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愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)

2 愛媛の詩人たち

 愛媛の詩人たちは、そのいくたりかを除けば、その時々にそれぞれの詩結社もしくは詩誌にあって詩活動をつづけて来た。しかも、詩誌が数少ない発表の場であるだけに、ひとりの詩人が複数の詩結社・詩誌に名を連ねることはめずらしいことではない。活動の場が広がれば広がるほどひとりの詩作家はあちこちの詩誌に招待される。したがって詩誌の流れを叙することはできても詩作家の個々をひとつの詩結社・詩誌で追うことはできない。ここでは個人的にその名を五十音順に挙げ、その詩人の詩一篇を併せ記することにする。

 ふるさとにありて

 ふるさと愛媛にあって詩作をつづけている詩人たちの幾人かを挙げてみる。

 阿志津みづゑ(沼野ナオミ 昭2~松山市野獣・開花期・アミーゴ~ 「阿志津みづゑ作品集」)
 〈リ〉 突如/おちかかる凶器に/横っとび/あやうく命びろいして/ふりかえると/ふっさり しっぽが落ちていた もう毛は生えません/獣医はリスのしっぽの芯を/根本からぷつり断ち切ってしまった 亡くしたしっぽに/寄りかかっては/ゆらゆらする/リスでもなくモルモットでもない/奇妙な生きものをしげしげと見て/訪ねてきた友人はたずねる/ーこれはいったい何なのー/わたしは答える/リ/ーリなんて動物いたかしら ほんとうはこれは/いのち/といういきものなの と言いたいのだが/キザだからだまって見せておく

 池田貴代子(清子 松山市 野獣~ 「波のかえるところ」)
 〈波のかえるところ〉 波よ/今かえって来た波よ/水平をわかたぬ果から/打寄せてくる波よ/落日に名褪せてゆく/遠い日のうれいと/青い孤島のやりきれない/眩しさを連れて/跣の私に/さゝやきかける波よ/そうかい/そうかい/旅はそんなに長かったのかい/旅はそんなに苦しかったのかい/雨に嵐に/心の痛みをつむぎながら/お前は/いま帰ってきたという/砂白く静かな/この入江に

 石城隆夫(宇和島市 リアス・~蘭・ばらた)
 〈地球考〉 この道をまっすぐに進み/海に出て/その海をまっすぐに進み/その一直線をまっすぐに/まっすぐに進むと/またここへかえってくるなどと/誰が言いはじめたのか/その果てがここであるなどと あの日には/もえたぎる勢いであった回転が/いまは輪廻となり/まるくおさまって/日暮れと朝とを反復させている/それだけでなく/その動きすらも感じさせぬ。

 香川紘子(汎 昭10~ 松山市~ 時間・想像、湾・言葉~ 「方舟」「魂の手まり唄」「壁画」「サンクチュアリー」「朝と供に」「自伝足のない旅」)
 〈はじめに言葉があった〉 もし 始めに言葉がなかったら/エホバの天地創造も/最初の父母たちが結ばれることもなく/この宇宙はカオスの眠りをつづけていたことだろう その名を呼ばれるまで/だれも自分か何かを知らないのだから/名付けることは 愛することに似て/明けがたの明るい地平に/まだ おののいている真新しい存在を誕生させることだ/それは指揮者の指よりもしなやかに/まだ顔を持たないものたちの眠りにふれ/全音階をフォールテにまでたかめ/豊かな開花をうながすことだ その創造の第一日目に/エホバのロもとを少しこわばらせたおなじ感動が/もっとも遠い島 宇宙の星から届いた光の伝令として/いま わたしの唇のまわりを 軽くひきつらせはじめたようだ

 児島凡平(一男 明38~ 松山市 アテネ通信)
 〈手紙〉 わが前の座席の少女に。女学校初年生らしい、まだ小学生の抜けぬ少女に。 一九四六年六月二十一日。井の頭線の車中にて。君の脚が客の間から見える。美しい脚だ。その脚を、神のものなるがままに描くには、レオナルドの神技が要るよ。君がそうしてあるためには、親御さんのどんな心労があるかわからないんだよ。わがままをおうちで言ってはいけないよ。君は胸に花を、野薔薇かしらを一りん挿しているね。その花のような心をお持ちよ。手も脚のように、脚に劣らず美しい。その手をまた美しく組合せてー。手もまた偉大なレオナルドにお頼みせねばならぬが。美しい手を美しく組合せ(おお、神よ、あなたをあがめます!)そっと眼を閉じている小さい少女よ。これは美に酔える粗衣の男の書いたお手紙です。

