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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

2 PTAの成立と発展

PTA発足当時の状況

戦後、新教育の発展と共に新たに発足した成人教育団体にPTAがある。昭和二一年(一九四六)三月、第一次米国教育使節団が、教育は学校のみに限らず、家庭・地域社会の協力において行われるべきで、「地方行政の責任者は、児童生徒の権利の増進、および教育計画の改善のために、PTAを助成する義務をもつ」との報告書を提出した。この報告書に基づいて、連合軍民間情報局は各県の民生部を通じてPTA結成を勧奨し、また文部省も翌年三月「父母と先生の会」の参考規約をはじめ、啓蒙普及資料の作成配布等を通じて、その結成を強力に呼びかけていった。これがPTA結成運動の始まりであった。
 しかしながら、新しい団体であっただけに、その目的・運営の理解が容易でなかった。そこで本県では同年八月、松山駐在米軍政部のスナイダー大尉(女史)が県下各地をまわって、その目的・運営等について指導していった。こうした啓蒙と指導のもとに、また祖国再建の悲願のもとに、次の時代を担う子供の幸せを願って、各地にPTAが急速に結成されていった。しかしその場合、次の北伊予小・中学校の例にみるように、戦災地の学校建設や新制中学校の建設のための経済的援助を第一として結成されたものがほとんどであった。
 荒廃した国土・人心を刷新し、新生日本の基盤を築く大任を背負った中学校とはいうものの、施設教具ともないないづくしで、長い苦悩の道を歩まねばならなかった。学校指導補助金はあっても、戦災校の復旧が優先され、北伊予中学校などはその恩恵から遠ざけられていた。村当局の組んだ当初予算では教具施設を充実することは困難であり、追加予算も、物価の急上昇に対して焼け石に水の状態で、教育の意図達成も危ぶまれる程であった。破損したガラス戸・腰板など整備してやることが生徒のすさんだ心を和らげるのに大切だと考え努力しても、ガラス・木材の入手も思うにまかせぬほどの混乱期であった。この窮状を何とか打開するために、部落総代が世話役となって学校後援会が設立された。学校の要請に応え、物質的援助を主体に、動きまわった。有志の物品寄贈、農協などから物資の特配などの援助を受けつつ教育計画が進められた。(『学制発布百年記念教育のあゆみ』)
 こうした経済的援助を主とするPTAが大部分であった。しかし越智郡大西町の小西小・中学校のPTAのようにPTA本来のあり方を求めて設立、活動を展開していったところもあった。同町星之浦にPTA日記が結成時から現在に至るまで保存されているが、それを見ると概略次のようにして設立され、活動を行っている。

・母の会ー昭和二三年一月三〇日午後一時、小学校に於て婦人会役員新旧共に集合。協議題一、ミルク給食の件 二、父母と先生の会の件 三、学芸会の各部落進出の件 四、校友会費用五円集めるの件
・発起人会ー三月一五日午後一時、小西小学校の父母と先生の会の誕生につき協議、婦人会役員出席、発起人として小学校長、中学校長、婦人一〇名の計一二名を選出
・発起人会ー―四月二四日午後一時、小西中学校の父母と先生の会誕生につき協議、小・中学校の全教師と発起人出席、PTAはParents and Teachers Associationの略称なること。会の運用は一、平等の発言権 二、生徒を中心とす ること 三、家庭と学校の社会化。会の目的は学校と家庭と社会の三者が密接な連絡を取り児童・生徒の教育に当たること。PTA会員入会の手続につき協議。
・小・中PTA総会ー五月一〇日午後一時、発起人がPTA委員となり、一二時より委員会開催、総会の打合せをなす。
 会長・副会長の選出、会則の説明、PTAの意義について説明、男女同権についての講話。
・小部落委員決定ー五月一三日、各部落に一名ずつ会長より推薦依頼。
・委員会ー五月二七日午後一時 一、役員及び委員名簿作成並びに顔合わせ。委員会を毎月一回月の初めに開くことに決定(農繁は休み) 二、学童給食実施に関し協議、ミルク給食の件承認、進駐軍の命令によりアメリカ製の粉乳を安価で全児童に飲ませることになる。六月一日より一日おきに低高学年に分けて昼食前に給す。当番は先ず委員から始め山の内地区から二人づつ出ることとする。
・支部総会ー同日午後九時、成導寺に於て開催、ミルク給食の件につき給食を承諾してもらい給食当番をも依頼する。先の総会で会長が辞退したため、PTA会長再選出を委員会で行うことを承認す。
・参観日ー七月一五日、授業参観(八~一〇時)社会学級(一〇~一一時)ー通知表採点法について、給食参観(一一~一一時半)委員会開催にて会長小池千代子、副会長越智幸、近藤末子当選。
・委員会ー会の運営につき協議 一、社会学級を参観日に開催すると受持ち先生との懇談ができない。せめて年一回は部落別に先生の出張講話(一〇月初め)を乞う。但し会員の出席方法を考えること 二、運動会にPTA会員出席の件、一・二年生と委員との綱引、PTAのボール送り、病気・妊娠中以外の者すべてモンペにて出場 三、取引高税の印紙の件ー集めて学校に渡すこと。
・参観日ー九月一五日、一・二時限授業参観、三・四時限受持ちとの懇談、終了後委員会ーPTA会員にてカボチャ集め、その利益を運動会の賞品代として寄付することを決定。
・カボチャ集めー九月一九日午後二時、運動場にカボチャを集め、一山一五〇円にて希望者に売却、売上金四、二八六円を学校に寄付。
・総会―一〇月一五日八~一〇時授業参加、一〇~一一時受持との懇談、一一~一二時総会(二二・三日の国語の研究会にPTA会員も参加しても可、蛔虫保持者の多いこと及びその手当法、校友会費用五円を一〇円に増額決定)
・国語研究会参観―一〇月二三日、古田拡先生による指導教授、二四日国語・綴方の授業参観
・参観日ー-ニ月一五日参観・懇談二時間、一〇時より委員会(PTA会員毎学期一〇円づゝ二回集めては如何、社会学級に他から講師を迎えて一、二か月に一回開催したい、ミルクが一時中止になり、その代わりのベーコン・チーズ・ムトン・キャロット等がきたため、料理法の研究会に出席者を決定、給食委員をつくり料理法の研究及び世話をなすことを決定。)
・給食研究会―一二月二二日午後一時、料理法の研究会への受講者を中心にし、料理実習を行う。
・給食研究記念日ー一二月二四日、給食委員及び一般会員の希望者にて調理実習、以後の給食当番決定
・委員会ー三月一二日午後一時、一ヶ年の反省会
・社会学級及び総会ー三月一七日九~一〇時授業参観、一一時二五分から高学年部の童話会(二宮金次郎の話)参加、午後一~一時半音楽会、一時四〇分から計画学級(犯罪についての講話)、二時四〇分から総会(PTA会費年額三〇円に決定、会長・副会長選挙)

