給事業の中で、広島県離島地域への導水計画が具体化されていた。広島県離島とは境を接し、地理的・歴史的・経済的に密接な関係のある上島地域の町村長は、広島県の離島導水を機に、県際間の分水問題実現を白石知事に訴えた。知事はこれを受けて、昭和五七年四月、竹下広島県知事に本県上島地域への分水を要請、それに対して竹下知事は前向きの回答を約束した。
 五七年九月、広島県三原市において両県知事の間で「広島県と愛媛県との分水に関する基本協定」が調印され、島民の悲願が達成される見通しがついた。この計画は、国土庁においても積極的に離島振興事業としてとり上げ、五八年三月「広島県との分水開始時期及び分水の水量に関する協定」が両県知事の間で調印された。これにより、広島県からの分水日量四、六〇〇立方メートル、一部給水を六〇年度に、また、全域給水を六四年度から実施することが確定した。
 六〇年七月九日、広島県から上島地域への通水式が挙行された。両県知事・地元町村長ほか国土庁関係者などが出席、地元住民の喜びのなかで竹下広島県知事は、「分水が実現し、潤いある生活や地域発展に
お手伝いできることは喜ばしい。上島地域とは密接な関係にあり、これを契機にさらに友好と連帯が深まれば」とあいさつ、これに対して白石知事は、「この分水は地域の生活安定と経済発展に大きく寄与する。地元の喜びは言葉につくせないと思う。水の架け橋で結ばれた広島県との友情を大切にし、今後とも両県の友好、交流を深めたい。」と広島県に感謝の言葉を述べ、県境を越えた〝友情の分水〟が実現したのである。

 宿毛湾入漁問題

昭和四六年の宿毛湾入漁協定更新は、直接の違反操業皆無に近い状況の中で前回通りの内容で締結された。その後も違反のない比較的平穏な状態が続いたが、四八年愛媛県側としては現行通りの協定更新を、高知県側は宿毛湾漁獲の減少などを理由に協定打ち切りを主張して、双方全く平行線をたどった。約一か月半後、愛媛県側は大中型まき網一統・中型まき網一統、高知県側は中型まき網一統を調整上操業制限することに合意し、協定更新が行われた。
 昭和五〇年の更新に当たっては、愛媛県は沖の瀬の周年操業と協定期間を現行二年から四年へ延長を求める二点としたが、高知県側は漁民に協定破棄の意見が根強いこと、まき網には違反はないが底びき網漁業に違反が横行していることを指摘し、期間延長は論外とした。また、沖の瀬入漁は慣行ではなく、四四年協定の産物であるとして、当今の不漁期を迎え高知県側は入漁拒否を主張して折合わず、その後、数次交渉の末、「沖の瀬海域への入漁操業は九月一五日から一一月末日まで、操業統数は大中型まき網八統以内、中型まき網一統以内とする。高知県の宇和海における操業統数は中型まき網については五統以内とする。」ことで合意し、五〇年七月の協定調印となった。
 こうして協定更新ごとに、高知県側は宿毛湾水産資源の減少を主張して、愛媛県からの入漁統数の減少を要求し、愛媛県側は不漁に伴う入漁海域の拡張を求め、水掛け論が常態となった。土予連合海区漁業調整委員会は、この情況改善のため宿毛湾水産資源の動向や漁場利用の状況などを調査し、科学的資料に基づいて今後のまき網漁業の在り方に対処しようとした。五〇年一〇月両県の代表、水産庁、学識経験者による「宿毛湾漁場利用調査検討委員会」を設置し、科学的分析評価をすすめた結果、五二年三月提出の同委員会報告書では、イワシ、アジ、サバなど浮魚資源は、今まで程度のまき網漁業・釣漁業などの操業範囲内では特に憂慮すべき資源状態悪化には至っていないと結論づけていることが注目されたが、交渉には全く活用されなかった。