 棹見拓史 矢内原通雄(松本通雄 昭10~ 宇和島市 ~樫・開花期・リアス、蘭・ばらた 「奇妙な仕事」「うすい病気」)
 〈綺妙な仕事〉 田圃に置いたままになっている藁ぐろを一山わけて貰った/その日からぼくは物置で 音をたてて縄をない始めた 牛が草を食むような音が ぼくの掌の中からたちのぼり 柔らかい土のにおいが皮膚の内部までしみこんでくるのがわかった 縄は ぼくの尻尾のようにとぐろをまき後ろに積み重なった/妻が 出勤の時間を知らせに来た時 ぼくは〈今日はよすよ〉といい 手は動きつづけて 縄の音が聞えた 〈縄が要るなら買えばいいのよ〉と妻がいい 縄ははげしくせきこんで藁をのみこみ 掌は赤く変色して肉刺ができ始めていた〈何に使うつもりなの〉と再び妻がいい 〈さあ考えてないよ〉とぼくがいった 三日過ぎても ぼくは縄をなっていた会社の同僚の一人が他人ごとのような顔をしてやって来た 〈様子を見て来いというのだ〉と彼がいった/〈何をしているんだい〉/〈縄をなっているのさ〉/ぽくの掌はすでに肉刺がいくつも破れ 皮膚がめくれ 縄は点々と血を染めていた 激しい痛みが背骨をかけのぼっていくのがわかり 手につける唾液はのりのようにねばり 赤身の肉にはりついた/〈何でこんなことを思いついたんだい〉と彼がいった/〈おれにもよくわからんのだ〉とぼくがいった/彼は そのまま土間に腰をおろすといつの間にか手がのび 彼の掌の中であの藁のこすれる音が聞え始めた 翌朝 彼は会社を素通りしてやって来た 二人は 黙って藁をつかみ それから音が聞え始めた 二人の手は赤くはれあがり 藁のこすれる音の中から痛みが聞きとれた 縄は二人の座高を追い越して積っていた/妻が時計のようにやって来た 何のためにこんなことをするのかとたずねる/ぼくたちは返事に窮して顔を見合わせる 藁の音が聞え 汗と土のにおいが急に鼻をつき始める 〈こちらまで 気が変になってくるわ〉と彼女は金属的な声を残して 部屋の方へ帰っていくのだ 翌日 通りすがりの男が加わって 藁のこすれる音が一段高くなった ぼくたちは 残り少なくなった藁を うばい合うようにして 掌の痛さをない続けていった

 坂村真民(昂 明42~ 砥部町 個人誌ペルソナ・現在詩国~ 詩集 六魚庵大国・三昧・かなしきのうた・観音草・アジアの路地・赤い種・静かな夜・朝の眼の中に・春の泉・梨花・川は海に向って・もっこすの唄・自選坂村真民詩集・朴・詩国
第一集・第二集・自分の花を咲かせよう)
 〈念ずれば花ひらく〉 苦しいとき/母がいつも口にしていた/このことばを/わたしもいつのころからか/となえるようになった/そうしてそのたび/わたしの花びらがふしぎと/ひとつひとつ/ひらいていった

 図子英雄(昭8~ 松山市 ~新詩人・樹液、葦芽・地球・原点~ 「呼び声」「樹の幻想曲」「地中の滝」)
 〈泰山木〉 壷に咲いて奉書の白さ泰山木(渡辺水巴)  高いみどりの傘を漉して降ってくる/かおりほのかな驟雨に/ふり仰ぐ。/凛とした白磁の炎。/そのむかし 誰が名づけたのだろう/玉蘭と 固くしずかに合掌する蕾から/捧げもつ高雅な椀のかたちにひらき/しどけなく風の素足を招じ入れるとみるや/ふっくらと厚い花弁を散らす。 ひとひらの花弁は 落ちてなお/朝露の珠をうけとめる天然のふかい皿 知っているだろうかひとよ/はつなつを濯ぐ/あの浄らかな炎のくるめきに/薄灰色の死が隈なくしみとおり/揺らぐ香炉となって/刻々 腐爛のいとなみを薫らせていることを。/つかの間の蠱惑のきわみ/妖しいほろびの天上の舞いは/白い荒涼とした死の淵を透かして/かがよう。

