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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

4 郷土館と先哲記念館等

郷土館

愛媛県師範学校では、昭和三年一一月の天皇の即位礼(御大典)を記念して、郷土館を設けることになった。同四年新学期から着手し、学年末には地理・歴史・博物に関する郷土館か完成した。翌五年八月に、文部省から郷土研究費・施設費の補助を受けて郷土館の拡張をはかることになった。
 旧郷土館を主として歴史・国語の郷土館にあててこれを第一郷土館と名づけ、新たに地理・実業・博物の郷土館を別室に設けこれを第二郷土館と呼んだ。
 これら郷土館に収集された主要な資料を分類してみると、次のとおりである。
 第一郷土館の歴史の部には、旧藩々札額之部・地券額之部・雑之部・書画額之部・文書写真之部・遺蹟肖像拡大額之部・小写真及版之部・書画軸物之部・石摺軸物之部・伊予史年表額、生徒調査郷土誌、肖像遺蹟小額之部・史蹟地図額、出土物之部・小品之部・石摺雑品、絵葉書之部・表之部などが集められている。
 第二部郷土館の地理の部には、郷土関係の地図及地図模型、郷土地図の解説及統計図表、地形及人文地理写真及同説明、郷土の重要物産、郷土の絵葉書及絵図類、郷土地理研究冊子類、郷土地理研究用文献書蒐集物、工程順序その他があった。同館実業の部には、伊予の穀物、伊予の果樹、伊予の林業、伊予の土壌肥料、伊予の副業、文献資料、図表、伊予の畜産、伊予の工業(紙類作業行程標本・織物標本一揃・紙類標本一揃)などがあった。
 博物の部には、昆虫目録・貝類目録・植物目録・岩石目録・図表額面其他の目録(愛媛県天然記念物・愛媛県植物分布図・石鎚山写真・愛媛県鉱物分布図・久万地質図・出石山地質図・本県地質説明表・四国地帯構造図など)があった。
 こうして郷土館が設置され、内容も充実するようになると、県下の郷土教育に大きな刺激を与えたことも事実で、各学校の郷土室をつくることにも多大の影響を及ぼした。
 その後、昭和七年六月に理科教室に接して平屋一棟と廊下を新築してこれを第三郷土館とし、地理・実業に関する資料を陳列し、郷土館の一層の拡充とその整備を図った。

先哲記念館

 昭和四年秋全国的に行われた教化動員運動に呼応して、愛媛県師範学校では、国体観念を明確にし先哲崇敬の念を盛んにするために、関係資料を収集した一室を設置することに決め、同年一〇月に東教室二階の一室がこれにあてられた。そして、本格的な活動の第一歩として、吉田松陰記念講演会を開き、吉田松陰に関する資料や図書をこの部屋に陳列した。
 その後、この部屋を先哲記念館と称し、毎学期先哲記念講演会を開くごとに関係資料を陳列することにした。また全国の別格幣社その他の神社に依頼して、その祭神をしのぶ資料の分譲を乞い、記念館にならべてその充実を図っていった。
 こうして陳列品も次第に増加し、入室して閲覧する者も多くなった。先哲記念館にその資料を展示された先哲偉人名を列挙すると次のようである。
  天照大神・安徳天皇・赤穂四十七士・秋山海軍中将・熱田神宮・伊邪那岐神・伊邪那美神・石井素・上杉謙信・大国主命・桓武天皇・柿本人麻呂・荷田春満・北畠親房・菊地武時・楠木正成・後醍醐天皇・弘法大師・近藤篤山・孔子・三条実美・神武天皇・神功皇后・島津斉彬・菅原道真・尊良親生・高山彦九郎・豊臣秀吉・徳川家康・徳川光圀・徳川斉昭・中江藤樹・新田義貞・乃木大将・林子平・藤原鎌足・藤原秀郷・ペスタロッチ・明治天皇・護良親王・本居宣長・毛利元就・日本武尊・矢野玄道・靖国神社・結城宗広・吉田松陰・頼山陽
 このなかに、著名な先哲偉人にまじって石井素という聞きなれない名前がある。石井素は大正五年三月に愛媛県師範学校を卒業した同窓生である。卒業後松山第五尋常小学校訓導に奉職し、同一〇年一月に東京に移って御徒町尋常小学校訓導、更に同一四年四月に府立第一商業学校教諭を拝命したが、昭和三年八月一日信州上高地梓川の激流に墜落した生徒を救うために渓流に身を投じて殉職した。愛媛県師範学校では、石井教諭の「英霊を慰め且つは此徳行を幾多の人々と共に永久に記念讃頌し世の亀鑑とする」とともに師道の鑑にも価するとして、先哲記念館で顕彰することになった。石井教諭の胸像は、愛媛大学教育学部の内庭に建てられている。

先哲偉人叢書

愛媛県教育会では、事業の一つである「教育上必要ナル書籍及雑誌等ヲ編集発行スルコト」を推進するために、編集部門を設けた。この編集部門は月刊機関誌『愛媛教育』の編集にあたるとともに、『学事関係法規』『学事関係職員録』『農業教本』等を出版した。昭和六年の総会において郷土教育の隆盛に対応して、これらの参考書となる『愛媛県先哲偉人叢書』発行の件が可決され、その出版を担当することになった。
 叢書刊行計画では当初中江藤樹・近藤篤山・伊達宗城・矢野玄道・正岡子規など三三名の郷土の生んだ偉人の伝記を一四巻に収める予定であった。昭和八年六月に第一巻として『矢野玄道』(矢野常道著)、同九年一月に『二宮敬作・三瀬諸淵』(長井音次郎著)、同一〇年一月に『伊達宗城』(兵頭賢一著)、同一二年一月に『堀内匡平・三輪田元綱・香渡晋』(景浦直孝著)をほぼ一年ごとに発刊した。しかしその後執筆担当者が多忙であり、また購読者が予想外に少なく、出版に欠損をきたしたので、この事業計画が停滞した。ようやく同一四年に『尾藤二洲・上甲師文』(大西林五郎・兵頭賢一著)、同一八年に『松浦宗案』(菅菊太郎著)が刊行されたものの、戦争激化にともなう用紙配給停止によって続刊を中止せねばならなくなった。