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愛媛県史 近世 上(昭和61年1月31日発行)

1 藩の組織と家臣団の形成

 藩の職制

 西条藩政についての記録である「治藩の餘波」(久門範政氏蔵)により、同藩の職制の大要をみていくこととする。なお、同書の記述は幕末に近いころの状況を示すものである。
 西条藩は、前述のように定府であったから、国元においては、江戸表からの指令のもとに、御留守居及び奉行が、諸役人を指揮して政務全般を統括した。また、御留守居は、国元における藩主名代の役割も勤めた。
 藩財政にかかわる組織としては、御勝手方、御金方、御勘定所がおかれ、それぞれ、御勝手役、御金奉行、御勘定統取の指揮をうけた。御勝手方は金銭出納に関する諸局の雑務判決、諸士の進退、禄の増減を、御金方は金銭出納事務を、御勘定所は諸局入用筋の調査を取り扱うものと説明されているが、それぞれの分掌については不明な点が多い。なお、御勝手役のうち一名は、御船奉行兼任、御金奉行は御代官の兼任であった。
 寺社・町方の支配は、一括して寺社ならびに町方によって行われ、寺社町奉行のもとで、寺社・町方からの諸願い及び伺い、公事訴訟等を取り扱った。
 村方支配の職務は郡方、御代官所で行われた。郡方には、郡奉行以下の役人がおかれ、諸願・伺への対処、訴訟の判決、罪科の決定など民政全般を職掌とした。御代官所は、御代官のもと、凶作時における検見の実施などを含む貢租収納に関する一切を取り扱った。なお、御代官のうち一名は御金奉行を兼任した。
 御手浜方は、多喜浜塩田において、諸普請及び加地子銀徴収に当たり、紙方は奉書紙の製造、出荷、代金の収納、送金等のことに当たった。禎瑞方は、安永九年(一七八〇)、藩直営で築造された禎瑞新田の管理経営に当たるもので、禎瑞方上役のもと、潮の満干に応じて樋の開閉にあたるものなど、一五名の者が配置されていた。

表2-28 西条藩職制

表2-28 西条藩職制