 徳永民平(弥生 大14~ 今治市 ~朱、歴程・無限・詩学「徳永民平詩集」「霧の中で指さす方へ」「詩屍十六」「呑吐火」)
〈トンボの歌〉 ヤサカニのマガタマ が/胎芽のやうだという/喫茶店の天井のランプを数えながら/オレの中でオレの声がする/〈おれも胎芽であった〉/そのとき/オレは 一匹の虫のように/名も知らぬ木の枝に/宿っていたのかも知れない この あつかましい/地上に ぬーと頭を出して来て/日月は ヘイヘイと流れ去った/睦まじい家に悲しみが宿り/オレのフイルムに棘のささった/記憶が澱んでしまった それでも平気でいた/古着が身に合わず/口唇のゆがんだ/いつもポケットに手を入れている/いじわるい巡査に訊問された/フン/オレの ダブダブの服のポケットは/薄荷のようにスーッとして/おれのこころは真白だ/産毛も生えていねえ それでも平気でいた 少年の涙の中に赤トンボが飛んだ/夏の終り庖丁池の上に広い空があり/池の中の空の白い雲は/霊柩車のタイヤの轍になって/消えていった 母を運び/父を 運び/姉を 運び/長い葬列が続いた/ああ/トンボは/何処かへいってしまった/トンボのかわりにグラマンやB29が飛んだ/家は焼かれ/骨ひろいもできないで/人人は死んだ そんな記憶の繰糸 (以下略)

 名本栄一 (戦前のみ筆名小林潤三 明42~ 松山市 ~農民・リアス、ほのお~詩集「飢えている大地」
 〈石〉 風が吹いて/水が流れて/鳥は飛んで行ったが/石は/少しも動かなかった。 空が晴れて/花が咲いて/鳥は飛んで行ったが/石は/一言も別れを口にしなかった。 男が生れて/女と暮して/死んでいったが/石は/黙って生きながらえている。 地球が生れて/いま三十億光年/その消滅は/さらに 三十億光年の未来だという/石は/冷酷にも口を緘して動じない。

 平井辰夫(昭3~ 西条市 ~地の塩・カッサンドラ、KOBU~ 「蜘蛛の死」「詩画集連祷」)
 〈蜘蛛の死〉 枝と枝にかこまれた中心に/蜘蛛がひきとめられている 風化したからだの中が透きとおり/からからに日の匂いに乾ききっている 薄橙色の手足が遠く/ばらばらに空間にはりついている すでに頭はなく思想のない身軽さで/からだの膜だけでぶらさがっている 風が吹くたび木が揺れ/ひっかかってくる粘つこい空間を/蜘蛛は静かに抑さえている

 平岡冬月(英樹 昭10~ 三間町俳詩集「超光」「舞心」「木守の唄」「みのりしずか」(…三行詩・各行一七音以内・季事必要。)
    日本の舞の/ゆるやかな刻の動きに/秋は静かに闌けゆく

 福吉政男(大7~ 松山市 ~詩園・関西文学、野獣~ 「笛」「冬の花」「夏は去ったか」「飛翔の果て」「銅羅と花びら」「心の薬店」)
 〈凍魚〉 みんなが世間が/寄って集って俺を冷たい魚にした/だから俺はこう目をつぶって/歯を食いしばって心を閉ざしてしまったのだ 化石の様な姿になっても/涙だけはさめざめと流れているのだ/この涙だけが俺の生きている証拠であり/俺の唯一の慰めなのだ/そして俺の冷えた心はますます固く/冷凍化されていくことであろう 何時の日か俺の心が自ずと溶けて/新しい活動をはじめるまでは/誰が何と言っても妥協しないし/俺は俺の心の納得出来る氷点下まで下りない限り/温めても砕いても/絶対に俺は/あの日の様な鮮やかな本体にかえることはないであろう。

 堀内統義(昭22~ 松山市 ~早稲田詩人・異神、樫・開花期~ 「意志の図案」「平和風平和な街にかかる祝祭星座」「木洩れ陽は」「罠」「海」「ゆくえ」 「吟遊キャラバン 風」主宰)
 〈背中〉砥部町どんこ伝説より 田の浦の、どんこが池は、心のように深くて暗い。/毎日、一人の男が、底なし沼から、/どんこを一匹取って、泥まみれで、帰った。 男の家の、灯りが見える峠にさしかかると、きまって、/「どんこさん どこい 行くんぞな」と、/呼ばわる声がする。/「わしは背をあぶってもらいになあ」/いつも、どんこが答えた。 男は、毎日、どんこを食べて、暮らした。/焼けただれた背中の火傷を、男は、誰にも見せない。/男の家の灯りが消えると、/「どこい行くんぞな」と、何者かが、呼ばわる。

