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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

3 工業教育の目標

 明治・大正時代

明治五年(一八七二)に頒布された「学制」には、「工業学校ハ諸工術ノコトヲ教フ」とされ、高級技術者の養成を図った。同一二年に「学制」を廃止して新たに「教育令」を公布し、同一三年に改正して学校の種類の中に職工学校を加え、「百エノ職芸ヲ授クル所トス」と規定した。
 同二七年の「徒弟学校規程」では、「徒弟学校ハ職エタルニ必要ナル教科ヲ授クル所トス」と定められた。更に同三二年制定の「実業学校令」では、「実業学校ハ農業工業商業ノ実業二従事スル者二須要ナル教育ヲ為スヲ以テ目的トス」と定め、徒弟学校は工業学校の種類とされた。そして同三七年の「徒弟学校規程改正」では、「徒弟学校ハ職エタルニ必要ナ教育ヲ為スヲ以テ目的トス」と改められた。
 大正九年(一九二〇)の「実業学校令改正」では、「実業学校ハ実業二従事スル者二須要ナル智識技能ヲ授クルヲ以テ目的トシ兼テ徳性ノ涵養二カムベキモノトス」と改め、徒弟学校を工業学校と融合させた。

 昭和の初期から終戦まで

大正の後期から昭和の初期にかげては目標に改変はなく、安定した工業教育が行われた。昭和一八年(一九四三)一月に「中等学校令」が公布されて、実業学校は中等学校となり、教育の目的は「中等学校ハ皇国ノ道二則リテ高等普通教育又ハ実業教育ヲ施シ国民ノ錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」と定められた。更に同一八年三月には、工業・商業その他の職業別規程が廃止されて「実業学校規程」の一本に統一され、実業学校の目的は「皇国ノ東亜及世界二於ケル使命ヲ明ニシ皇国産業ノ重要性ヲ自覚セシメ職分ヲ尽シテ皇運ヲ扶翼シ奉ルノ信念ト実践カトヲ涵養スベシ」と規定し、戦時下における実業教育のねらいを示した。
 戦局が本土決戦の様相を呈した同二〇年五月に公布された「戦時教育令」では、「学徒ハ尽忠以テ国運ヲ双肩二担ヒ戦時二緊切ナル要務二挺身シ平素鍛練セル教育ノ成果ヲ遺憾ナク発揮スルト共二智能ノ錬磨二カムルヲ以テ本分トスベシ」と定め、工業学校は教育の機能を失った。

 戦 後

 戦後の昭和二二年に学制改革が行われ、同二六年に初めて出された「高等学校学習指導要領工業科編(試案)」では、高等学校における工業教育の目標を「将来、日本の工業の建設発展の基幹である中堅技術工員となるべきものに必要な技術、知識、態度を養成する」とされた。また、同三一年改訂の学習指導要領における工業教育の目標は、「将来わが国工業界の発展の実質的な推進力となる技術員の養成を目的とし、現場技術に基礎をおいて、基礎的な知識、技能、態度を習得させる」と改められた。
 更に、同三五年一〇月、「高等学校学習指導要領の改訂」が発表され、工業の目標は、「工業の各分野における中堅の技術者に必要な知識と技術を修得させる」と改められた。同四五年一〇月、「高等学校学習指導要領工業科編」が発表されたが、目標に変化はなく、同五六年四月入学の生徒まで、この学習指導要領による工業教育が行われた。
 同五三年八月には、学校教育法施行規則の一部改正が行われ、同日付で新しい「高等学校学習指導要領」が発表された。この新しい学習指導要領工業科編に示された工業教育の目標は、「工業の各分野の基礎的・基本的な知識と技術を修得させ、現在社会における工業の意義や役割を理解さぜると共に工業技術の諸問題を合理的に解決し、工業の発展を図る能力と態度を育てる」と改められ、これによる教育は、同五七年四月入学の生徒から学年進行によって適用されて現在に至っている。