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愛媛県史 近世 下(昭和62年2月28日発行)

二 後期

後期百姓一揆の形態

 寛延年間(一七四八~五一)以降における百姓一揆のなかには、前期に見られなかった新しい形態を持つものが続出した。それには、いろいろの政治・社会・経済上の変革から生じたものであった。農村においても商品生産の発展にともなって、貨幣経済が発達したこと、農民の間に政治的な自覚を体験するようになったこと、これに伴って、一揆の対象が藩庁のみに限らず、村役人である庄屋・組頭、およびこれらと提携した豪商・豪農に及ぶようになった。これは農民層が上・下層に分解した結果、上層部は村役人として権勢を振い、藩庁側に密着して農民側から遊離するようになった。したがって、紛議の勃発した場合には、中・下層農民が一揆の原動力となり、かつ打ちこわしに発展する場合が多かった。しかも、その範囲は広範囲にわたり、また伝播性の強いものとなった。これらの性格は、前期のそれらにほとんど見かげられず、後期封建社会の弛緩を特色づけるものであった。