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愛媛県史 人 物(平成元年2月28日発行)

 明   月 (めいげつ)
 享保12年~寛政9年(1727~1797)円光寺僧。名は義道,のち明逸。字は曇寧。明月のほか,解脱隠居,化物園主人などと戯号した。周防国(山口県)八代島の生まれ。 15歳円光寺に来たり,20歳で京都に遊学,服部南郭らと交り,古文辞学(徂徠学)を,また堺の食南山人から王義之・顔真卿などの書風を学んだ。 34歳で円光寺に帰り,宇佐美淡斎や杉山熊台などを教えた。詩文,書にすぐれ,奇行も多かった。 52歳で円光寺を徳成に譲って退隠,54歳の時『扶桑樹伝』を著した。巨木扶桑樹が太古に伊予にあったとする説で,本書と扶桑樹化石を携えて長崎に行き,中国へ渡って喧伝しようとしたが果たせなかった。 67歳の時本書は光格天皇の覧を賜り,翌年出版された。他に『通機図解』等の著がある。寛政9年7月23日, 70歳で没した。その伝記に「明月上人伝」がある。