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愛媛県史 学問・宗教(昭和60年3月31日発行)

六 中予について

 中予地方の左右連関

 中予は伊予路の中間地帯である。左の南予によく連関し、右の東予によく連関する。中予地方に、その個性色の、くっきりとした境域は成りたっていない。方言上、「中予分布」(「中予」とされる地域をおおうもの)としうる、くっきりとしたものは、とらえにくいありさまである。もし、中予方言ということばをつかうなら、中予方言の、南予方言・東予方言との連動性が指摘される。中予方言は、南予方言と東予方言とに対する、緩衝地帯方言である。
 こういう中予方言の様子をよく示す図を、吉田裕久氏主宰の『愛媛県言語地図集』からお借りしてみよう。
 左の図では、中予中心にひろがりを見せる分布相が明らかである。中予方言が、左右にゆらいでいる。そのゆらぎが大で、左は南予のかなり深くまで、中予的なものが及んでいる。(「ビンダレ」と「ビッタレ」とは、合体して「ショータレ」に対するものでもある。)右の東予へも、「ビンタレ」はよくくいこんでいる。中予島嶼も、「ショータレ」ではなくて「ビンダレ」である。
 私の作った分布図の、「何々だから」の「から」を問題にした図で、「ケン」(「ケニ」も)の分布を見ると、中予中心に、南予から東予周桑郡方面までが、一連の分布域をなしている。さきにも述べた、中予方言の連動性が明らかである。「山頂」の方言名を問題にした図では、「トンギョ―」の、中予中心に、南予北半から東予越智郡方面にわたる分布が明らかである。さて「すり鉢」の方言名の図では、「カガス」の、中予から南予北部にわたる分布が見られる。(このさい、島の中島は、東予と同様に「カガツ」である。)「どうどうしてください。」の図では、「ください」にあたる「オクレ」や「オクレ ヤ」「オクレー ナ」の分布が、およそ中予的である。島嶼も「オクレ」であって、分布全体、かなりきれいに中予的でもある。

 中予本土部

 中予ことばの中枢をなすものは、松山ことばであろう。その松山弁的なものが、まずは道後平野に、よくひろがっていよう。
 さらに言えば、旧温泉郡域・旧伊予郡域が、松山弁中心の中予方言の、本領をなすのであろう。上浮穴郡域が、いくらか、へだたった様相を示す。

 上浮穴郡下

 これの土佐ぞいの地域の、いくらかの土佐色のことは、もはや言わない。
 本郡西南部はまた、なにほどか、喜多郡東部・東宇和郡東部とのつながりを、見せている。
 あとの上浮穴郡大部分も、道後平野から上がっての高所である。三坂峠に来て、路傍に、「おしめんか シートベルト」の立て看板を見るが、ここ久万高原地方となると、「おしめんか」はおこなわれていない。それでいて、久万町の人は言う。「ここらは、アンマリ 松山とちがいません。」
 さきの、杉山正世先生の「愛媛県方言アクセント分布図」(三五一ページ)には、上浮穴郡地方内の、いくらかの別格さが見える。

 中予島嶼部

 問題になるのは島嶼部である。興居島などの近島は、道後平野のことばに直続することばの地とすることができる。中島町域の諸島の状態が問題になる。
 私は、旧時、松山で師範学校の生活をし、中島出身の学友と交わって、その土地弁に、自分の大三島弁とはち、がったものを感じた。今の中島町の小浜では、「アケテ クレン ケー。」(開けてくれません?)などと言う。この「ケー」が中予弁であって、大三島にはない。越智郡諸島に、この「ケー」はない。
 今、『瀬戸内海言語図巻』について見る。以下の説明では、中島町の島々を「西島嶼」とよび、越智郡下の島々を「北島嶼」とよぶことにしよう。中予の西島嶼と、東予の北島嶼とには、つぎのような相違が見いだされる。
(参照 「中予の西島嶼と東予の北島嶼の相違」)
 もとより、西島嶼と北島嶼とに、共通する方言事実もすくなくない。しかしながら、右のような対立事実もとり出される。両方に、土地がらの相違は、認めなくてはならないのではないか。
 中島町の北三島(ときに北二島、またときに北一島)には、山口県周防ことばのそのままの流入のようなありさまも認められる。北島嶼とされる越智郡諸島の北部諸島には、広島県芸備のことばの流入が認められる。こういう点でも、西島嶼と北島嶼との、方言に関する、土地がらの相違が明らかである。
 中予の西島嶼の方言状態は、東予の北島嶼の方言状態からは、区別されるべきものであろう。北島嶼は東予性を示し得、西島嶼は非東予性を示す。その非東予性は、しばしば、中予性とも察しうるものではないか。
 中島町北三島はときに特別とも見つつ、今は、全中予島嶼を、おおよそ中予方言的領域のものと見ておく。

中予本位の分布

中予本位の分布


中予の西島嶼と東予の北島嶼の相違

中予の西島嶼と東予の北島嶼の相違