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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

1 明治期の書道教育

 小学校の習字教育

 明治初期は寺子屋教育から、小学校教育への転換期にあたる。明治二年(一八六九)新政府は「府県施設順序」の第一三項に「小学校ヲ設ル事」と題し、庶民を対象に小学校の設立を奨励し、近代教育への第一歩を踏み出している。指導内容としては「専ラ書学・素読・算術ヲ習ハシメ、願書・書翰・記牒・算勘等其用ヲ闕ザラシムベシ。」とあり、実用を主眼としているが、中でも書学が筆頭に掲げられていることは注目される。当時、習字は通称「テナラヒ」といわれ、手本はすべて師匠の肉筆が与えられ実用書示重視された。
 愛媛県においては、明治三年藩制改革の指令に基づき、松山藩は藩校「明教館」の教科課程を小学・普通学・国学・算数学・医学・書字学の六科とし、初めて庶民の子第の入学を認めた。ここに「書字学」とあるが、小学科(八歳以上)で習字を学び、普通学科に進んでから「書字学」を学んだのであろう。これが同五年石鉄県の開設した松山学校では「筆学」となっている。
 明治五年学制の頒布により、教科としての「習字」が成立した。「学制小学」第二七章によると、下等小学校の教科は一四科目に及んでいるが、その中「習字」が独立教科として第二位にあることは、当時実用的価値が重視されたものと思われる。同年九月「小学校則」頒布。下等小学校課程は第八級から第一級までを設け、各級六か月の習業を定めている。第八・七級は現行小学校の第一学年相当であるが、習字に関するものは次のように規定している。

  第八級 六ヶ月 一日五字一週三十字ノ課程日曜日ヲ除ク以下之二倣へ(注・字は時間の意)
   習字(テナラヒ)  一週六字即一日一字 手習草紙・習字本・習字初歩等ヲ以テ平仮名片仮名ヲ教フ、但数字西洋数
  字ヲモ加へ教フベシ、尤字形運筆ノミヲ主トシテ訓読ヲ授クルヲ要セズ、教師ハ巡回シテ之ヲ親示ス
  第七級 六ヶ月 一週六字 前級ノ如ク漢字楷書ヲ授ク

 これによると、毎日一時間の毛筆習字をし、平がな先習、楷書先習であり、次級より行書を学習している。
 同五年一〇月、石鉄県第三中学区(風早・和気・温泉・久米・浮穴郡)取締役内藤素行原案の一五大区(温泉郡)小学校規則によると「小学教則」とは異なり、下等を四級に分け、「習字」については次のようである。

  四級 二行四字ヲ通則トス不能者ハ暫ク一行二字トス 片・平仮名五十韻 数字楷体 干支同 国名上同
  三級 二行六字 国名下楷体 県名同 石鉄県内郡名草行両体 松山城下町名大略同 啓蒙天地文
  二級 二行八字 苗字尽草行 名尽同 名乗尽同 啓蒙地球文
  一級 四行十二字 大統歌楷 三札

 同六年二月石鉄県参事から文部卿にあて届出をした「下等小学仮課程」の「習字」は表2ー13のとおりである。
 この当時、県東京出張所から入手した教科書のうち習字については、啓蒙手習文六冊、習字初歩八冊、習字本一号より九号まで三部、手習双帋六冊、同附録三冊である。
 明治七年九月小学校に入学した正岡子規は、「八歳頃智環学校に入学せしが此頃は同校は法竜寺にありて課業は習字一方なりき、其後間もなく習字の専門はやみ小学を上下等に分ち各八級となし習字は毎日一時間づつとなりたり。」といっている。
 同九年一〇月、愛媛県小学校規則が公布された。その「小学校教則」には、習字について次のように定めた。

下等八級 最初石磐ニテ仮字の字形ヲ教へ次二習字本或ハ習字臨帖ヲ以テ書法ヲ教フ一紙九字乃至十二字ヲ法トス 七級 楷書臨本ヲ以テ一紙二十六字乃至二十字ヲ書セシム 六級 前級ノ如ノ数字二十五字乃至三十字ヲ書セシム 五級 行書習字臨帖ヲ以テ書セシム字数前級ノ如シ 四級 前級ノ如シ 三級 草書習字臨帖ヲ以テ一紙三十字以上ヲ書セシム 二級 前級ノ如シ 一級 前級ノ如シ 上等八級 細字楷書 七級 前級ノ如シ 六級細字行書 五級 細字草書 四級 楷行草速写

