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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

4 本県における戦後書写書道教育の概略

 新しい書写教育の動向

 戦後の小学校教育から毛筆書写の必修が廃止されたことは、長い伝統を持つ日本書道文化の将来性と共に、書道教育の上にも大きな影響を与えた。当時、本県男・女師範学校の書道教官であった浅海忠、澤田茂雄らは、新しい書の在り方を求めて教員による愛好者の作品研究会を発足させたが、学校教育での研究は全く見られなかった。そうした中で、浅海忠は戦前の規格を強制する書教育から、児童の個性に応じた創造的表現を重視する教育の開発を目指し、書家の森田子龍らと「新書教育」の研究に取り組んだ。これには伊予郡を中心とする青年教師が参画し、戦後期の本県書教育の発展に貢献した。当時の特徴として、学校教育よりは書道団体発行の競書雑誌が書道教育の上に大きく影響した。昭和二〇年代の主なものをあげると、『書芸』(愛媛書芸文化協会)「洗心」(洗心書道会)「習字」(愛媛県習字教育研究会)『書研』(書研会)などがあり、競書指導など社会的教育活動を通して書写教育に貢献したことは特筆される。

 研究組織とその活動

公教育に準じる研究組織として、ここでは小・中学校主体の「愛媛県書写教育協議会」と「愛媛県高等学校教育研究会芸術部会書道部門会」の活動の概略について述べる。
 愛媛県書写教育協議会は、昭和三二年国語科書写としての文字指導のあり方について実践研究をする目的で、県下の地区代表者が集まり、愛媛県習字教育協議会として発足した。同三四年、県下全郡市支部が加入し本格的な活動を開始した。会員は小・中学校書写担当教諭で構成し、研究会・展覧会などを開催してきた。同四七年、教育課程改訂に伴いその趣旨を受けて現在の名称に改め今日に至っている。主な活動として、昭和三七年以来、愛媛県学生書道展(県教育委員会・新聞社等の共催)、えひめこども美術展(同上)書道部門の審査運営の中心となって活動している。同五八年一一月には、県教育委員会等との共催による第四回四国書写教育研究大会を、伊予郡松前小・中学校を会場に開催した。研究主題に「基礎的技能を身につけ、豊かな表現力を養う書写指導」を掲げ、四国全県から四百数十名の参加を得、戦後最大の充実した研究会となった。
 愛媛県高等学校教育研究会芸術部会書道部門会は、同三六年高等学校教職員の研究組織として発足した。部門会員は県下公・私立高校の書道担当教師により構成され、主として研究会・講習会の開催、また研究会・調査成果の刊行等を行っている。四国四県の合同組織もあり、隔年ごとに各県巡回の研究大会を開催している。県内では毎年一二月下旬に研究大会を開き、教科課程・指導上の諸問題の研究討議のほか、各校の実践報告などを積極的に行っている。また研究大会を期して、教員・生徒の展覧会も開催している。