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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

2 大正期の学校保健

 明治末期から大正初期になると、日露戦争や第一次世界大戦の影響で工業が発達し、都市に人口が集中したことから必然的に公衆衛生や環境衛生の必要にせまられ、衛生思想の啓蒙を重視する傾向か生まれた。また、時代の進歩に伴い、スポーツなどの目ざましい発展に平行して学校衛生の強化の必要にせまられた。
 社会衛生の面では、第一次世界大戦の「反動恐慌」により社会問題は深刻となり、衛生面でも新しく社会政策的なものを盛りこんだ衛生立法が相次いで公布され、大正中期から昭和初期にかけては、社会衛生の発展期であった。大正七年スペインに発生したインフルエンザが世界的に蔓延し、我が国でも同年八月下旬から全国規模で流行した。この通称「スペイン風邪」は、大正一〇年七月までに三回の大流行をみせ、約三九万人の死者を出した。また、これとは別に、同八年三月二七日には、結核予防法とトラホーム予防法が制定され、同一一年には伝染病予防法が改正された。

 学校衛生の発展

学校衛生の方面では、結核予防法・トラホーム予防法と並んで大正八年八月二九日学校伝染病予防規定が制定され、新しくトラホームなどいくつかの病気が追加指定され、学校防疫体制も時代に即応する改善が図られた。また、大正時代に入り、近視が「国家ノタメ軽視シ難イ」ほどに増加したのに対し、近視予防に関する訓令が出された。同訓令は、採光・机・腰掛・服装・読書・書字・図画・手工・裁縫・黒板などと眼の疲労並びに近視に関する知識などの諸項目にわたって細かい近視予防対策を示したものであった。
 こうした内外の動きに応じて学校衛生を重視した本県学務課では、大正六年(一九一七)八月七日に学校衛生に関する視察並びに調査研究に専従する学校衛生主事(同一三年六月学校衛生技師と改称)を置いた。(県布達訓令第一六号次いで学校医の学校衛生に関する研究団体として郡市単位の学校医会の設立を働きかけた。これに応じて同九年五月の松山市学校医会創立を最初に、同一〇年一月までに今治市・温泉郡など二市一一郡に学校医会が組織されだ。この郡市学校医会の上に同一〇年一〇月二六日愛媛県学校医会が結成され、会長に学校衛生主事木村亘、副会長に医師清水政則・荒木佐太郎を選出した。その後、県学校医会は毎年開催され、児童生徒の健康増進方法ついて協議し、一方では県の諮問に応じ種々の答申を行っている。

 トラホームの予防

 明治・大正期を通じて、学校衛生の重要事項はトラホームの予防であった。明治三六年松山市内の小学校におけるトラホーム罹病率は一七・八%であり、また、同年の西条高等小学校の検査では三四・四%という高い罹病率となっている。こうしたトラホームの蔓延への対応は、各学校の当面する課題であった。松山第二尋常小学校(現味酒小学校)では、同三七年に市内の眼科医に依頼して治療と予防につとめ相当の成果をあげている。また、西条高等小学校では、その対策として、身体衣服を清潔ならしめ、手指は日一回以上洗わせ爪は短く切らせること、各自手拭を携帯せしめ物品貸借を禁ずること、毎日雑巾を持って机及び教室を拭かせること、各教室では患者には桃色の肩章をつけさせることなどを励行するよう申し合わせるとともに、患者の保護者にも家庭治療の注意書を配布している。
 愛媛県では、明治三六年八月一一日「トラホーム予防撲滅方法」(県布達訓令第二四号)を発し、学校に対し予防治療心得を指令した。次いで、同四五年三月一三日「トラホーム予防二関スル告諭」(県布達告諭第一号)を知事名で発布した。それによると、トラホームの原因はまだ判明しないが、一種の病原体が患者の眼脂または涙液中に存在して健康眼を侵すと考えられると解説し、その予防法について、健眼者に対しては家屋内を常に清潔にし、眼辺にふれるときはあらかじめ手指を洗浄すること、洗面器はなるべく自分のものを使用し共同手拭などを使用しないこと、過度に眼を疲労させないこと、患者に対しては初期治療を励行し睡眠を適度にとり、眼を刺激しないようにするとともに他人に伝染させないよう心掛けることなどの注意を与え、学校においては大正元年から必ず年一回以上の検診を励行することにした。
 こうした予防措置によって、県内学校のトラホーム患者は次第に減少して行った。大正元年一〇月の一斉検診において罹病率は小学校二二・〇四%、中等学校八・〇一%であったのが、同三年一〇月時には、小学校一八・九四%、中等学校七・九二%に低下した。
 一方、政府はこれまでトラホーム予防対策を県に委任していたが、トラホームが産業・教育・国防上に及ぼす影響が大きいことにかんがみ、大正八年三月二七日「トラホーム予防法」(法律第二七号)を制定した。更に同年八月二三日「トラホーム予防法施行規則」を定めた。愛媛県では、これに基づき同九年二月二四日「トラホーム予防法施行細則」(県報県令第一〇号)を公布し、検診の対象となる者を明らかにするとともに、府県は治療費の四分の一、予防費の六分の一を支出することなどを指示した。

 寄生虫の駆除

 学校衛生においては、トラホーム予防とともに寄生虫の駆除も大きな問題であった。しかし、寄生虫が直接人命にかかわりないことや、虫がおらぬと害があると信ずる者も多かったことなどから、各学校の駆除対策は必ずしも徹底しなかった。
 砥部小学校では、大正六年に児童五〇〇人について糞便検査を実施したところ、回虫保持者が八〇%を越えていたので、校医と教員が各部落に出掛けて寄生虫の弊害と駆虫の必要を極力宣伝するとともに、天草産の海人草をとり寄せて学校の大釜で煎じ、保虫者全員に五勺ずつ飲ませた。その結果、駆虫後の検査でははるかに保虫者が少なくなり、腹痛で欠席や早引きする者が減じ、児童全体が顔色紅をおび元気になったという。これらの成果は、同一一年一月の『愛媛教育』第四二(号に掲載され学校関係者の注目を集めた。