 正岡慶信(筆名芥川三平 大8~ 新居浜市 ~新詩人・リアス・地熱・いしころ道、個人詩誌業~ 「業」)
 〈うす明り〉 てのひらを/ひっくり返したが/何もなかった/振り返ってみたが/足跡は消えてなかった 山には雪が積っていた/地上では木枯しが吹いていた/足踏みしめ/眼を見開き/前向いて/しっかり歩く他はなかった そのとき/一陣の木枯しが襲い/私の両眼に/ぴったり/二枚の落葉が貼りついた/それから/不思議なことに/少し/ほんの少し/眼が見えるようになった

 松本リン一 (久保麟一 明44~ 宇和島市 ~嵐・詩人時代・リアス、ばらた~)
 〈お説教〉 おばばにつれられ/寺まいり タイギャタイギャ 泰平寺/シンキャシンキャ 真教寺 説教なさる/お和尚さま ナミアミダブ/如来さま 夜のしじまに聞いていた/ノリツクポーセも聞いていた おばばが唄ってくれた/手まり唄/今度できた子が/おなごの子なら/つまみ殺して/ナムアミダブツ/今度できた子が/おとこの子なら/寺へささげて/手習いさせて…/お侍さまも辛かった/百姓衆も辛かった/伊予宇和郡伊達が領

 丸谷吉彦(吉一 昭21~ 宇和町 ~異神、開花期~ 「夢の姿勢」 昭59歌会始入選)
 〈異象〉 そのかたは渇いたわたしの肩に手を置いて/石よ/とお呼びになった 石よ/かって愛や絆であったもの/痛みや苦しみであったものよ/と/そしてそのあと/せつなげに口ごもってしまわれた けれどもわたしは憶えている/そのかたがついに声にされなかった/もう一つのわたしの呼び名を 愛や絆 痛みや苦しみであるより前に/わたしは/一片の〈翔ぶもの〉であったのだ はるかなむかし/わたしを〈翔ぶもの〉と名づけたことが/そのかたにとってたとえ過失の命名だったとしてもー/わたしは/わたしを病んでいるそのかたにお伝えしたい 〈翔ぶもの〉であったというひそかな自負こそが/いま わたしに/石であることの重たさを耐えさせてくれるのだと

 三木昇(大15~ 川之江市 地球・開花期・樫~ 「雨の経緯」「水の区域」「触媒」「水の出遇い」「氷化」)
 〈声〉 しずかな斜面に立っているのは/わたしだけではない/わたしに身近な人/見知らぬ人が立っているのだ 冬の空がついにたわみ/支えていた気層がなだれている/地の窪みへ還りつく前に/人は青い葉を求めて斜面に立ち/無言の声をたてている/陽の翳が/立っている人を赤く塗りつぶしている/ほう ほう ほうと/掌に息をはき/声をいやしている 遠く/余りにも近い距離に/人は目をあけて声をたてている

 みもとけいこ(三本恵子 昭28~ 宇和町 詩人会議・ほのお・流布~ 「わいんぐらす」「平和への願い」「明へ」)
 〈わたしの戦争体験〉 ひろしまの道路は しろい/ひろしまの町は うつくしい/あたしは八年と半年/草一本はえないほどに/きれいに敷きつめられたアスファルトの上を/電車に乗って学校へかよった (そうだ/草一本はえてはならないのだ/ひろしまの地下を語るものは) たちのぼる過去の臭気をおおうために/すきまなくアスファルトを敷きつめる/都市計画/今でもビルを建設するため地下を掘ると/無縁仏が出るという/そこでひきちぎられた人生の断面が/戦争が終ったらと 夢みる形でひからびている (眠りのない闇をさまよい続けた夢は/目を失い 耳を失い 人格を失って/亡霊となる ふうせんのような/ねがいだけがふくらんだ) アスファルトは/三五年の歳月であり/忘れたいという望みであり/忘れさせようという意図である (意図ははりめぐらされていた/はえとり紙のように意識しなければ/見すごしてしまう さりげなさで) あの日の話を聞いた/あの日の絵を見/あの日の写真を見た/それがあたしの 戦争経験だ/だから あの日/の・もあ・ひろしま と 言ったのだ/その時背後から/いきなりはりがねがのど元にくいこみ/もう一つ 戦争体験をした (どうしてと 声にならない声で/叫んだ時 確かに/後向きでほくそえむ/アスファルトの素顔が見えた) 浮かれた雑草のこちら側で/死者は 監視されている/死者に近づく者も 監視されている/なぜならば/近づくものが 皮膚で聞く声が/アスファルトを突き破ろうとするからだ

