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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

4 戦後の音楽教育

 学制改革と音楽教育

 戦後は、音楽教育が充実と進展を遂げた時期である。太平洋戦争の終結により、昭和二二年(一九四七)「学校教育法」が公布され、六・三・三制が発足した。この新学制における音楽の教育課程は「学習指導要領(音楽編)」によって細目が指示されることになり、同年、その試案が発表された。
 音楽教育の目標については、学習指導要領に次のとおり示された。「音楽美の理解感得を行い、これによって高い美的情操と豊かな人間性とを養う。」これは、音楽教育を情操教育の手段とした従来の考え方を改め、芸術教育の一環としての純正な立場を確立したものとして注目すべきである。また、文部省は同二一年、教科書局長名をもって、従来のイロハ音名唱法を廃し、原則としてドレミ階名唱法に則ることを通達した。また、高等学校については、同二三年から新教育課程により、音楽は芸術科に属し、生徒の選択履習にゆだねられることとなった。
 学習指導要領は、同二二年に小・中学校、同二三年に高等学校と、試案として示され、指導の手引的な性格の強いものであったが、その後四回の改訂を経て、指導の基準的な性格を強め、今日に至っている。その改訂の要点を一覧表として掲げると、表2ー41のとおりである。

 検定教科書

新学制の趣旨に沿う教科書の編纂を目指し、教育現場の要請にこたえて、文部省は同二二年「一ねんせいのおんがく」から「六年生の音楽」までと、中学校用『中等音楽』を出版したが、同二三年、文部省令「教科用図書検定規則」が公布され、教科書の検定制度が発足し、以後各種の検定教科書が相次いで出版されるに至った。本県で採用された主な教科書は次のとおりである。
 小学校=教育出版社編『小学生の音楽』・音楽教育出版社編『小学音楽』 中学校=教育出版社編。『中学生の音楽』・教育芸術社編『中学音楽』 高等学校=教育出版社編『音楽』

 教育機関の充実

昭和三四年度から愛媛大学教育学部に「特別教科音楽教員養成課程」が設立された。ここで有能な音楽教員の養成がなされていることは、本県音楽教育推進上の強味である。一方、済美高等学校には、同年、音楽科と美術科とをあわせた芸術科が全国三番目に発足した。音楽科主任は二宮徹。その後間もなく音楽・美術両科に分かれ、引きついた音楽科主任寺田陽子以後全員女性の指導陣も全国的に珍しい。ここでは、小・中学校を通じて養われてきた音楽的才能を伸ばし、卒業生のほとんどが音楽関係の大学に進学、音楽家として活躍し、本県音楽レベル向上に貢献している。

 指導行政の整備

戦後における本県音楽教育の充実進展には目覚ましいものがあり、全国的な注視を浴びるに至った。その原動力としては、指導行政及び研究組織の整備が挙げられる。以下その大要について述べる。
 本県教育委員会制度発足に先立ち、同二三年、補導主事制度が発足し、音楽科でも発令された。同年一一月、県教育委員会の発足があり、同二四年度より県教育委員会に音楽科の指導主事が任命され、高校教育においては同四三年度より芸術担当指導主事が任命され、本県音楽教育の指導行政を担当した。しかし、全県的指導の徹底を期するため、各教育事務所への指導主事配置を望む声が高まり、同四〇年度に至り松山・今治に配置され、同四一年度には宇和島に、同四二年度には西条・八幡浜に発令され、ここに指導体制が整った。