 しかし現実には、近年高知県漁船はほとんど宇和海に入らず愛媛の一方的入漁が実態であり、また高知の釣漁業中心に対して愛媛県側はまき網漁業中心であるため、高知県には愛媛のまき網漁業による高知漁業への被害者意識が強く、根本的には「協定破棄、愛媛の入漁拒否」という根強い反対意見があり、双方の意向は対立した。
 この状況下で、五二年、改選の土予連合海区調整委員会で協定更新を審議中に、愛媛県のまき網漁船が宿毛海上保安署に検挙され、前年一〇月以降三十数回の大掛りな違反操業が発覚した。高知県側は二〇〇浬時代を迎え「自県の海は自県で守る」との局地的な資源ナショナリズムの考え方に固執して、最近の愛媛県側の悪質な違反操業及び土佐湾で操業する沖合底びき網漁船による高知県漁民の漁業被害に強硬意見を示し、協定更新も棚上げのまま審議は中断した。白石知事は事態打開のため、六月高知県中内知事を訪問し、違反操業の陳謝とともに協定の協定更新への協力を要請した。七月一日協定期限切れとなり、両県当局者や水産庁の働きかけにもかかわらず膠着状態が続き、一方高知県側は同月各地区で漁協中心の対策協議集会で入漁協定絶対反対の気勢を上げた。
 期限切れ七〇日余を経て事態の進展はなく、愛媛側は八月、松山市での愛媛県まき網漁業協議会集会で水産庁や国会議員に斡旋依頼するとともに、万一、八月中に協定更新不成立の場合は九月からの漁期をひかえ強硬出漁も辞さないとの意思統一が図られた。この緊迫した情勢は八月の調整委員会にも反映し、高知側の反発で審議には入れなかった。同じころ高知県中内知事は、国の三全総を受けて宿毛湾の開発のため国の調査受入れの姿勢をとり、特にその中に原油基地立地計画も含むとして関係漁民の大反対を受けた。さらに一〇月、白石知事の県庁記者会見での同原油基地問題の発言が曲解されて調整委員会に伝わり、実質審議に至らずに紛糾するなどのもつれが甚しくなった。その後、白石知事は早期解決を水産庁長官に斡旋を要望、両県当局の努力で五三年二月第六回土予連合海区調整委員会が開かれた。この委員会で愛媛県は「沖の瀬漁場を入漁海域から全面削除する。入漁統数を二〇から一六統に減らす。」大幅譲歩を認め、高知県側は「八を七統に減らす。」ことを了承、期限切れ以来七か月余で妥結調印へこぎつけた。
 昭和五五年の入漁協定更新では、愛媛県は前回通りを主張、高知県は協定破棄を固執して、一年余の空白が続き水産庁の調停で協定が成立したが、入漁区域には新たな禁止区域が加えられた。五七年の協定更新に当たり、愛媛県は五五年通りの更新を主張、高知県は従前通り入漁海域の縮小と土佐湾における高知県漁民の被害を強調し、この解決を求めて協定締結は延引した。また交渉時の五月、高知側の宿毛湾まき網漁業者の土佐湾進出による違反操業問題が起こり、一方、土佐清水市の漁民大会では、愛媛のまき網漁業者の操業により高知の漁業者がはじき出された「玉つき出漁」に遠因があると主張、この問題も加重して交渉は膠着状態となった。約二年間の空白が続いた後、五九年七月現協定が締結されたが、この協定は水産庁の強い指導により、期間を二年から三年に延長された。
 こうして大勢は漁民パワーに押しまくられて科学的根拠もなく歩一歩と本県は後退を続けることとなった。
 一九八〇年代は変革の時代という。愛媛県では宇和海マリノベーション構想、高知県ではブルーマリン構想がそれぞれの水産業振興の先端的新しい試みとして進められている。こうした時の流れに沿って、転換期の宿毛湾入漁問題は両県漁民及び関係者の共生連帯の精神で新時代を切り拓くことが期待されている。