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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

3 愛媛県における高校衛生看護科の創設

 前述の神奈川県立二俣川高等学校、あるいは岡山県立倉敷高等学校、大阪府立白菊高等学校(看護単科)などの先達校の実績が評価されて、当初は、文部省よりも厚生省が看護婦不足の対策として、全国的に高等学校看護科の設置促進に力こぶを入れた。本県でも当時の県医務課では、初めは公立高等学校に設置を期待したが、大学進学態勢の強い折から、その設置をためらったので、まず聖カタリナ女子高等学校を始め私立高等学校に強力な呼びかけがあった。しかし、私学としても職業教育の体験は十分あるが、これまで国公立の総合病院または各市医師会の附設養成所等の特殊な施設で行われた女子専門教育が、果たして学校教育体系に組み込み得るかどうか多分に不安があったのは至極当然であった。ところが、県当局の粘り強い説得と各市医師会の支援も加わって、地域医療の一端に貢献するのは、私学の使命にも合致するとあって、ついに次の四私学が、それぞれ既設の学科に併設するよう一斉に踏み切った。

 四私立高等学校に看護科設置

昭和四二年、今治精華高等学校(定員、第一学年一学級四○人)・松山女子商業高等学校(現在の聖カタリナ女子高校、定員、第一学年二学級八〇人)・帝京第五高等学校(定員、第一学年一学級四〇人)・宇和島女子高校(現在の愛媛女子高校、定員、第一学年一学級四〇人、※昭和五三年度募集中止)の四私立高校に看護科を設置した。

 定時制としての看護科

地域的な要請、殊に各市医師会の要望によって、次の三県立高等学校に定時制として看護科が発足した。昭和四五年度設置の八幡浜高等学校と宇和島南高等学校は、それぞれ第一学年一学級四○人の定員であり、同四六年度設置の今治西高等学校も、第一学年一学級四〇人の定員であった。
 これらの高等学校の定時制は、四か年の間に、高等学校普通科目を学習すると共に、同市にある医師会附属の施設で専門の看護科目を修得して、それぞれで取得した総単位数で高等学校卒業とする制度である。

 聖カタリナ高等学校に専攻科設置

これまで県内の看護婦養成施設は、松山赤十字高等看護学院と県立高等看護学院のみであったが、愛媛大学医学部を誘致するに当たって、附属病院の看護職員二八〇人の確保を要請された。ところが、県医師会では県内の医院からの引き抜きは絶対に認めないと厳しい態度を示し、これか機に昭和四五年度には、国立病院附属高等看護学院(三年課程)が開設され、同年、聖カタリナ女子高等学校では、自校の高校看護科の卒業者を受け入れる意味もあって、第一学年一学級四〇人の専攻科(二年課程)を設置した。
 なお、愛媛県立高等看護学院は二年課程の進学コースのみであったが、昭和四六年度から県立公衆衛生専門学校と改称して、一般高校卒が入学する三年課程とし、一学年定員五〇人を併設した。このようにして看護婦不足に大きく対応したのである。

 県立三校に看護科設置

当時、既に全国の公私立高等学校看護科は一三〇余校に達し、女性の特性に応ずる新しい職業学科としで注目され、年々その数を増してきた。県内においても私立高等学校看護科が順次軌道に乗ってきたこともあって、昭和四七年、西条高等学校・東温高等学校・宇和島南高等学校の県立三校に、それぞれ第一学年一学級、定員四〇人の看護科が設置された。これで本県は、全日制・定時制の公私立高校の看護科は延ベ一○校に達し、人口の割合からいえば、全国都道府県のなかでも看護科設置の多い県となった。

 松山城南高等学校に看護科設置

松山城南高等学校の看護科は、昭和五一年、第一学年一学級定員四〇人で、発足したが、従来は男子校の印象が強かった同校に看護婦希望の女子生徒が相当数加わることになった。城南高等学校がプロテスタント、聖カタリナ女子高等学校がカトリックと、愛を信条とするキリスト教の両校は、白衣の天使を育成するにふさわしいといえる。
 同五七年、松山城南高等学校に専攻科を併設した。第一学年一学級定員四〇人の進学コース(二年課程)である。准看護婦に比して看護婦の不足が強く訴えられる折から、大きな力を加えることとなり、これで、県内の衛生看護専攻科は二校となったが、高校看護科の数からいって、まだ少ないと言わなければならない。