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愛媛県史 近代 上(昭和61年3月31日発行)

二 地租改正の実施とその内容 ①

 地租改正の着手

 地租改正は、明治六年七月二八日発せられた「上諭」及び同時に頒布された「地租改正施行規則」・「地方官心得」などの地租改正法令によって、緒に就いたといってよいが、本県ではそれから二年後の明治八年八月二七日、愛媛県権令岩村高俊の発した県布達乾第一二一号によって、改租事業着手が宣言された。すなわち、租税は国の大事であり人民の休戚に関するところが大であるが、従前は関係法が統一されておらず寛苛軽重があり公平でなかったから、去る明治六年七月「上諭」をもって地租の改正を仰せ出され、公平画一なものにし賦税に厚薄の弊害がなく人民に労逸の偏りがないようにしようとの御趣意である、ついては、今般県下一般に地租改正について下調べに着手するから、各人民においても右の御趣意を奉戴し、左の条件の心得をもって、一同奮発、来る明治九年より一般新税施行が整うよう取り調べよ、もっとも取り調べ順序その他規則は各区区長戸長共へ達しておいたから、右役に承り合せ了解し難いことは詳細伺い出て、心得違いのないようにせよ、と布達した(資近代1 三〇七)。
 これに続いて、(1)土地を人民の永代私有物に定められ、地価の一〇〇分の三を地租と定め、豊凶にかかわらず徴収する、増減税はしない、(2)従前の反別は、藩により異なった方法で検地されたうえ、年暦を経て地形も変わり、増減があるので、今般の調査は規則通り精密に行われねばならぬ、(3)従前切開・切添や林藪原野の開発地など腹蔵なく申し立てよ、今般実地反別を調査し、増歩になっても地価により貢租掛物を納入するのだから、反別の多少にかかわらない、後に紛争が起こらぬよう精密に調査をし、もし地租を減らすため畝歩を減らしたり、隠田など漏脱の地所があった場合は処罰するなどのことを指示して布達を結んでいる(資近代1 三〇七~三〇八)。
 同時に各区々戸長にあて地租改正第一号の布告を公布し、地租改正を完了するのは特に区長・戸長以下役々の者の奮発と労力とにあるのみ、だから右役々の者はよく上意のあるところを奉戴(ほうたい)して黽勉(びんべん)従事し、この事業が速やかに整頓するように努め、来る明治九年より県下一般新税が施行されるようにせよ、と事業の推進力と頼む各区戸長を激励した。続いて地租改正第二号をもって、「地所取調心得書」・「地価取調心得書」を各区戸長に頒布(はんぷ)し、地租改正実施に不可欠な地所・地価の調査の具体的方法を指示した(資近代1 三〇八~三一五)のをはじめ、明治一〇年九月までに、七五を越える地租改正関係法令を次々に交付した。そのうち主な布告をまとめると表1―27のようになる。

 地所取調(地押丈量)

 地所取調についてみると、その方法は各村各字限り一地一筆ごとに番号をつけ(地所番号は、官有・民有と地種に関係なく一村地押して通し番号とする)、地番・地種・地主名を記した耐腐性の畝杭を立て、その番号地順に従って測量をした。測定値は間単位で、六尺を一間とする二間竿(竹片前後両端に一分ずつの砂摺をつける)を用いた。なお明治一三年の「県政事務引継書」によれば、旧藩の検地の際用いられた間竿は、六尺五寸(松山・今治・新谷・小松の諸藩)、六尺三寸(西条・吉田・大洲の諸藩)、六尺(宇和島藩)で、藩ごとに差違があったものを六尺一間に統一したわけである。測量法は一般に三斜法を用いたが、方形の地には十字法を用いても差し支えがないことにしていた。この測量法でまず一筆限りの野取図を作成する。これには必ず字名・地番・地種・反別・持主名を記載することとした。つぎに一耕地限りの切図を作成し、紙幅縦横四尺の切図に、一耕地中の毎筆地形を分画し、耕地・宅地などの各種河渠(かきょ)・道路などを色分けし毎地の番号を記入した。更に一村限りの地図を作成し、全村地形の概略と四境接続の村名および山岳・河海を明記し、毎耕地の界域を分画し、その番号を記入した。この図は村内各耕地の位置を知るうえに便した。なお一村限りの地図については、県下全村で地図上地形地物などの色分けを統一した。
 実地丈量が成功すると県へ届け出し、作成された一筆限りの野取図・一耕地限りの切図・一村限りの地図を地引帳と共に、県庁租税課に提出し、県ではこの地引帳・地図に基づいて、一か村のうち数か所を抜取り調査し、検査官吏が現地に臨んで、地主及び村総代人立ち会いで、一筆ごとに畝杭・野取帳とを照合し、地順に従って実地検査をした。異状がない時は認可し、段歩に相異がある時には一村内全地域にわたって再調査を命じたりした。
 しかし地所調査は、敏速順調に進ちょくしなかったらしく、地租改正は取り消しとなるという様なさまざまな浮説風評が飛び交い、農民のうちには実施丈量を見合わせる向きもあり、県では各村の長老たちが農民に実地丈量に着手するよう説諭せよと指示している(資近代1 三一五~三一六)。明治八年末の地租改正第一二号では、先に地租改正第八号をもって、地租改正実施丈量着手成功ともその時々届け出るよう達しておいたが、今もって着手したとの届け出をしない村が多い、深山幽谷に僻在し、目下積雪のため阻まれている村方などは格別だが、その他の村々は、麦の穂が出ないうちに、速やかに土地丈量を完了するようにせよ、まだ着手していない村方は、速やかに着手させ、既に着手している村方は、精々勉励して速やかに丈量が成功するよう尽力せよ、と丈量着手とその成功について督促している(資近代1 三一七)。
 また明治一〇年二月には、地租改正第五五号をもって、地租改正は明治九年でもって竣功の筈であったのに、実施丈量など遅延の村方もあって、土地丈量後やらねばならぬ地位等級の調査にも差し支えて、不都合であると非難している(資近代1 四六三)。このように地所調査が遅延したのは、第一に地押丈量の事業及びこれに要する財政負担、労務提供など一切を農民が負担して行ったため農民に渋りが出たこと、第二に一筆毎の耕地・宅地の面積から、未熟な農民たちは近隣の岡山県・旧小田県(倉敷・笠岡・福山などを包括した県)などで、すでに測量に従事したことがある経験者を招き、測量一切を請け負わせて、ようやく地所調査が遂行された。
 地所取調実施の進度をまとめると表1―28のようになる。
 地所取調が推進された結果、田・畑・宅地などの反別は表1―29・表1―30の通り非常に増加した。
 地租改正のうち地所取調によって作成された全県下各村の反別畝順帳集計表を県史「資料編近代1」に記載しておいたから参照されたい(資近代1 四九〇~五二五)。

