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愛媛県史 近世 上(昭和61年1月31日発行)

2 藩域

 小松藩の藩域は、周布郡の内一一か村、七、四一四石六斗三升一合、新居郡の内四か村、二、五八五石三斗六升九合、合計一万石であった(資近上四-3)。現在の周桑郡小松町・東予市・西条市・新居浜市に及ぶ地域である。これらの地域に含まれる村は、
 <周布郡> 新屋敷村・今在家村・広江村・妙口村・河無北南村(北川村・南川村)・吉田村(相給)・千足山村・大郷村・大頭村・北条村・周布村(相給)
 <新居郡> 上嶋山村・半田村(相給)・大生院村・萩生村
である。以上のうち、吉田村は小松藩領五七二・〇九一石、松山藩領八〇・二五九石、周布村は小松藩領四一九・二五七石、幕領(後に西条藩領)一、八一九・八七三石、半田村は小松藩領二七八・八八一石、西条藩領三六・七○四石となっていた(慶安元年伊予国知行高郷村数帳)。
 小松藩の石高一万石は表高であるが、寛文四年(一六六四)の「御領分村々高付田畠畝数并寛永拾三年丙子ノ秋より年々免相定申覚帳」によると、内高は一万一三二石四斗六升八合となっており、この差額一三二石余は、新田高を本高に繰り入れたものであるという。さらに、近年の新田開発分が四〇〇石余あるとされている。
 その後、小松藩では、新田開発などによる生産高の増加をふまえて、延宝六年(一六七八)・同七年に高改めを実施した。現在村によって改高が不明なものがあり、改高の合計の計算はできない。ただ改高不明の村を寛文四年(一六六四)の村高と同じであると仮定して合計すれば、一万六九四石二斗九升一合となる。
 以上の藩域は、以後変更なく受け継がれ、明治に至った。

図2-21 小松藩主系譜

図2-21 小松藩主系譜


図2-22 小松藩領図

図2-22 小松藩領図