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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

3 郷土読本

 昭和七年五月一五日発行『愛媛教育』第五四〇号の中で、森光繁は郷土読本の性格を次のように述べている。「郷土読本は、各教科の内容を網羅した合科的なものである。郷土科を置くならば、その教科書とも見るべきものであって、郷土の姿を如実に表した綜合的の一つの郷土誌で……、換言すれば郷土による、即ち郷土に立脚したる教育の材として、又郷土への教育、即ち郷土再認識への教育材として編纂されるものである」
 愛媛県における郷土読本は、昭和六年ごろから同一五年にかけて各郡市で編集されているが、越智郡盛小学校の郷土読本は村の生活の上に立った郷土読本であり、文部省嘱託小田内通敏の指導を受けているので、内容には見るべきものが多い。

盛郷土読本

この『盛郷土読本』の発行者は、盛尋常高等小学校であり、右代表者が校長森光繁になっている。森光繁の教えのもとに、当時の職員が一丸となって編集にあたった様子は、森の著書『春光』(昭和五七年二月一〇日)の「光繁先生と私」(神原賢)に詳しく書かれている。
 森が越智郡盛口村盛尋常高等小学校(現在の上浦町盛小学校)に校長として赴任したのは昭和四年、三七歳である。この地域の人たちが貧困で文化的にも貧しい生活をしている現状を憂い、ここで本気で教育
をしようと決心を固め、島中を歩きまわって盛の研究を始めた。そして生産構造の改革、消費の適正化、弊風の打破を図るためには、地域の人たちの意識改造こそ必要であると気付き、土地の有志の人たちとも相談を重ね、村のあるがままの姿を認識するために、同六年『村の生活』を発刊した。この本の「はしがき」に森の考えている郷土教育の意義と使命とが明示されている。

 近頃教育界の研究中心をなすものは何と言っても労作教育と郷土教育である。労作教育は従来の主知主義教育に対する一種の反抗であり、郷土教育の主張する所は概念的教育に向って放たれた一の実弾である。
 郷土教育は教育の理念への具体化であらねばならぬ。そして健全なる国民となることも透徹した文化人となる事も、総ては之れ自己に帰ることであり、真実なる自己を知ることであり、本来の面目に生活することである。自己の境遇・環境を理解することによって真実の自己を見出すことが出来るのではないか。同時に自己に徹することによって誤りなき郷土を体認することが出来るのである。しかも二者異なるものではなく、又一を得て後初て他を知ると言う如きものでなく、二者相持して流れ行く所に郷土教育の生命があるのである。
 この合流する総合体が郷土愛となり国家愛となり世界人類愛に拡充されるのではないか。
 私共はこの意味に於て郷土教育を主張するものである。過去に於ける我等の郷土人の活動と現在に於ける郷土の経済状態・文化程度を理解して、来るべき郷土を如何に展開すべきかの考究も産れ出づるのである。
 郷土教育が偏狭な愛郷となったり、排他的な頑迷思想の根源となってはならない事は勿論のことである。頑迷は常に認識の不足より出るものである故に我々は正しい郷土を理解せんとするには先づありのままなる郷土をよりよく認識することである。(後略)

 「盛」という郷土を子供たちが正しく理解するために作成されたのが『盛郷土読本』三巻である。上巻は三・四年・中巻は五・六年・下巻は高等科で使用することになっている。
 この「盛郷土読本」の全貌を理解するために、上巻・中巻・下巻の「もくじ」を掲げておこう。
   上 巻             中 巻            下 巻
一 神社            一 大三島          一 盛以前
二 私どもの学校        二 私は倉庫です       二 大山祇神社
三 まりつきうた        三 麓常三郎         三 交通上の大三島
四 くんれん          四 はねつるべ        四 西光寺
五 いたみのねえさんから    五 用水池          五 河野氏と大三島
 六 三戸の池          六 煙草と除虫菊       六 宗門改め
 七 一里三里五里        七 蠅と蚊          七 芋地蔵と享保の飢饉
 八 子守うた          八 弓祈禱          八 享保の風病
 九 下見吉十郎         九 信徳金          九 一畝前制度
一〇 河野通有         一〇 年頭の礼        一〇 牛飼
一一 村の四つ角        一一 学校          一一 お代官さんとお年貢
一二 弓祈禱          一二 さかりかたぎ      一二 共同井戸
一三 むくつきりた       一三 光円和尚        一三 子供の死亡
一四 とし祝          一四 庄屋屋敷        一四 ちょんまげ
一五 船端さん         一五 進取の気象       一五 自治の制度
一六 盆をどりの夜       一六 芋地蔵廻国日記抄    一六 耕地整理
一七 ふうせんうた       一七 高野さん        一七 農産物の変遷と生活の転移
一八 木綿会社         一八 菅原長好        一八 憲法発布から普選ヘ
一九 ひめさかさま       一九 日露戦争        一九 盛信用購買販売組合
二〇 蜜柑           二〇 山から見た村      二〇 労働は村の生命なり
二一 お手玉うた                       二一 密集から散村へ
二二 総代さん                        二二 恵まれたる不幸
二三 もみすり                        二三 盛よ何処へ行く
二四 村の生活
二五 盛口村

我等の郷土

 愛媛県師範学校附属小学校では、昭和六年に『郷土読本』を編集発行しているが、いずれの文も有名人の文を借用したものであった。目次の一部を掲載してみよう。
  一 瀬戸内海(高浜虚子、伊予の海)  二 松山市(田山花袋、日本一周)
  三 十六日桜(五十嵐力、口碑珠玉)  四 義農文苑(高崎正風・三輪田真佐子・潮見琢磨・内藤鳴雪等)
  五 坊っちゃん(夏目漱石、坊っちゃん)
  六 松山の風習
     一 節分         
     二 おなぐさみ  (正岡子規、墨汁一滴)
  七 秋山真之将軍の幼年時代(桜井瀞、秋山真之将軍)