 森本のりを(憲夫 大6~ 松山市 ~星丘・石楠・いたどり、野獣~詩論「鬼貫のまこと説」「文明の危機と石楠俳句」・詩集 「俳句解体虹を追えば」…俳句解体と最短詩の主張は無季・口語・不定型である。)
 〈大衆といてもひとり〉・シャボン玉が/消えて/なにもない空 ・錆びたドラム缶が/腐るのを待っている/砂漠の真ン中 ・海の琴/鳴り出よ/星のまたたきに ・ペンの音も/しぐれる ・インド洋に/落日が病む/天の悔 ・日が悔む ・城は/闇のうえ

 山本耕一路(信 明39~ 松山市 詩芸術・開花期・文学館・野獣主宰~ 「岩」「壁をくわえた海」「蒼い淵」「しろい樹」
 「眠りのひと」「森の織糸」「山本耕一路自選詩集(1)(2)」「日本現代詩人叢書56集 山本耕一路」)
 〈鳥の散髪屋〉 この島の町に/散髪屋は一軒しかありません/散髪屋には三つの鏡がありました/お客がいないので三つの鏡は前の硝子戸を透いて/それぞれ海を映し出していました/のんびりした風景です/ぼつぼつお客が現われ/どれも鏡の海にしっぽり濡れて行きました/次の客も 次の客も/顔へ海を溜めこんで出て行きました/道すがら/彼らの気づかぬうち/鏡の顔の在り場所から/見えない櫛で梳かれた何匹かの鴎が/放たれたように飛び立っています

 横田重明(昭21~ 新居浜市~どんろこ、詩人会議・ほのお~ 「愛媛の詩史(1)(2)(3)」)
 〈錬金術師〉 私の背は曲っていない/歯は剥きだしでなく 黄色くもない/眼は斜視どころか涼しい目元をしている年よりのあのいやな匂いもない いったい誰だ!/私を欲ばりでけちん坊の/老人に仕立てたのは/私はまだ三十も迎えていない/その気になれば/添ってみたいという女だって/何人もいる けれども私の欲しいのは/愛や名誉ではない/金だ/いっぱいの金だ/その金の力で/私は自然と宇宙の秘密を/探りあてたい だが この実験室の乱雑さは何だ/どれが かぶと虫/どれがクモのはらわた/どれがトカゲの頭の粉末なのか/それに/ひと月まえに自分で書いた このノートの/三日月形の記号 これは何だったか 私の脊は曲がっていく/歯は剥き出して黄色くなり/眼は斜視でじろりとにらむ/ああ そして年寄の匂いだけでなく/いろんな虫 いろんな獣 いろんな草の/匂いにそまって/自分で自分がいやになる それでも私には見つけられなかった/金の精はいったいどこに/かくれているのか。

 以上は、作品の巧拙に関係なく、主として県内の詩結社・詩誌の主宰者ならびに独自の歩みをつづける詩人たちを、その詩作のうち詩人みずからが愛着を持つ作品とともに列挙した。「遊びでやっていることで、文学活動はやっていない(「蕊」清家博幸)と意識している楽しい詩人もいる。県内在住詩人たちの名をつづける。