 研究組織の整備

 〈県教組文化部〉 戦後、県教員組合文化部の中に音楽部も置かれ、終戦直後の教材不足の解消を目指し、同二四年『音楽補充教材集』を出版、小・中学校の指導資料を提供した。
 〈愛媛県音楽教育研究会〉 その後、小・中・高校の音楽担当教師の研究組織として愛媛県音楽教育研究会が結成され、愛媛大学の清家嘉寿恵・城多又兵衛らを会長として活動したが、同三五年、愛媛県教育研究協議会(愛教研)の創設に伴い、翌三六年、それに所属する小・中学校教員のみで構成する組織として改組され、初代会長に神尾光慶が就任した。
 〈愛教研音楽部と高教研芸術部会音楽部門〉 同三九年に至り、愛媛県音楽教育研究会は愛教研音楽部として発展的に解消し、初代部長に大森尚敏が就任、全県的な研究推進を図るため『研究目標及び研究の手引』を毎年度作成して県下各校に配布し、共同研究の資料を提供した。また、高校教員は、同三六年結成された愛媛県高等学校教育研究会(高教研)芸術部会音楽部門に所属、研究活動を始め、同三八年から東・中・南予三地区で音楽発表会を開催した。
 〈愛媛県吹奏楽連盟〉 戦後、器楽教育への関心が高まる中で、中・高校における吹奏楽は次第に普及し、同三〇年代になると、内容も次第に充実するに至った。このような情勢の中で、吹奏楽部を持つ中・高校が、その研究推進について相互の連携と演奏技能の向上を図るため、同三二年、愛媛県吹奏楽連盟を結成し、初代理事長に一色豊重が就任した。以来、加盟校相互の研究交流と情報交換、講習会の開催、指導講師のあっせん等の外、毎年一回、定期的行事として全四国吹奏楽コンクール愛媛県大会を開催、参加校も次第にその数を増し、中学校では約六〇校にものぼり、これにより本県の中・高校の吹奏楽の演奏技能は著しく向上し、四国大会、更には全国大会において、金・銀・銅賞等、上位入賞の実績を収めるに至った。
 〈愛媛大学教育学部附属小・中学校〉 本県音楽教育推進の一翼を担う機関として、愛媛大学教育学部附属小・中学校の存在を見逃すことはできない。毎年度開催される同校主催の愛媛教育研究大会の歴史は古く、ここで公開される音楽学習指導や演奏は、常に県下音楽教育の指標ともなり、音楽水準の高さは、NHK全国学校音楽コンクールにおいて、小学校七回・中学校三回の全国最優秀賞、小学校七回・中学校四回の優秀賞受賞の実績に示されている。これら業績の素地を培った戦後における同校音楽担当者は次のとおりである。
 〔附属小学校〕 小野田百合子(昭和一七~二三年)林提子(同二四人一五年)高畠茂久(同一七~二〇年)久米孝義(同二一~五三年)高須賀タキ(同一四~一六、二七~四八年)小川俊彦(同四四~現)阪本佳子(同四九~現)、〔附属中学校〕 河野博(同二三~三八年)本村卓生(同三九~四八年)三嶋良則(同四九~現)

 研究活動の実態

 〈研究指定校による研究推進〉 県教育委員会は各年度ごとに教科の努力目標を掲げ、指導の指針とすると共に、二か年連続研究の指定校(小・中各一校)を設げ、効率的な学習指導法の研究を行い、その成果を広く発表して本県教育水準の向上をねらった。
 〈愛媛県器楽教育研究会の開催〉 戦後の音楽教育における新しい開拓分野である器楽教育の振興を目的として、教師の実技指導と児童生徒の演奏活動を内容として、器楽教育の在り方の研究を行い、権威ある中央・地方の講師により、昭和三〇年以降十数回に及ぶ研究会を開催した。
  〈音楽教育研究大会の開催〉 県内大会としては、県教育委員会・市町村教育委員会・愛教研等の主催により活発な研究会が開催され、特に同三六年度よりは毎年定期的に開催される愛媛県教育研究大会に
長ける音楽部会では、全県下の音楽教員が参加する郡市単位の研究の積み上げによる全県レベルでの研究が行われ、また別に、器楽や合唱、日本音楽等についての研究会も郡市単位に開催され成果を挙げて来た。
 全国・中・四国を対象とした大会は表2ー42のとおりである。
 これらの大会においては、ほとんどが幼稚園・小学校・中学校・高等学校の四部門にわたり、大会研究主題の下に研究授業、研究発表、研究演奏、講演等を内容として真剣な研究協議が行われ、その都度、本県音楽教育の質の高さが評価された。次にその一例として、同四一年開催の全国大会における反響を紹介する。本大会参加者は、県内も含めて約二千名、県外参加者は、そろって本県音楽教育の質の高さを称讃し、その研究内容今大会の運営等にわたっていまだかつてない全国大会だと高く評価し、「音楽愛媛」を名実共に不動のものとする大会となった。全国音楽教育連合会事務局長石川誠一は、大会の研究報告書に次のような感想を述べている。
  「……このように聴衆に深い感動を与える演奏表現は、研究会だけのために一時的にやった練習では決してできるものではない。長い間の平素の基礎的訓練の積み上げが無くてはできないものである。愛媛県の各学校がいかに平素の教育を大切にしているか十分察せられる演奏会であった。学テ日本一もかくして成し得た実績であることに思いをいたし、私は今更ながら〈愛媛教育〉に深い敬意と尊敬を惜しまない。本当の教育、それが〈愛媛教育〉である」
  〈講習会その他の自主研修活動〉 教師の資質向上のため、歌唱・器楽・日本音楽等にわだっての各種の講習会が、県教育委員会・市町村教育委員会・愛教研等の主催や共催で開催され、また、教師の自主的研究グループによる研究や研修活動も極めて活発に行われ、同三七年には、長谷川新一・有賀正助・松本民之助、同三八年には、石川誠・小泉文夫、同三九年には、杉浦保雄らの錚々たる中央講師を迎えての音楽実技講習会が開催され、また、愛媛大学の大給正夫・佐藤陽三らによる合唱指導講習の数年間にわたっての連続開催など活発な研修活動が見られる。同四〇年代に入ると、愛教研各郡市支部を中心とする日本音楽の実技講習、歌唱・鑑賞・器楽指導から初心者対象の教材研究等、音楽の各分野にわたっての研修会が、毎年、自主的計画的に実施された状況が愛
教研音楽部報や研究紀要によって伺うことができる。
 なお、高教研芸術部会音楽部門では、毎年、愛媛県高等学校音楽教員研究演奏会及びえひめ高等学校芸術祭地区別連合音楽会並びに県連合音楽会を実施している。
 演奏活動においては、校内音楽会・郡市単位の音楽会も全県下に定着し、小・中・高校における楽器類も漸次各校に整備されるに至り、周桑郡でも同四二年には郡内中学校八校中、へき地の一校を除く七校に吹奏楽部が誕生したと報告されている。
 また、個人研究を深め、独特の指導法を考察して成果を挙げている教師も数多く輩出しているが、中でも附属小学校久米孝義の提唱した学習指導における多度数的多唱法は、県下の音楽学習指導に大きい影響を与え、県外の関係者からも評価を受け注目された。

