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愛媛県史 近世 下(昭和62年2月28日発行)

三 藩債と藩札整理

金札の発行

 藩債・藩札の処分は、士族の家禄整理とともに廃藩置県前後の大きな課題であった。廃藩当時全国二七七藩の藩債は七、四一三万両余で、藩債の発行は二四四藩一、六九四種、三、八五五万円余に達しており、原則的には新県の財政とは分離して政府が処理した。政府は維新当初の軍費その他の支出と、藩や民間に貸し下げて殖産興業を図るため太政官札(金札)を発行した。発行の布告は慶応四年四月で、通用年限を一三年と限り、諸藩へは一万石につき一万両の割で貸し、返納は年暮に一割ずつの利を付けての一三年賦であった。また太政官札が高額札のため、補助として民部省札その他も発行された。
 しかしこの紙幣は政府や藩が度々通用を布告したにも拘わらず政府にまだ十分な信用がないため正金のみを好む、不心得で通用を防げる者がいる、粗悪なため偽造品があるなどの理由から額面の三~四割にしか通用しない状態であった(飯尾家文書)。政府は翌年正貨と交換する旨を約し、明治四年にはドイツに発注した新紙幣に改め、不通用者は朝命拒否と同様であるから召し取って吟味せよと布告し、地方官へも通用を厳命した。幕末からの物価暴騰に加え、版籍奉還などで藩の力が低下すると明治三年には今治古札は一銭にもならない状況(「藤井此蔵一生記して、従来の正貨にも粗悪品や私鋳銭が多く、通貨は著しく混乱の状態にあった。
 幣制の混乱は物価騰貴の要因であり、外国の抗議もあって明治四年五月には「新貨条例」による定位の新硬貨が発行された。もちろん当分は在来のものと混用であったが、太政官布告によるとその交換比率は新貨五〇銭の場合は金札二歩二両の半分、天保通宝六三枚―一〇枚で八銭―、寛永通宝青波四文銭二五〇枚―一〇枚で二銭―、寛永通宝一文銭五〇〇枚―一〇枚で一銭―)であった(満野家文書)。
 藩札については明治二年一二月の布告で製造禁止となり、それ以前のものも幕府に無届けや、維新後の増発分は公正なものとみないで各藩に処分を命じた。藩士の債務は私債とみて対象外である。明治四年七月の廃藩によって印刷機や銅印・刷り残しの和紙などを没収し、その時点の時価で政府紙幣と引換えられることになるが、その価格は低く見積もられており、藩札所有者の庶民がその分だけ犠牲となったわけである。赤字である政府は努めて引請額を減らそうとし、交換の着手は明治七年の九月からで、それまでの間は各県に処置を命じた。

川之江札

 宇摩地方では西条藩の上分札、今治藩の三島札、預かりの松山札、川之江村営の質場札のほか多種の私札が混用されていたが、高知藩の管轄下でいずれも不通用となり、札不足の高物価によって町人も百姓も困窮した。慶応四年四月、一〇匁以下の少額紙幣三種、計七万二、〇〇〇枚の発行を許されたが海防や殖産の多くの支出費目に比して余りにも少なく、同年七月再願して一〇〇匁札以下の五種、計一二万八、〇〇〇枚(約四万一千両)を発行し、ついで少額の五・三・二分札も発行した。この川之江札は周辺の藩にも信用があり、川之江の産業活動を活発にし、新貨との高い交換比率にもそれがよく表れている。
 明治四年九月の高知藩川之江出張所の藩債高は、六万一、〇〇〇両(うち政府からの拝借分二万五、〇〇〇両)で、政府へ返済分は五、一七五両、不良札として焼却分か四、九二五両、残余が未整理分として松山県、ついで石鍼県へと引継がれた(進藤直作「高知藩川之江代官所について」)。

西条・小松県

 西条藩の金融混乱や藩札の暴落で最も大きい打撃を受けたのは、明治二年五月に同藩に二万両を貸付けた別子銅山であった。その後六、〇〇〇両を貸付げ、廃藩までに一万一、五〇〇両が返金されたが、残余は棄損となった。
 廃藩時、大蔵省から西条札の相場の諮問によると新貨金一円は紙札一三九匁、銭相場は銅・鉄銭ともに至って不自由で通用がなく、相場が立たないと答えている。しかし翌年七月の布令では一七五匁四分四厘で交換されることになり、石鐵県第四大区惣代一五人から、これては旧西条県札が忽ち二割損となり迷惑する旨を申し出た。しかし大蔵省からは天下一般の算則であるから戸長はよく領民に説諭せよと解答があった(久門日誌)。
 小松藩でも窮乏は著しく、高額の紙幣を発行して高物価に対応しようとした。領内では安政四年、明治初年など萩生村の飯尾家、大頭村の佐伯・渡辺家、妙口村菅家、吉田村日野家ら豪農・豪商から千両単位で借り入れたが、うち数割は献金の形を通例としていた。同藩の平均収入は米四、八二九石余で、うち一〇分の一の知事家禄を差し引いて四、三四六石、その一〇分の一の四三四石余を海軍費として六回に分けて上納が命じられた。一回分は七二石四斗余(石当たり八両と永一九〇文)、五九三両と永六四文であるが、これがなかなか納入出来ず、再三猶予頂いを大哉省に堤出している。