以上のように、学校と家庭とが一体となって児童福祉のために民主的な運営・活動をしていた。

PTA活動の振興と県PTA連合会結成

しかし、先に触れたように施設の援助に力を向けたPTAの方が多く、PTA本来の活動はまだ充分に行われていない状況にあった。そこで、昭和二四年には、県社会教育課は、婦人団体とタイアップして、県下一二か所で一、PTAの報告、本質の理解徹底 二、民主団体の運営技術三、良き運営団体の紹介 四、よりよき団体運営のための資料提供等を行うべく研究協議会を開催していった。
 その効果もあってか、同年度には小学校四四五、中学校二七七、高等学校二九、計七五一(小中合同のもの一〇○を含む)のPTAを数えるに至った。また、単位PTA相互の連絡機関としての連合体結成の気運が生まれてき、この年度に六市九郡に連合体が設立された。更に翌年六月には愛媛県PTA連合会が、また高等学校においても別に県高校PTA連合会が結成され、PTAは最大の成人教育団体となったのである。
 以上のように組織は整ったのであるが、なお依然として経済的援助活動のみにとどまって、本来的な活動は低調なPTAが少なくなかった。この状況に対して、同二六年ごろから、「児童憲章」の制定を契機として「子供を守る運動」や「母と女教師の集い」運動が活発化するなかで、PTA本来のおり方が問われだしたのである。県教育委員会は同二七年度には各郡市に研究指定校を委嘱し、これらの研究指定校を中心に研究協議会を開き、郡市の指導者を集め、PTAのあり方、運営上の諸問題、PTAと地教委との関係等についての研究討議を行った。また県PTA連合会も、県下三か所で研究大会を開催する一方、県PTA連絡協議会を松山市で開催し、情報交換・義務教育費国庫負担・育英資金・児童文化施設の拡充等について討議・決議を行っている。なお、会員の啓蒙・情報交換のために「PTA愛媛」を発行して、PTAの在り方を求めていった。
 同二八年度には青少年の非行防止をPTAの新しい課題として設定し、東・中・南予の三か所で校外生活指導等の研究大会を開催し、また重点施策として研究PTAの指定(二一校)・校外生活指導の推進・教育環境の整備充実に取り組んでいる。学校後援会的性格から次第にPTA本来の活動へと転換してきたといえる。

第一回県PTA大会

同二九年二月二一日、第一回愛媛県PTA大会が県民館で開催され、「われらは文化愛媛建設の基礎であり、教育推進の母体であるPTAの重大使命を再確認し、決意を新たにして、教育の機会均等と教育環境の整備並びに浄化について、児童生徒・教師・父母の三者が一体となり、これが実現を期することを大会の名において宣言する」とし、次のような決議を行った。

   第一回愛媛県PTA大会参加の県下単位PTA代表三、五〇〇名は愛媛県教育の現状にかんがみその興隆を期し、左記各項実現のために全組織を挙げて関係方面に要望する。
   (1)公費による教育予算の増額・ (2)義務教育教科書の無償配布実施 ㈹学校教育の現状にかんがみ、教員定数の増加
  (4)へき地教育の振興と優秀教員配置対策の確立 (5)小学校における不正常授業関係建設費国庫補助率の引き上げ (6)
  学校環境を守る立法化運動の推進 (7)学校給食実施の徹底 (8)毎年度大会開催

 以後、PTAは、県下最大の成人教育団体として体質改善に努めながら、学習活動・教育活動を重視する一方、子供の幸せを念願しながらの整備活動に力を入れて行くこととなった。特に昭和三七年から、他府県に先がけて愛護班活動に本格的に取り組み、地域総ぐるみで(1)不良化防止活動 (2)交通・水難事故防止 (3)地域子供会の育成活動 (4)班員の学習活動 (5)環境整備活動 (6)レクリェーション活動を展開して行くこととなったのである。このように、愛護班活動はPTAを母体として成立したのであるが、愛護班活動の普及発展に伴って同五九年にPTAから独立して、愛媛県愛護班連絡協議会が結成されたのである。