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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

5 昭和戦後期の図画工作(美術)教育

 新教育における学習指導要領の変遷

 太平洋戦争の終結とともに、民主教育への教育改革は活発に行われ、教育基本法・学校教育法の制定についで、学習指導要領一般編(試案)が公布され、引き続き、各教科の学習指導要領が発表された。図画工作・美術についての学習指導要領はたびたび改正された。

 昭和二二年 三月二〇日 学習指導要領一般編(試案)(昭和二二年度)
             小学校図画工作科・新制中学校図画工作科
 〃 二二年 五月二一日 学習指導要領 図画工作編(試案)(昭和二二年度)一年~九年(小・中学校)
 〃 二六年一二月一〇日 小学校学習指導要領 図画工作科編(試案) 昭和二六年(一九五一)改訂版
 〃 二七年 三月 一日 中学校高等学校学習指導要領 図画工作編(試案)昭和二六年改訂版
 〃 二八年 三月二〇日 中学校高等学校学習指導要領 図画工作編(試案)昭和二六年改訂版鑑賞資料改訂
 〃 三三年一〇月 一日 小学校学習指導要領(図画工作科)
 〃 三三年一〇月 一日 中学校学習指導要領〈美術〉
 〃 三五年一〇月 一日 高等学校学習指導要領 芸術科美術・芸術科工芸
 〃 四三年 七月一一日 小学校学習指導要領 図画工作
 〃 四四年 四月一四日 中学校学習指導要領 美術
 〃 四五年一〇月一五日 高等学校学習指導要領 芸術科 美術(I~Ⅲ)工芸(I~Ⅲ)

 これらの改正点などについては省略するが、初等教育におげる位置づけ、中学校における「美術」と「技術家庭科」との関連、幼稚園における幼稚園教育要領の「絵画製作」との関連などと合わせて、図画工作科・美術科の位置づけが明確になった。

 県行政機関の指導体制確立

文部省はこの学習指導要領の趣旨徹底のための講習会を開き、県内においても、その都度、伝達講習会や研究会を開いて、その理解と現場の実践研究に努力した。また、行政指導としても、補導主事制度、(東・中・南予、後に五教育事務所)県教育委員会にも指導主事を配属し(昭和二六年)、県教育研究所(後に県総合教育センター)にも研究員を配属させて、美術教育の発展に努力した。また、研究団体と共催して、全国的ないし四国ブロックの研究大会を聞催し、児童生徒の美術教育展を開いたり、教員の国内留学、美術教育資料の編集発行など、積極的な行政指導を行った。

 愛媛美術教育研究会の結成

 昭和二三年(一九四八)一一月、愛媛美術教育研究会が結成された。戦後の虚脱状態を打破し、新しい美術教育のあり方を追究しようと、かねてから、石井進(南放)・木村武郷・仙波盛久・吉金四郎・横山明・高橋忍・新海英一郎等が準備会を開き、ついに研究会の発足に漕ぎつけた。これは、昭和初期における愛媛県図画手工研究会の流れを汲んで生まれたものであり、幼稚園連合会、小・中学校の愛媛県教育研究協議会(図画工作教科委員会)、高等学校教育研究会の美術部門、愛媛大学の美術教室と不離一体の関係を持ち、すばらしい活動を続けて来た。その初代会長は藤谷庸夫であり、野村正三郎、石井進と続いた。
 同三六年、県内美術教育団体を統合し、組織を確立するために、愛媛美術教育研究会は、愛媛美術教育連盟と名称を改め、学校毎に部門を設けた。会長は、石井進・高橋忍・川端修・浜田定雄・水口汎と受け継がれて今日まで三七年、愛媛の美術教育をここまで推進させたことは特筆に値する。
 その業績は、昭和五五年刊『美連30年のあゆみ』(愛媛美術教育連盟)、『えひめの図工と美術№12』(愛媛美術教育連盟機関誌)『美研』(愛媛美術教育研究会機関誌)『美連』(愛媛県教育連盟機関誌)に掲載保存されているので、その主なものの項目をあげるに止める。
 〈研究大会〉 研究会組織結成(昭和二三年)以来、全県、又は東・中・南子ブロックで研究大会開催
 昭和二八年    四国美術教育連合を結成、四国四県が巡回して研究大会開催、現在も存続中である。
 〃 三二年一〇月 第一〇回全国図画工作教育研究大会を愛媛県で開催、主会場は愛媛県民館であり、講師は広島大学長森戸辰男・京都大学教授井島勉であった。
 〃 四七年六月九~一一日 図画工作・美術教育研究大会(兼第七回四国造形教育研究大会)を松山市民会館外、市内小学校、主題「生きがいの美術教育」―ゆたかなことたくましい表現力を―
 〃 五三年一一月二四・二五日 第一五回全国高等学校美術・工芸教育研究大会。会場は松山市民会館及び県立美術館。主題「生徒と共に歩む造形教育」
  注 全国大会はすべて、県教育委員会、全国・県内関係研究団体の共催であるが、県美術教育研究会(美術教育連盟)が主宰した。
 〈教育美術展〉 結成以来毎年一回、全県展に、幼稚園・小中学校から作品を募集して、合同審査の上、中央展と巡回地方展を行う。昭和四八年以後は、愛媛新聞社と共催で「えひめこども美術展」を開いて現在に至る。
 高等学校部門は、別に県立美術館で、高校生徒美術展を毎年開催している。
 〈研究集録等の発行〉 『愛媛美研研究集録』第一集(昭和三〇年)から毎年研究集録を発行。『こどもの絵は生きている』(昭和五一年愛媛美術教育連盟編集、愛媛新聞社一〇〇周年記念刊行)機関誌『美研』『美連』『えひめの図工と美術』(愛教研美術部門発行)、愛媛県教育美術展スライド解説、新教育課程『中学校美術科への要望』がある。
 この他、『愛媛教育時報ー美術教育特集号』(昭和二六年一月、県教委発行)、民間月刊美術教育雑誌『形ー愛媛県特集号』(昭和三〇年七月)がある。