今治・松山県

 今治藩の債務は明治三年閏一〇月の弁官への届けによると藩債八万五、〇〇〇両、藩札九万五、〇〇〇両であった。明治四年九月、大蔵省への報告分は藩債一〇万一、一九一両余で、別に藩士や領民への貸付けが金八万六、一四五両と米二、六四五石余があったが、うち四万三、七四〇両と一、五二一石が回収不能、返還困難としている。
 藩札は天保以前に木版で三回以上、以後に銅版で三回の六回以上計三〇余種を発行したが、版籍奉還以降は殆ど信用を失った。引替え相場は一両につき九六匁であったが、実際の通用は七〇〇匁以下であった。三島(会所)杜の方が多少信用度が高い。明治五年四月、石鍼県布告では今治札の公定引替相場は一二○匁であった。
 松山藩でも明治初年には銭札は下落し、度々の布告にも拘わらず取引相場は半分以下となり、また地域差もあって正銭に比して不融通であった。明治四年七月、大蔵省への報告では金一両につき銭札一八三匁六分であった。藩債支消については明治四年一二月分だけでも政府へ産物元備下渡金のうち二万両、大阪住吉吉右衛門へ米代金八、〇〇〇両(四万両のうちの五年賦当年分)、領内返済一万七、八〇〇両を伺い、または届出たが、更に藩札引替金七万両、県費三、〇〇〇両の下げ渡し、前借りを願っている。

大洲・新谷県

 幕末の大洲藩でも銅銭が不足して銅価が高騰し、両替商に公正引替を指示した。慶応四年ごろは銅銭の四文通用が一二文となり、文久四文銭は一六文、寛永四文銭は二四文通用となっていた(岡田家文書)。小藩の新谷は、藩力以上の軍事費や産業育成策のため藩札の濫発を続けたため、正貨との引替が不能となった。新谷札は大洲藩でも不通用となり明治二年六月、郡中三町が取引停止としたため領民は動揺して不穏の動きをみせた。同藩は大洲藩に既に多額の借銀があったが翌月更に三万貫を借用(大洲藩札に新谷藩印を加印)し、領内各村に金札五〇〇両を貸与して各戸へ割り付けるとともに、庄屋に説諭させるなどして、信用の回復に努めた。また執政主事・郡政主事・会計主事以下の官員及び御用商人を処分し、香渡晋を会計主事兼役として対策に当たらせた。香渡は借財返済の一〇年延長、家中の家禄・役料の一~二割削減などの策を実施した。
 明治二年八月から藩札は不通用となり、新谷藩には会計局発行の切手や制産社発行の金札があったが大洲藩とともに椿札もあったので、藩札の廃止は紙漉の者が困る旨を大蔵省へ報告した。明治四年末で大洲藩の藩札発行高は二二八万四二〇貫、うち当時流通分は二六万五、〇〇〇貫で、二〇一万五、四二〇貫は、摺っただけで保管していた。藩札と金札の引き替えは、新谷藩では明治二年九月から行われた。初めは五・三・一貫目の大札を郷町ともに庄屋・町年寄がまとめ、翌年五月の場合は一二日に郷分一、〇〇〇両、二二日に町分一、〇〇〇両を引き替えた。しかし引替えに応じる者は少なく、会計局から度々督促をした。五〇〇匁以下一〇匁迄の札は四年の一月から交換し、他藩の者で新谷札所持の場合ぱ町内の者に依頼するようにとの指示があった。五匁~一匁札は同年三月、五分以下の小札は四月から交換されたが、いずれも引き替え者は少なく、これが最後といいながら延期を繰り返している。なお両藩とも、明治五年ごろには太政官布告をうけて旧藩の公債の売買、藩士の虚偽の貸借但書の提出を禁じた。

宇和島・吉田県

 宇和島藩でも慶応年間に物価が高騰し、金相場が狂うため藩札を増発した。また明治二年五月には諸運上を従来の一〇倍とした。明治三年春ごろの通用高は三一万貫余(金一両は銀札七〇〇匁と替えたので金に直して四四万三、〇〇〇両)となり、窮民救助のため一軒に一〇〇匁宛で奥野郷へ三九一貫、宇和郷へ五〇九貫を与えた。
 明治三年三月、宇和島藩から大蔵省への届けによると御一新前椿幣製造高は銀札三六万貫でそれ迄の引き替え済は僅か三、七六二貫余であった。藩札の種類は一貫目・五〇〇・三〇〇・二〇〇・一〇〇・五〇・三〇・一〇・五・三・一各匁と五・三・二各分札の一四種で、合計約三四五万枚(百匁札の数は含まず)を発行していた(宇和島藩日記)。吉田藩札については、同年春に宇和島藩から櫨元銀として五万貫を融通しており、大蔵省報告分に同額を吉田藩に渡し置くとの記事とも一致することから、宇和島藩で印刷されていたとも推定される。

表8-38 伊予各藩々札製造高

表8-38 伊予各藩々札製造高


表8-39 旧札新貨換算表

表8-39 旧札新貨換算表


表8-40 小松藩の藩札製造高

表8-40 小松藩の藩札製造高


表8-41 今治県旧藩債支消并楮消去目的帳

表8-41 今治県旧藩債支消并楮消去目的帳


表8-42 紙幣従前製造卸届高 今治県

表8-42 紙幣従前製造卸届高 今治県


表8-43 藩札処分状況と藩債

表8-43 藩札処分状況と藩債


表8-44 宇和島藩の金・銀・札比価表

表8-44 宇和島藩の金・銀・札比価表