データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

三 大正期の文化財行政

天然記念物の見直し

 「古社寺保存法」の制定は、宝物や建造物を主要対象としたものであったため、これらとともに古くから人々の関心を集めていた名所旧跡や老樹名木などについては、第一九条において僅かに本法の準用が可能である旨が記されているのみであった。同時に、明治末期から大正初期にかけては、維新以降の近代化の影響が広く及ぶと同時に各地で耕地整理事業が実施されたり、道路や河川の改修、林野荒無地の開墾がなされ、神社合併などに伴う境内跡地の処分が行われるなど何かと自然景観の破壊湮滅が増加する傾向にあった。
 このような状況に鑑みて、愛媛県ではいち早く大正四年五月二一日、「史蹟勝地古墳墓其他由緒ある天然紀念物等」の救済を講じようとした(訓令第一九号)。すなわち、歴史上著名な城および館跡、古戦場や陵墓、大古墳、我が国有数の名木大樹や風景に富んだ名勝地の保存顕彰を図ることが県民の義務であるとして、次のような一〇項目に及ぶ救済標目を示し、これに準拠した方策を県下の郡市町村に講じさせることで、「郷土愛重の観念」を養わせようとしたのである。(天然記念物は、文化財保護法施行前は天然紀念物と表記している。)

 ①郡市町村など公共団体は、学者有志者などから委員を設置し、調査保存方法を協議すること。
 ②保存顕彰の対象物に区画を設けて修理を施し、石または木の標柱をもって表示すること。
 ③個人所有にかかるものは、なるべく譲渡または買収によって公共団体に移し保管すること。
 ④神社寺院などに縁故のある土地や物件は、なるべく当該する社寺において譲与買収の上で保管すること。
 ⑤由緒ある名木大樹や紀念物は、それぞれに相当する保護方法を設けること。
 ⑥名勝その他の風致保存地区では、林地に属するものは保安林に編入するか禁伐方法を設定すること。
 ⑦すでに破壊されたり、破壊されようとしている史蹟であっても、なるべく表示方法を設けること。
 ⑧民有地の開墾に当たって記念すべき埋蔵物を破壊する恐れのあると認められるものは、予め申し出ること。
 ⑨保存会員・青年会員・生徒らによって、なるべく植樹の手入れや地域の保護に当たらせること。
 ⑩調査保存などのための費用は、公費または篤志家の出資金などによること。

史蹟名勝天然紀念物保存法

 続いて大正八年四月一〇日には、法律第四四号をして「史蹟名勝天然紀念物保存法」が公布され、内務大臣によって本法を適用する物件が指定されることとなった。また、国が指定する以前に必要を生じた場合には、県知事が仮指定をすることが可能であった。その他、史蹟名勝天然紀念物の調査に関すること、現状変更等の許可および罰則に関すること、保存管理に関することなど都合六か条が示された。
 県下においては、これら訓令や法律によって保存顕彰の対象となる物件が調査され、その成果を集成した調査報告書がまとめられることになる。愛媛県では、同九年五月二八日に内務部学事課を担当課として「史蹟勝地調査会」を設置し、愛媛県史蹟勝地調査委員を若干名任命して、史跡・名勝・天然紀念物などに関する事項を審査することとなった(告示二五七号)。調査委員は、一一年一〇月に史蹟名勝天然紀念物調査嘱託員となり、当該物の調査研究や保存施設の研究審議、および調査保存上必要な事項を担任(告示一七九号)し、県下各地で調査を行った。愛媛県における文化財などの保護に関する審議制度の草創である。
 このようにして、大正一〇~一一年ごろに『(温泉郡)史蹟名勝天然記念物』や『愛媛県史蹟調査報告書』がほぼ内務省の示した調査項目によって孔版に付されたのち、一三年三月に『愛媛県史蹟名勝天然紀念物調査報告書』(A5判・本文一二四頁)を刊行した。西園寺源透・上田光礒・山本一らの調査嘱託員によって提出された報告をほぼ原文のままに収録したもので、愛媛県における文化財関係の報告書としては、初めてのまとまった刊行物であった。調査は、史蹟二六五件・名勝一三件・天然紀念物三八件について行われ、そのなかで国において保護保存を要する価値があると認められる史蹟一二件・名勝四件・天然紀念物一三件の合わせて二九件を収録している。
 ちなみに掲載項目を列挙すれば、史蹟=国分寺塔礎・法華尼寺塔礎・宇和島城・小森の瓢塚(宇和町)・八幡の森(伊豫市)・阿方貝塚(今治市)・中江藤樹邸趾(大洲市)二遍上人誕生地(松山市)・義農作兵衛の墓(松前町)・脇屋義助の墓(今治市)・大館氏明の墓(東予市)・荏原城吐(松山市)、名勝―松山城・道後温泉(史蹟を含む)・雪輪の滝(宇和島市)・面河渓、天然紀念物=赤格樹(三崎町)・鹿島の神鹿(北条市)・エヒメアヤメ(北条市)・あっけしそう(新居浜市)・ビャクシン(伊予三島市)・きんもくせい(西条市)・石手川および重信川堤防並木(松山市・松前町)・二重柿(津島町)・いわやしだ(美川村)・大杉(伊予三島市石戸八幡神社・枯死)・中川の大公孫樹(小田町)・御塔石(西条市)・福岡八幡神社社叢(丹原町)となっている。このうち、国分寺塔礎と三崎の赤榕樹(口絵⑱参照)が本県最初の史蹟および天然紀念物として、一〇年二月二日に国の指定を受けているのであった。なお、同年四月には法華尼寺塔礎が仮指定となり、続いて一三年には下柏の大柏・福岡八幡神社社叢(昭和四八年解除)が、一四年にはエヒメアヤメ自生南限地帯がそれぞれ国指定の天然紀念物に指定されていくのであった。
 なお、大正期には、同二年に本多静六による『大日本老樹名木誌』が刊行されているが、同書に収められた一五〇〇本余のなかにも本県関係の老樹名木として松(六八件)・杉(二一件)・樟(一七件)・桜(七件)および榎・柏など二六種一五五件が紹介されている。その他、建築・工芸・古文書関係のものとして柴田常恵の編纂による『国弊大社大山祇神社大鑑』(大正一三年一月刊)もあり、この分野におげる本県初の優れた文化財解説書となっている。