 愛媛県教育研究協議会美術部の活動

愛媛県教育研究協議会(愛教研)は、昭和三五年(一九六〇)九月、小・中学校の研究団体として結成され、同三六年には美術部が組織化され、委員長が選出されて、毎年充実した研究行事が持たれてきた。
 詳細については、愛教研発行による『愛教研二〇年のあゆみ』にくわしく掲載されているので、ここには重複を避けるが、前掲、愛媛美術教育連盟の活動と一体化して、研究大会・教育美術展(えひめ子ども美術展)の開催、ワーク・ブックの編集、研究集録の発行など、組織力を通し、会員の自由な研究を結集して活動し、明治以降、最も充実した美術教育の黄金期を築いた。

 愛媛県高等学校美術部門と済美高等学校美術科

戦後における高校の芸術科教育は、高等学校教育研究会の組織の中で、研究主題を持ち、研究の交流とその発展に努力して来た。すなわち前述の愛媛美術教育連盟の高等学校部門として一体的な活動を保ちつつも、高校教育研究会・高校美術展などを毎年開催して高校美術教育の発展に貢献した。
 特に、昭和三四年四月、現場の要望により、私立済美高等学校に芸術コースが創設され、音楽科二九名、美術科一八名が入学したことは、高校美術教育上画期的なことであった。創設当時の美術科は渡部徹教諭が主任として協力した。当初は芸術関係大学への進学者も多く、また、「済美展」を開いて、高校芸術課程の進展に成果をあげてきた。

 戦後の民間美術教育運動

 昭和二一年ころから、全国的に美術教育についての民間活動が活発で、愛媛県においても例外でなかった。久保貞次郎・北川民次等の提唱する創造美術教育は、幼稚園・保育所・小学校に浸透し、創美の愛媛支部が持たれ、全国集会にも参加するものが多くいた。浅利篤・中西良男などが主宰した児童画研究会は、児童画を通しての性格判断などを研究し、本県でも研究グループができて、研究会が持たれたり、研究記録が集録されたりして、幼児教育機関では深い関心が持たれた。福山進が指導者として、愛知県を中心に提唱された形態学習法は、感性トレーニングを重視する独特の学習訓練を工夫し、松山地方・今治地方で研究グループが生まれ、たびたび講習会が持たれた。井手則雄・鈴木五郎の提唱する「新しい絵の会」、高橋正人・岡田清一・藤沢典明等が所属する「造形教育研究会」、大阪を中心に、高妻己子雄が主宰する「教育美術振興会」の運動なども本県の民間美術教育運動にかなりの影響を与えた。しかし、学習指導要領の法制化が強くなり、一方、それらの民間教育運動も次第に影をひそめて行ったが、戦後の美術教育振興の礎石になったことは意義深い。

 愛媛美術教育の成果

 戦後、愛媛の美術教育は堅実な歩みをたどり、全国的に高い水準を示して来た。例えば、中央の公募展などで、毎年すばらしい成績をあげている。最近の記録を見ても、文部大臣賞またはそれに準ずる入賞数は、昭和五三年度(六)、同五四年度(八)、同五五年度(二〇)、同五六年度(一六)、同五七年度(一七)と、優秀な成績を示した。
 もちろん、教育美術展が美術教育のすべてでないが、この実績は、正常化された愛媛教育の中で、教育行政の指導下、研究団体の組織が強固であり、永年積み上げてきた学習効果の結晶というべきものである。
 ちなみに昭和五九年度の文部大臣賞とそれに準ずる入賞学校及び入賞者を列挙しておこう。

○第一回伝統工芸品月間図画コンクール   文部大臣奨励賞  美川村立二箆小  六年  大 野 早 苗

O第三十五回明るい選挙啓発ポスター    全国最優秀賞  八幡浜市立松蔭小  六年  山 下 陽 子

○第三十二回全国児童生徒作品コンクール  文部大臣奨励賞  伊方町立町見中  二年  得 能 健 二

〇科学万博展                万博協会会長賞  八幡浜市立江戸岡小  六年  二 宮 祥 暢

○全国海の子絵画展            文部大臣奨励賞  伊方町立町見中  二年  広 野 夕力子

○省エネルギーポスターコンクール     文部大臣奨励賞  上浦町立瀬戸崎小  二年  藤 原 経 久

○第十三回世界連邦推進全国小・中学生ポスターコンクール  最  高  賞  大洲市立平小  一年  中 本 ユカリ

○全国学校歯科保健図画ポスターコンクール  最 優 秀 賞  伊予三島市立三島小  三年  久 原   充

○第四十四回全国教育美術展        教育美術振興会賞  愛媛大学附属小学校  (学   校   賞)