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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

一 盲教育の歩み

 本県の盲教育は、聾教育と歩みを同じくし、盲天外森恒太郎の首唱によって動き出している。それは
明治四〇年一○月一六日開校の私立愛媛盲唖学校に始まっている。それ以来、盲教育は、幾多の先人達
のこの道にひたすら傾けた情熱・実践によって今日の発展に及んだのである。

 私立愛媛盲唖学校

 明治の盲学校の教育には、二つの方向があった。一つは、生活訓練を重視し、自立を目指した教育。他は、普通小学校の教科指導に準じた教育であった。その当時の本校の学則をみると、第一条に「本校は、盲唖の子弟を教育し、自立の途を得しむるを以て目的とする」と明示している。科目は、普通科・技芸科(弾琴、鍼按術)とし、選択兼修を原則としている。そして方法は研究しながら毎日試行錯誤を繰り返し、教師の血の滲むような努力によって支えられていた。
 開校当初の生徒教は、盲生六名、唖生一三名で、特待生は別として、ほとんどの者は費用は自弁で、寄宿舎生活をしていた。教員は、初代主幹露口悦次郎外五名(唖部兼任も含む)であった。諸経費の収入は補助金と寄付金で、その調達には骨身を削られるような苦労があったようである。
 大正五年七月には松山中学校の古材を利用した旭町校舎に移転した。このころ、全盲教師佐々木政次郎は二六年間、本県盲教育及び鍼灸按摩道のため、終始一貫ひっ生の努力を捧げ、かつ二干余年間県マッサージ試験委員として本校理療科教育の礎を築き、教育内容は一段と充実した。その上、大正一三年四月に文部省から盲唖学校規程による認定を受け、学校の内容は、更に整ってきた。六歳入学、初等部六年・中等部鍼按科本科四年・同別科二年。教育内容は小学校並びに実業学校に準じた。鍼按科外来患者の実地治療所の設置は昭和三年一一月になってからである。
 全国盲学生雄弁大会、陸上競技大会等へも代表を送り、よい成績を収めたりしていたが、世間の学校への認識は浅く、生徒の入学については勧誘に出かけないと、入学生がない状態であった。

 愛媛県立盲唖学校

 昭和四年四月には、県立に移管し、教職員の増員、教材教具の整備等によって、いっそう学校らしい内容を備えてきた。この年、文部省から点字版初等部国語読本巻一が発行され、同九年九月には、国語読本全一二巻完成。その他の教科書は点字毎日出版のものを用い、小学校に準じた内容となったが、全盲生中心の暗記法が主となってしまった。日野亀次郎教諭らは、立体地図を考案し、指導充実のためによく努力した。
 同九年、二神常一校長着任とともに、人格形成を教育方針とし、不言実行の気風が全校に満ち、特殊性からの脱皮が試みられ、校内では、方々で教育論議が戦わされた。
 やがて時代は戦時体制となり、勤労作業、避難訓練に明け暮れ、寄宿舎では、食糧不足となり、帰省の頻度が増し、平常授業は望めなかった。昭和二〇年七月二六日には、松山市街とともに焼夷弾に見舞われた。幸い生徒は、学校長の英断で帰省中だったので災禍はなく、校舎も職員達の必死の努力で焼失の難を免れた。
 同二二年のこと、GHQから盲人伝統職業のはり・きゅう禁止の意向が表明されたが、関係者の必死の存続運動で解決し、翌二三年四月盲聾教育義務制実施と同時に盲聾学校の分離が実現し、愛媛県立盲学校が誕生した。

 愛媛県立松山盲学校

 按柔師法の制定は、理療科教育に大きな変革をもたらせた。高等部本科三年・専攻科二年の計五年の課
程で普通教育・専門教育共に充実し、従来の無試験検定も地方試験検定となって、理療師の資質向上を図ることとなった。更に以前に廃止されていた音楽科も復活した。こうした情勢下で、文化的人間形成のために情操陶冶特に音楽教育、放送による教育の推進等によって豊かな人間性の育成にも重点が置かれた。
 昭和二七年には、県立松山盲学校と改称され、生徒数も義務制実施以降急増し、そのため対象者には質的変化がみられ、弱視や重複障害教育の必要性が叫ばれ始めた。
 弱視学級が設置されたのは昭和四一年のことである。質に応じた教育の充実が考慮された結果である。
 更に、同四八年には、就学前盲幼児の教育相談も開始され、同五二年になってから幼稚部を設置し、就学前教育の充実を始めている。
 小・中学部の教育は、同四六年度から実施された学習指導要領によってなされていたが、それに養護・訓練領域が加わり、多様な個性に応じ得る指導体制が組めるようになり、その上、各種教育機器の導入等によって一層の充実が図られている。
 高等部の教育は、同四八年度から本科に普通科・保健理療科が、専攻科に理療科が設置された。普通教育の充実によって能力適性に応じた進路の多様化と理療師の資質向上が図られている。
 教職員の協力と努力によって、教育内容は充実し、次第に教育成果があがってきてはいるか、なお今後に課せられた問題は多々ある。
 ① 盲幼児を早期に発見し、早期教育の実をあげること
 ② 視覚障害児も他の障害児と同様に重度化・重複化・多様化している。それらに対応できる適切な方法の工夫と実践
 ③ 卒業生に対する生涯教育の充実と推進
 ④ 弱視教育センターとしての機能をもつ学校であること
等々、一つ一つ解決することが必要である。