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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

2 穴神洞遺跡

 遺跡の位置

 穴神洞遺跡の絶対位置は北緯三三度二二分五三秒、東経一三二度四四分二六秒で、その行政的位置は東宇和郡城川町川津南三七二三番地である。海抜は二九一メートルで、安尾川の現河床面との比高一三メートルを示す。
 本遺跡は県西部の山間を縫い西瀬戸内海に流出する肱川上流の黒瀬川の一支流、安尾川の形成する河岸段丘上の石灰岩の鐘乳洞中に所在した。本洞穴は入口部がそれぞれ別な上部洞と下部洞とに分かたれるが、ともに地元では「穴神さん」と呼ばれており、古くから信仰の対象の場ともされていた。

 発掘調査の成果

 発掘調査は、遺物が多く存在することが確認された上部洞を中心に、昭和四五年(一九七〇)七月の第一次、昭和四六年(一九七一)七月―八月の第二次、昭和四九年(一九七四)七月の第三次と、前後三回にわたって実施された。上洞部は東方向に開口し、入口の南北幅三・五メートル、中央部での幅三メートル、入口部から七メートルの地点では一・二メートルと次第に狭少となる。また奥行八・五メートルのところで、下部洞にむかって竪穴に連なっている。遺物は、上部洞との比高差四メートルを持つ竪穴底部や、そこから更に西に伸びた地点からも採集できた。しかし竪穴自体は遺跡とは考えられず、土砂の流れ込みの様相からいまひとつの洞穴入口部の存在が予見されたがこれは将来にかかわる課題として残され、前述のごとく遺物が豊富に存在することが確認された上部洞に限っての発掘調査が実施された。
 三次にわたる発掘調査により、上部洞はマイナス約二メートルの基盤岩まで剥ぎ取られほぼ完掘の状態にあるものの、入口部には墓地が存在することが確認され、周辺の幅約二メートルのテラス状の平坦部をも含めて、保存のため残されている。
 上部洞内の堆積層序については、東に開口する洞穴中央部を東西方向に切る断面堆積層序図(2―42)を示すに留め詳述を避けたい。
 出土遺物及び遺構については、若干層序との関連を持たせながら第一次から第三次までを一括して述べることにする。
 第一層は黒褐色を呈する土層で、かつ攪乱を受けていた。ここからは縄文晩期初頭に位置づけられる黒褐色研磨土器や縄文後期の磨消縄土器が採集された。第二層からは縄文後期中葉の平城式土器、石錘、緑色チャート及びサヌカイトを原材とする石鏃、緑色チャート及び頁岩を素材としたサイドスクレーパー状石器の出土、さらには姫島産黒曜石と緑色チャートの剥片層が多数散在する状態が確認された。動物遺体としてはイノシシ・シカ等の獣骨片・歯牙類が多数出土したほか、貝類ではカワニナ・シジミ・海水産のハマグリが採集された。
 第三層の茶褐色粘土層は上層部と下層部とに二分される。上層部からは縄文早期後半の土器が、下層部から大粒の楕円押型文土器(後に穴神Ⅱ式と命名)、器面にはげしい指圧痕を残す無文土器(後に土壇原式土器と呼称される)、大形の円形貼付文を器表面に付す土器などが出土した。また赤色チャート・緑色チャートを原材とするとする石鏃やマルツノガイ・ハイガイ・イモガイを素材とした垂飾品も採集された。特に第三層を特色づけるものとして、貝類の豊饒を祈ったと解される祭祀遺構が存在する。これは直径一三センチメートルものヒオウギガイの扇頂部を洞北壁面に接して置き、これをとり囲むようにアマオフネ・シジミガイ・ハマグリを伏せた状態で配置されていた。この時期、貝類が食料資源の中で重要視されていたことは、この遺構以外に第三層中からカワニナ・シジミガイ等の淡水産貝にとどまらず、アワビ・ハマグリ・キセルガイ等の海水産の貝類が多数採集された様相からも察せられた。
 第四層からは縄文早期中葉の小形楕円押型文土器、山形押型文土器、無文土器(上黒岩Ⅲ式土器に比定)が伴出した。また直立ぎみの口縁部内面に綾織による布目痕を明瞭に持つ土器が一点採集された。また灰緑色チャートの石鏃、縦長剥片を素材とした灰褐色チャートの尖頭状石器、これらの用具をもって捕獲したものと想定されるサル・イタチ・アナグマ・シカ・イノシシ等の獣骨片、及びそれらを加工したもののひとつと考えられるイノシシの牙による骨角器、さらにはタカラガイ・マルツノガイ等の貝製垂飾品、サヌカイト製の垂飾品、ハマグリを加工した器具等が採集された。また、この第四層からの遺構としては、二段に掘り込んだ形で、全体としてはすり鉢状を呈する炉跡、それに埋葬遺構とがある。埋葬遺構は洞穴入口北壁に沿った第四層の最下面部に所在し、頭骨の縫合部から二分され、これが重ねられた状態での人間の頭蓋骨が埋葬されたものであった。
 第五層の無遺物層をはさんでの第六層からは、上黒岩Ⅱ式土器の範躊と目される縄文早期前半の無文土器、及び緑色チャート製の正三角形状を呈する石鏃一点、それにアナグマ等の若干の獣骨が出土した。
 第八層の茶褐色粘性含礫土層からは、東西九〇センチ、南北五〇センチにわたり石灰岩礫からなる集石遺構が確認された。この集石遺構を形成する石灰岩の角礫二五個の内の二一個は焔火により完全に赤変しており、さらにこの部分の頂部から微隆起線文土器(穴神Ⅰ式土器)が出土した。この出土の状況からこの土器は、何らかの食料源を煮沸するため使用されたと想定される蓋然性がきわめて強い。また緑色チャートからなる石器二点それに先土器時代終末に絶滅したとされていたオオツノジカの臼歯が採集された。
 本洞穴遺跡は、その学術的価値を保存するため昭和五一年(一九七六)四月、県指定史跡とされた。

2-42 穴神洞遺跡上部洞の堆積層序図

2-42 穴神洞遺跡上部洞の堆積層序図