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愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)

三 音頭・小唄

 「民謡」の語義については諸説があって一定していない。しかし、民謡とは本来、郷土の民衆集団の間に自然に発生し、伝承されてゆくうちに、その生活感情を素朴に反映した歌謡ととらえておきたい。櫨取歌(八幡浜市、西宇和郡地方)、田植歌のような労作歌、今治よいやなのような祝儀歌、伊予万歳、雨乞い踊り、鹿踊りのような踊り歌など、県内各地にはさまざまな民謡が残されている。また、「伊予節」は、伊予の民謡の代表といわれる。


   今治よいやな

  積んで行こうか お城の石を 船は千石 今治さして
   帰れば満載 米の山 ヨイヤナー

  寝たら夢でも 見よかと思うて 枕取りよせ 寝てまで見たが
   夢にも見やせぬ あだ枕 ヨイヤナー

  今宵別れて いつの夜に逢おぞ 遅し六月 宮島縁日
   それには必ず 出会いましょ ヨイヤナー

  今宵こなたの 御取持は 金の島台 黄金の銚子
   下さる御酒は 保命酒 ヨイヤナー

  蛙ひょこひょこ 二ひょこ三ひょこ 四ひょこ五ひょこ
   六ひょこ七八ひょこ 九つころんで十んで去た

   伊 予 節
 伊予の松山 名物名所 三津の朝市 道後の湯
 音に名高き 五色素麺 十六日の初桜 吉田挿し桃
 小かきつばた 高井の里のていれぎや 紫井戸や片目鮒
 薄墨桜や緋の蕪 チョイト伊予絣

 伊予の松山 名物名所 緑したたる勝山城 鷺が手引の道後の湯泉
 子規の庵や 石手川 孝子桜に小富士桃 お国訛りは今もなお
 アバナダンダン おいきんか サッチにおしなや
 アノナモシ チイト 悪いねや

 しかし、ここで取り上げる音頭・小唄はいわゆる「新民謡」といわれるものであり、専門家に依頼したもの、あるいは公募によるものなどさまざまである。いずれも一定の土地を対象とした創作民謡である。歌詞には、その土地の名所・旧跡・自然美などお国自慢が取り入れられるのが普通である。中央の詩人によって作られたものには、西条八十作詞「いよはよい国」、野口雨情作詞「松山小唄」(昭和10年)・「今治音頭」などがある。「今治音頭」は中山晋平作曲、好評であり、小学校でも教材として教えていた。中島町の「中島音頭」は村上杏史(同町出身の俳人)の作詩、吉田町の「吉田民謡」は山内隆(同町出身の詩人)の作詩のように、郷土出身者による歌もある。「愛媛小唄」(昭和9年)は当時の海南新聞社が公募。選者は西条八十・中山晋平・長田幹彦・野口雨情であった。「西条小唄」・「西条音頭」なども、公募により観光協会が選定したものである。このように県下各地で新民謡が作られているが、これらもまた、古き民謡と同じく郷土愛や連帯意識に支えられて、各地の人々の心に根づいていくことであろう。

  伊予はよい国  西条八十 作詞
  一伊予はよい国 湯の香が匂うて
   空にのんびり ホンニヤレサノ莨山
  二道後湯の町 遍路の笠が
   暮れて宿かる ホンニヤレサノ朧月
  三恋じゃ急ぎやるな 石鎚山の
   露も面河のホンニヤレサノ滝となる

  松山小唄    野口雨情 作詞
  一伊予の松山 城山あたり
    春は桜の花となる
  二石手川沿い 並木の櫨は
    秋の夜長に色がつく
  三道後温泉 湯靄の中に
    ぬれてほんのり月が出る

  今治音頭    野口雨情 作詞
  一伊予の今治 ヨササノサ
   伊予の今治 はたやの煙
     ショコサイ ショコサイサイサイ
   はたや繁昌で ショコササノサ
   町も富む ショコ ショコ サイサイサイ
  ニくるい汐なりゃ くるい汐なりや
   来島瀬戸の 汐もぜひなや
   渦もまく