 青野有里子(房子 松山市 野獣~) 赤松襄一(昭6~ 八幡浜市 海市~ 「こひやまびこ」「天狗と祭火」「剣道詩集」八幡浜に詩碑) いしかわ もう(石川猛 昭25~ 新居浜市「ほたる石」 伊志 皓(石部幸四郎 伊予市野獣~) 伊丹悦子(昭21~ 松山市 日本詩人クラブ・櫓・野獣~ 「だまし絵」 池田ふみ(文 野獣「ポエジー」) 泉浄彦(昭15~ 松山市「わるあがきー泉浄彦による単独犯」) 市川幽一郎(雄一郎 松山市 野獣~) 稲垣誠夫(昭9~ 今治市 あいなめ~ 「北斗七星」) 今西博之(昭6~ 西条市 ~時間・大空・詩桟・砂集・龍舌蘭、瘤~ 「火田民抄」「かいがらの中で」)大野玲子(昭17~ 松山市 ~野火・歴程、野獣~ 「暗夜行路」) 音地 京(渡部就子 松山市 ばらた~) 加藤明生(昭25 松山市 鳥語~「ピュティアのための詩篇」「幸福の探求」「愛のみなもと」) 角石 保(筆名高木皓 川之江市 樫~) 金田福一(大3 土居町 ~愛媛詩人「愛媛詩人」発行) 菅 智子(大三島町 KOBU~「みどりご」「神さま」) 菅まり(昭23~ 菊間町 「鳥たちと」) 久下勝(勝 明38~ 吉田町 ~山手線・神戸詩人・椎の木・愛媛詩集・愛媛詩人) 黒川由紀子(ユキ子 大5~ 松山市 野獣~「彼岸花」) 桑原秀信(大元~ 川内町ガリラヤ荘「しいのみ」) 小松流蛍(晃 昭17~ 今治市 ~絆・りりしすと・手毬、野獣~ 「流蛍詩集」「病院」) 鴻上みち子(倫子 昭7~ 新居浜市 ~ほのお・愛媛詩集) 高知太郎(芳野祥博 昭21~ 松山市 野獣~ 「赤い絵」) 近藤緑星(実 大11 ~丹原町「豆本詩集幸福の処方箋」) 佐川 敬(敬 昭8~ 「あなたの皮袋」「影絵」) 坂木 透(寺坂通一 松山市 ばらた~) 堺千里(昭25~ 松山市 「よちよち歩きの恋の歌」) 志賀 洋(弘明 宇和島市 ばらた~ 「ばらた19特集詩抄3志賀洋」) 繁桝 旭(昭4~ 八幡浜市 ~詩洋、SIVA~ 「瀬戸の海」) 須賀野涼風(昭22~ 宇和島市「須賀野涼風自選詩集」) 田中鉄繁(明39~ 今治市 路傍人・太平洋詩人~ 「灯台の光よ永遠に」) 田中十黄夫(英雄 昭8~ 八幡浜市 ~リアス・南海文学、海市~ 「神経繊維」) 高尾栄一(昭14~ 川之江市 樫・ゆうかり~個人詩誌「リベルタン」「海南詩人」) 高橋信之(昭6~松山市 野獣~ 「そのときどきに」) 竹内英世(昭20~ 松山市 ~愛媛詩人・愛大詩帖・同行二人・花綵列島 「告発の季節」「幼年詩篇」) 武田行栄(野獣「女いっぴき」) 鳥沙鬼夫(今岡慎三 宇和島市 ばらだ~「ひとりあるく空」)戸田たえ子(昭23~ 新居浜市 KOBU~ 「夕暮」) 仲小路駿逸(昭5~ 松山市「漢詩意訳からうたよりてうたへる 1~4」) 西之谷成川(好 大15~ 宇和島市 ~愛媛詩人・皆楽詩侶社、癸丑吟社~ 「個人詩誌秀登留武」) 能成與一郎(大13~ 松山市 ~春蘭・日本詩人、野獣~ 「詩友の会」代表) 福沢きたる(増田武夫 昭33~ 小田町 「白い花」) 藤淵欣也(大8~ 長浜町 ~日本詩壇・詩文学研究・灌木、詩洋・野獣~ 「記念写真」「流遥抄」「春の潮」「旅を見に行く」)増本盛喜(大6~ 城辺町 風土・新風土~ 「倶会一処」「続・倶会一処」「倶処一処・終章」) 三浦 覚(大13~ 新居浜市「残照」「ふるさと」) 三根生 守(昭4~ 八幡浜市 海市~) 森岡弘子(上浦町 ばらた・階段~) 森田史郎(松山市 ~石碑 「くれないの花」) 森原直子(浅井 昭25~ 樫・銀河詩手帖・野獣~ 「最初の花」「飛翔」「風の予感」) 山辺康三(昭24~ 松山市 ~驢馬 「山辺康三詩集」) 山崎ヨウコ(洋子 松山市 ~ぼう小屋・かえる・野獣 「かえる」1~4号)。これらの詩人のほか、赤松道子(朔)・大森孝義(灰色の歌)・阿相順子(遺跡)・栗原洋一(ハンガー)・黒石三樹(無垢に憑かれて・辻斬り・落胤・乾坤の賦)・高橋久子(夜汽車と鴨と)・中山芳子(リアス)・西野周次(バンコックに死す)・藤井敏央(古代感応)・松本紀子(パピルス船)・矢野忠・やまうちいさお・山田満・山彦三太郎(木原康秀・リアス)などの諸氏がある。