 松山で刊行された習字の教科書に愛媛県伊豫師範学校村田海石著「習字臨本」八冊がある。同一〇年ころであろう。なお、同一九年には、愛媛県師範学校内田義脩著「小学習字臨帖」一二冊が出ている。
 同一四年「小学校教則綱領」では、初等科は平がな片かなより始まり、行書・草書を、中等科(現行の第四、五、六学年相当)及び高等科は行書・草書のほか楷書を習わせ、内容は次のように示している。

 習字 初等科ノ習字ハ平仮名片仮名ヨリ始メ行書草書ヲ習ハシメ其手本ハ数字十干十二支苗字著名ノ地名日用庶物ノ名称口上書類日用書類等民間日用ノ文字ヲ以テ之二充ツベシ中等科高等科二至テハ行書草書ノ外楷書ヲ習ハシムベシ

県では、これに基づいて愛媛県小学校校則を同一五年一月に定めた。習字は次の表のようになっている。
 明治二四年「小学校教則大綱」ではまだ行書先習であるが、かな学習では片かな先習となり、以後昭和二二年の平がな先習の国語教科書が編集されるまで続くのである。その内容を示すと、

 習字八通常ノ文字ノ書キ方ヲ知ラシメ運筆二習熟セシムルヲ以テ要旨トス 尋常小学校二於テハ片仮名及平仮名近易ナル漢字交リノ短句通常ノ人名苗字物名地名等ノ日用文字及日用書類ヲ習ハシムベシ 漢字ノ書体ハ尋常小学校二於テハ行書若クハ楷書トシ高等小学校二於テハ楷書行書草書トス

 とあり、実用的な内容を行書・楷書で書くものであって、姿勢・執筆・運筆を正しく、整正に早く書くことを主眼においている。(大綱第四条)
 明治三三年小学校令全面改正、同施行法の制定により習字が「書キ方」と改称され、「読ミ方・綴り方」と共に国語科に統合、独立教科の地位を失った。これは、国語科として、三者が互いに関連して指導されることにより、教授上の能率を発揮しようとしたことによる。書き方による漢字の書体は、楷書・行書の一種もしくは二種(楷書先習)とされた。これは、欧米文化の吸収と筆記用具の発達に伴い、毛筆書道が実用から遠ざかっていったためであり、習字科不振の原因ともなった。

 中学校の習字教育

明治五年頒布の「学制」第二九章により、上下二等による中学が発足。上等・下等共に習字は独立教科として指導された。
 同一四年の「中学校教則大綱」により、初等科四年、高等科二年と規定され、高等科においては習字は除外されている。初等科における習字の毎週時間数と程度は次のとおりである。
 第一学年前・後期 楷書(二) 第二学年前期 行書(二) 同後期 草書(二) 第三・四年には除外されている。
 これに基づく愛媛県中学校教則(明治一五年一一月一三日)は、習字について、「習字ハ字形ヲ知リ運筆二巧ナルヲ要スル学科ニシテ、初等中学科二於テコレヲ課シ、先ツ執筆ノ法ヨリ授ケ筆力遒勁ニシテ字格正雅ナラシメ、且細字ヲ速写セシメ日常応用二慣レシメソコトヲ要ス」と示し、初等中学科第一年前期毎週二時間楷書、後期二時間楷書行書、第二年前期一時間行書、後期一時間草書としている。
 明治一九年「尋常中学校ノ学科及其程度」による習字の毎週時数と程度は次のとおりである。
  第一年五級 (二) 第二年四級 (一)
  習字 楷行草三体ノ書写及細字の速写
 同二七年省令により尋常中学校の学科に一部変更を見、習字の毎週時間数は第一年より第三年まで、各一時間ずつとなる。さらに明治三四年の「中学校令施行規則」により、独立科目であった習字が国語漢文の中に入れられた。教授要目によると、習字は第一学年より第三学年まで課し、毎週国語漢文七時間のうち一時間ずつ配当。程度は一・二学年が楷書、行書(清書は凡そ隔週一回)、三学年が行書、草書となっている。
 また、明治四四年「中学校教授要目」による習字の内容と学年別配当は次のとおりである。
  第一学年 楷書・行書・仮名、そして大字・細字
  第二、三学年 行書を主とし、楷書・行書・仮名に大字・細字
 なお、習字に関する「注意」として、①間架・結構の大要を知らせる、②実用に適切な学習をする、③繁雑な書論にわたらない、④習字を課していない学年(四・五年)に対しても作文・書取その他の場合に書写に熟練させる、などの内容が示されている。

表2-13 明治6年下等小学仮課程における習字

表2-13 明治6年下等小学仮課程における習字


表2-14 明治十五年愛媛県小学校教則における習字

表2-14 明治十五年愛媛県小学校教則における習字