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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

11 謎を秘める巨石崇拝

 大洲の巨石

 本県では古くから大洲盆地を中心とする地域に立石(メンヒル)・磐座(ドルメン)が多く分布し、これがあたかも縄文時代や弥生時代の巨石崇拝に係る遺跡であるかのように紹介されている場合がある。そのためここで若干これについて触れておきたい。
 大洲地方に分布する巨石が信仰の対象にされていたことをすべて否定するものではないが、そのなかのいくつかには自然の石組があって問題があるし、ましてこれが縄文時代や弥生時代のものであるとすることは現在の考古学からして否定しなければならない。それは、これら巨石遺跡と呼ばれているものが、考古学的に調査されていないことである。未調査であってもこれら巨石の周辺からこれらに関係するとみられる遺物が出土すれば、その時代が明らかになるが、現在までのところではそれを明らかにする具体的資料は残念ながら存在していない。したがって、考古学的にこれを縄文時代や弥生時代の巨石崇拝に関係する遺跡とはいえない。
 古くから有名な高山の立石についてもそれは該当する。高山の立石は人為的に構築されたことは何人も認めるところであるが、それがいつであったかは全く不明である。冨士山山頂の磐座と称されているものも、人為的な構築とは外観的には認められなく、よしんば自然の石を磐座として利用したとしてもそれは如法寺に関係するものであると理解するのが妥当である。

 生名島の立石など

 考古学的に県内で立石・磐座といえるものは後述する越智郡生名村立石遺跡のみである。この生名村立石は、時代が弥生時代か古墳時代かの問題はあるものの、発掘調査により、これが人為的なものであり、その構築の時代も伴出遺物から古墳時代以前のものであることが明らかとなっている。
 考古学的にはあくまでもそれを証明し得る資料がないことには、単に心情的にこれを特定の時代の遺跡とすることはできないのである。したがって、大洲地方の巨石がまさしく巨石崇拝に係る遺跡であり、かつまたその時代が弥生時代であるとするためには、それを証明する資料を得たうえでなければならない。私見であるが、大洲地方で先史時代の巨石崇拝の遺跡としての可能性の最も大なのは粟島神社の本殿下にある巨石ではなかろうか。ここでは縄文後期の土器片や平安時代の土師器が出土している。
 この他、民俗学的な面からすれば、大洲市神南山のドルメン・今治市近見山の環状列石・越智郡大三島町の立石・同郡上浦町立石や西宇和郡三瓶町鉾石・宇和島市石仏なども時代は別として信仰の対象になっていたものであろう。このような例は県内各地に多くあるものと思われる。
 考古学的見地から、巨石遺跡でないかといわれていたものについて否定的見解を出したが、これはあくまでも現在までの資料を基にしたものであり、可能性までも否定したものではないことを付け加えておきたい。なお、これによってこれら巨石の宗教的・歴史的価値までも否定したものではない。特にこれらについては将来の考古学的研究の成果に期待したい。