 県外にて

 ふるさと愛媛に生を享け、幼少年期をふるさと愛媛の山河に抱かれて育ち、笈を負いあるいは志を求めてふるさと愛媛を去り、活躍の場をふるさと愛媛のほかに求めた人たち。

 伊賀上 茂(明37 松前町-埼玉県)
〈水仙花〉 かたき地殻をふみ破りて/永遠のみどりをたたえ/凛烈冬を匂うかな、その純白/孤高に住んで清節を全うするもの/眼にはしみるよ/庭前の水仙花。

 岡上哲夫(昭2~ 八幡浜市-東京都 ~ドルフィン 「外燈の歌」「娼婦または夜の祈り」)
〈ハンガー〉 ハンガー/ポロシャツを着ている/夜/魂をひっかけて外出する/地球の古釘/ハンガー/痩せてるな/くすんだ花模様の壁紙のところで/ぶらぶらゆれている/まつ暗な洋服ダンスの中で/くたびれた外套を着ているハンガー/君はいつも孤独で猫背だ(以下略)

 奥田晴義(大11~ 松山市-東京都 ~南海詩人・果樹園、現代詩選~詩集「わがロシヤ抄」「滔滔」「日本現代詩人叢書第92集奥田晴義詩集」)
 〈日本海におもう〉 深海魚の孤独の深さは/海の重量によってはかられる。 深海魚よ/お前の溜息、お前の独白/どうしてそれが僕につたわろう。☆海は、あるたしかな重量をもって/深海魚の肩先を打つ。/その重量にたえたもののみが/深海の主となる ☆深海魚との距離は/僕らの没落によってのみちじまり/深海魚の浮上によってはたすことはできぬ。

 河野仁昭(昭4~ 丹原町-京都市 ノッポとチビ・すてっぷ 詩集「回帰」「瑣事」「村」、詩論「抒情の系譜」「現代詩への愛」「四季派の軌跡」「現代詩への架橋」)
 〈焼酎〉 バカに明るい日であった。鴉も鳴かなかった。明るい途方もないがらんどうの中へ 入ったような気がした。それが わたしの敗戦だった。大人ではなかったが もう子供ではなかったから いずれ兵隊にとられて死ぬんだと 心に決めていた。ひどく 裏切られた という気もした。盗み煙草の味をおぼえたほかは 何もせずにいた。(2・3連略)

 高橋新吉(明34~ 伊方町-東京都 愛媛新聞詩壇選者)
〈昭59年新春 小鳥の影〉 朝小鳥の影を見るのは楽しい/花も咲いている/私は八十年余り生きてきたが/生きることに飽きはしない/そんな贅沢な考えは私はない/そうかといって生きることを/それほどよろこんでもいない/本当は生きている私などと/いうものはないからだ/仏の教える無生法忍を/尊ぶだけである。

 野田真吉(大2~ 八幡浜市ー東京都 現代詩の会~ 「奈落転々」「暗愚唱歌」)
 〈鳥の反抒情と抒情の構造〉 鳥は卵をうんだ。/鳥はやがて自分と同じ鳥がうまれでる卵を/くやしさのあまり/喰ってしまった。/鳥は卵の殼まで踏みつぶし、粉々にした。/鳥は糞をたれた。/糞は黄色い匂いがした。鳥は憎々しく蹴ちらした。/糞は土くれにまじって姿を消した。/だが、鳥は脚もとの土埃が卵臭いので/胸がむかむかしてきた。/たまらなくなって空に飛びたった。/白い、まるい雲が卵のようにみえた。(以下 略)

 宮中雲子(ちどり 昭10~ 三瓶町ー東京都 サトウ・ハチロー創刊「木曜手帖」編集「母だけを想う」「愛の約束」「愛の不思議」)
 〈虹がうすれる〉 雨あがりの空に/驚くほど透明な虹/母と娘は縁側で/ただ虹を仰いでいる/近づく別れの時が/二人を無口にしている うすれる虹に/とってかおるとんびの声/ぬれた垣根のむこうから/かにが庭に入ってくる/娘は食べ残しのパンをちぎって投げ/母は〝そんなもの食べるの〟と言う 畠のなすは/雨のしずくを頬に光らせ/かぼちゃの花も/明るい顔を空に向けているのに/〝虹が消えるのを見るのはいや〟/母はつぶやいて立上る

