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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

1 明治以降の看護婦の養成

 明治以後の看護婦の養成は、医学校の附属病院または各地の公私立病院附設の看護婦養成所で行われたが、大正四年に「看護婦規則」が制定されてからは、規定の施設・設備及び必修科目を定め、高等小学校卒業または高等女学校二年以上修業を入学資格とし、修業年限は二年以上とするなどの諸要件を充足した養成施設について、地方長官が指定することとした。昭和二三年に「保健婦助産婦看護婦法(昭23・7・30法律第二〇三号、略称=保助看法)」が制定され、免許資格の引き上げが図られた。すなわち、看護婦を甲種と乙種に分かち、甲種看護婦の免許は文部大臣または厚生大臣の指定した新制大学または養成所を卒業した後、厚生大臣が実施する国家試験に合格した者に与えることとし、乙種看護婦の免許は、文部大臣または厚生大臣が指定した新制高等学校程度の学校または養成所を卒業後、都道府県知事の行う試験合格者に対して都道府県知事が与えることとし、これらの養成所については、同二四年に「指定規則」が制定された。なお、同二六年に保助看法の一部が改正されて「甲種看護婦」は「看護婦」、乙種看護婦は「准看護婦」と、それぞれ改められた。
 「看護婦規則」に基づく国立大学医学部附属病院附設の看護婦養成施設及び公私立病院附設の看護婦養成施設等は、保助看法の制定に伴い、同二三年以降に、同法に基づく看護婦学校または看護婦養成所に切り替えられた。また、国立病院に看護婦養成所が、国立療養所に准看護婦養成所が、それぞれ新設された。
 愛媛県内では、各市医師会附属の看護婦養成所は、明治末創立の松山看護婦養成所等のように古い歴史を持つものが多い。大正二年に松山赤十字病院附属の救護員養成所の発足。昭和一四年に国立傷痍軍人愛媛療養所附属看護婦養成所の設置。同三四年に県立高等看護学院、同四五年に国立病院附属高等看護学院の出発。他に財団等経営の養成所も開設された。後に名称の変更もあったが、学校教育法の一部改正(公布昭和50・7・11法第59号、施行同51・1・11)により、同五一年以降に中学校卒で入学する高等専修学校、高校卒を入学資格とする専門学校、学歴不問の一般的な専修学校等に改組され、それぞれ看護婦または准看護婦養成の単独あるいは複数のコースを設けた。しかし、その多くは団体の附属病院の看護職員を確保するのを主な目的とするものである。