 名文は読む人を感動させてくれるが、子供の読み物にはなりにくい。そこで、昭和一〇年一〇月、武内好将・木村貞夫・大野稔によって編集されたものが『我等の郷土』である。当時の師範学校長宮澤健作は、序文において、郷土研究・郷土教育の旺盛なる時代を迎えるにいたった経緯と、郷土教育の進展にこの資料が必要なことを述べている。すなわち、「……特に皇国は自然的社会的歴史的総ての環境に於て欧米諸国と其趣きを異にせるのみならず明治以来の欧米文化の無批判的浸酔より醒むるの機会に遭遇し茲に本来の日本の真の姿の認識を深むる必要の自覚を催すに至り教育の普遍的方面と共に教育の特殊性の重認より一入濃厚なる状態を以て郷土教育の隆昌時代を生み延て郷土研究の一段の進展を見るに至れり」と郷土教育の隆盛を迎えるようになった経過にふれ、「爾来学習は児童の直接生活環境たる郷土(勿論画一固定的のものにあらず……)に出発せしめ児童の生活環境に帰還せしむる事の必要性を痛感し郷土の資料の調査研究に勉むると共に他面郷土の実際に出来得る限り接触せしめて実際的に学習せしむるの研究実施に歩を進め郷土教育の実際に於て校外教授の重要性を益々確認して其目的達成を十全ならしむる為め郷土資料の精選序述に勉め来りしが茲に機因を得て其一部刊行を見るに至れるは我校郷土教育の進展の上慶賀する所」と述べている。『我等の郷土』の内容を知るために「目次」を掲げておこう。

 目次
郷土地図
松山市と名所史蹟
  外側持田方面
   松山城(加藤嘉明)  東雲神社(飢山伝記久松定通)  井手神社
   雄郡神社(緋の蕪)  妙清寺(田中一如)   正宗寺(正岡子規・内藤鳴雪)
   興聖寺(赤穂義士)  相向寺(加藤恒忠)   円光寺(明月上人)
   お囲池(伊藤祐根)  石手川公園(大川文蔵) 松山市駅
   愛媛県庁 日本赤十字社愛媛支部 歩兵第二十二聠隊
   松山地方裁判所

  古町山越方面
   阿沼美神社(大山為起) 大林寺(学信和尚) 円福寺(菊屋新助) 大
   法寺(吉田蔵沢) 田中不論院(佃十戒・還熊八幡) 御幸寺山(御幸寺)
   千秋寺(久松定直) 龍穏寺(一六日桜露兵の墓) 来迎寺(足立重信・青地林宗) 軽の神
   社(姫塚)

  西山方面
     西山(朝日八幡丸山陸軍墓地)山内神社(山内与右衛門) 大宝寺(姥桜) 宝塔寺(三上是庵)
     岩子山(異人伝説)
  道後湯之町と名所史蹟
     道後公園(秋山真之) 伊佐爾波神社(湯神社) 宋厳寺(一遍上人) 将軍の墓(秋山好古・白川義則)
     石手寺(衛門三郎) 常信寺(久松定行) 岩堰(足立重信・三浦正右衛門) 湧ヶ渕(新田神社) 西法寺(薄墨桜)
  三津浜町と名所史蹟
     久万の台(成願寺) 港山(港山城址) 松江の墓(大可賀)
  高浜と名所史蹟
     梅津寺(海水浴場) 太山寺(真野長者) 興居島(和気姫) 中島(忽那義弘)
  堀江と名所史蹟
     七曲り  円明寺(僧行墓・和気浜戦)
  北条と名所史蹟
     粟井坂(河野通清) 高縄山(河野通信) 鹿島 腰折山
  今出と名所史蹟
     出合 日招八幡社(お豊石) 履脱天神社(菅原道真) 長楽寺(鍵谷カナ)
  松前町・郡中町・石井付近・森松砥部・久米付近・横河付近は省略する。

 この『我等の郷土』の郷土読本は、松山市及び周辺の名所史蹟を説明しているものである。なお巻末には郷土年中行事表と郷土史年表があり、郷土の理解に役立つところが大きい。
 伊予郡の『郷土読本』は巻一 (尋五用)・巻二(尋六用)・巻三(高一用)・巻四(高二用)の四冊からできていて、昭和八年一〇月に教育会伊予部会が発行している。各郡市の教育会支部が発刊している郷土読本は、名所史蹟の説明型が多いのであるが、伊予郡の『郷土読本』は、生活や生産の様子が各巻に書かれている。
 また、北宇和郡岩松尋常高等小学校の『郷土読本』(写真4ー13)は、昭和一〇年の編集で、巻一から巻七まであり、学年別に書かれていて、地域の生活や生産の様子もよくわかる。
 特に昭和一〇年前後は、県下各地で郷土読本が発行されている。学校独自で作成発行した郷土読本には、生活の様子今村の問題点などの指摘がなされている。『狩江郷土読本』『来村郷土読本』等には、この傾向が叙述されていて、郷土の認識や理解を深めてくれる。
 他県では、一県一郷土読本(土佐郷土読本・福井郷土読本等)が多いのに比べて、愛媛県では、各郡市や各学校で郷土読本を作成していることを考えると、本県の郷土教育の隆盛の状況が想像できる。