 一色 哲(昭36~ 松山市-広島市「鎖愁」) 奥田政樹(政喜 昭19~ 松山市-東京都 ~詩都・亀朴・野獣・コークス主宰「廃墟とパラソル」) 紙田千恵(昭19~ 八幡浜市-茨城県 ~南海文学・詩人会議「白い花」) 佐土原台介(昭17~宇和島市ー北海道「団扇をつくる詩人」「脳体解剖図」) 篠永哲一(昭16~ 伊予三島市-高松市「句読点」「ふるさと」) 篠原雅雄(明41~ 川之江市-加古川市 ~牧神・現代詩手帖、日本詩人・野獣「虹と論理」「審判」) たけうちみどり(藤田みどり 松山市-川崎市 ~野獣・原点、ラメール) 田房成雄(昭28~ 中島町-茨木市 氷雨~「大悲巷」) 高橋幸子(昭21~ 松山市-東京都 ~野獣・樫・匹・銀河「白いあざみ」) 塔和子( -香川県 黄薔薇・そばえ・樫~「はだか木」「分身」「エバの裔」「第一日の孤独」「聖なるものは木」「いちま人形」「いのちの宴」) 森田蘭(昭2~ 松山市-徳島市「この秋は」) 山本進(昭26~ 今治市-船橋市「木口木版詩画集 水夢譚」「夢の祝祭・魂の影」)などもいる。

 亡き詩人たち

 尼崎安四(大2~昭27)は大阪市の出身、三高時代野間宏らの「三人」に詩作を発表。京都大学英文科中退、出征。戦後は涼香夫人の郷里西条に住み、平井辰夫らと詩誌「地の塩」を発刊した。宗教性をもつ尼崎の詩は高橋新吉をして「宮沢賢治や中原中也をしのぐ」といわしめた。西条高校に勤務、骨髄性白血病のため死去。「定本尼崎安四詩集」(昭54 弥生書房)がある。西村秋羅(章 明33~昭57 野獣 「母ちゃん」)、林啓蔵(明34~昭19 「自然の時計」)、有光順子(遺稿詩集「空に向って」)、石野狭庭(「愛媛詩人」編集発行)、岩島正(大7~昭55 戦後、新居浜市立商業高校に勤務 「思索」)などのほか、二神節蔵(大4~昭22)は、戦後城辺町にあって、いちはやく詩誌「芸術道場」(昭21)を刊行し、あわせて児童詩「子供車庫」・短歌雑誌「石坪」「海風」を発刊し、自選歌集「花女」「石猿」を発行した。「二神節蔵遺稿集」(昭22 南予短歌会・芸術道場社発行)がある。その「詩篇」のなかから〈夢幻〉 菜畑を菜畑を あっちから追はう/こっちから追はう 花かげを 花かげを/ほろほろこぼるる花かげを/あっちから追はう/こっちから追はう/オトウが菜の葉でパッパッパ きつねなら きつねなら/可愛いいめぎつね つかまへよう/あっちから追はう/こっちから追はう。
 このころ西海町に羽賀裕昌(筆名北龍一郎とも)がいて詩を書いた。また、松田明三郎(明27~昭50)は伊予市出身で関西学院大学・東京神学校教授。詩集に「殉教」「黙示」「年輪」がある。林芙美子の父、火野葦平の母は愛媛の人。昭和三六年初演の「放浪記」は同名の小説の劇化ではなく、作者林芙美子の伝記劇。その大部分は菊田一夫の執筆。無名の詩人が世にみとめられ、やがて流行作家となるまでの姿を編年体に描いてゆく(「林芙美子の母性本能」戸板康二・オール読物昭59・1)。芙美子の詩集に「蒼馬を見たり」(昭4・6・15南宋書院発行)がある。火野葦平の詩集には「青狐」(昭18・5・30六興商会出版部発行)がある。

 作詞家たち

 唱歌に堀沢周安(いなかの四季・日の丸の旗・明治節)・佐竹茂慶(紀元節唱歌あらとき)、景浦椎桃・田中雁木(伊予鉄道唱歌ほか)、歌曲に林古渓(浜辺の歌)、校歌に土井晩翠・大木惇夫・吉田拡など、童謡に織田子青(夏の欠伸)・林克山(母馬仔馬)があることはそれぞれの項での記述がある。歌謡作詞家に あいたかし(道後湯の町しのび雨・夫婦橋)・堺千里(後悔川)・志賀圭次郎(ジョン万次郎)・横田俊二(佐田岬燈台)・和田香苗(わかれ)が活躍している。