 郷土の音楽への関心

 昭和三三年改訂の学習指導要領では、小・中学校共に日本音楽への関心を高めることが強調され中学校では「郷土の音楽」の取り扱いが示されたことを受けて、同三六年に県教育委員会より『愛媛県小・中学校教育課程参考資料。郷土のうた″第一集』が出版され、更に同四一年、指導主事河野博を中心に上田美登・首藤源六郎・玉井旭・木田正統・高畠茂久等により『愛媛のわらべ歌と民謡』が出版された。なお、別の資料としては、愛媛大学講師(現神戸大学助教授)岩井正浩編著の『愛媛のわらべ歌』(昭和五〇年)がある。

 本県音楽教育の成果

 本県音楽教育の充実発展により、小・中・高校における演奏活動の活躍には目をみはるものがり、全国的な注視を浴びるに至っている。すなわち、毎年開催されているNHK全国学校音楽ンクールにおいては、小・中学校本県代表はほとんど毎年四国代表となり、全国大会でも常に優秀な成績を収めている。また、器楽演奏においても四国代表・西日本最優秀・全国最優秀等の優れた成果を挙げている。更に社会的文化活動としての少年少女合唱団の活動も目覚ましく、昭和三六年今治市に結成以来、宇和島・松山と誕生
し、漸次全県下に拡大して、同四七年には愛媛県少年少女合唱連盟を結成、現在その傘下に一五団体が参加し、毎年定期演奏会を開催し、既に二二回を迎えている。本合唱連盟加盟団体は表2-43のとおりである。
 なお、各種コンクールにおける成績は表2-44・45のとおりである。

表2-41 学習指導要領改訂の推移と改正の重点

表2-41 学習指導要領改訂の推移と改正の重点


表2-42 全・中・四国音楽教育研究大会

表2-42 全・中・四国音楽教育研究大会


表2-43愛媛県少年少女合唱連盟加盟団体

表2-43愛媛県少年少女合唱連盟加盟団体


表2-44 全日本吹奏楽コンクール全国大会成績

表2-44 全日本吹奏楽コンクール全国大会成績


表2-45 NHK全国学校音楽コンクール(合唱)全国大会成績表

表2-45 NHK全国学校音楽コンクール(合唱)全国大会成績表


表2-45 NHK全国学校合奏コンクール全国大会成績表

表2-45 NHK全国学校合奏コンクール全国大会成績表


表2-45 RNBこども器楽合奏祭西日本大会成績表

表2-45 RNBこども器楽合奏祭西日本大会成績表