 地価調査(一) 地位等級調査

 地所取調がほぼ終了するのをまって、地租改正のもう一つの大事業地価取調に着手した。まず明治九年一二月二七日付第八大区より第二一大区までの各区々戸長にあてた地租改正第五一号で、地価取調に際し人民疑問の条件を弁明し、かつ検査官の臨時顧問として、県は表1―31のように地租改正総代人を任命し、同時に地租改正総代人心得書を公布した。
 それには、(1)地位の収穫を定めるのは、地価を定める基礎であり、地租の基であるから精密に注意して実施すること、(2)地租改正総代の職務は、改正掛属の命を受け各郡村市を巡回し、収穫地価の当否を審査し、不公平がないように努めること、(3)地位等級収穫地価に意見があるときは、まず改正掛属へ陳述し属の命を受けて人民に説明せよ、(4)地所丈量点検済の村市は地位等級表を作成提出させたうえ収穫を定めるから、その間は地価のことを論じてはならない、などが記されている(資近代1 四六一~四六二)。以上からみると地租改正総代人は、人民の利害を代表する総代とは言い難く、県の改正掛の一属官にしか過ぎない感じを抱かせる。さて愛媛県における地価の取調算定は、愛媛県地租改正布告第二・三号及び愛媛県地租改正報告第一号の算例にみられるように、耕地並びに宅地の地位等級の判別、収穫量の調査、穀価及び金利の算定、種籾・肥料代及び村入費の算定などを通じて行われた。
 初めに耕地(田畑)及び宅地の地位等級の判別決定はどのように行われたかを『愛媛県地租改正紀要』によってみよう。これによると各村内における耕宅地の等級は、田地は米、畑宅地は麦それぞれ一斗を基準とし(のち一斗五升となる)、藪及び林・櫨山のような畑に準ずべきものはその取り扱いをする、等級数は制限しない、農民間において等級を議する際、微細にわたり升合の差を争って議決し難い状況であるから、収穫一升以上一斗まで、一斗以上二斗までをそれぞれ一等級単位とし、その他はこれに準じて行うよう指示し、該土地の地味・水利・運輸・耕耘(こううん)・水旱(かん)害・米質などすべて地位に関係あるものならびに利子の制限、所用の米麦価を明示し、これらの諸要素を含蓄折衷して地位の優劣・等級の上下を判定するよう指示している。
 次に村位等級は、近隣村の地位等級と比較対照のうえ評定されるので、地勢の便宜をみて隣接五~一〇か村以内を連結して、一組合村を組織設定させたが、明治一〇年三月県下で表1―32のごとく一七二の組合が結成された(資近代1 四六三~四七三)。
 組合村設定と同時に地租改正第六一号をもって組合村地等会議について次のように指令した。
 組合村の地等を審議するため、その村の地位等級調査を担当した者のうち二~五人の地等議員を選挙し、区長が会長となり、地租改正総代人及び戸長も出席して、組合村々会議を開かねばならぬ、会議では、甲村の何等は乙村の何等に当たり、乙村の何等は丙村の何等と相対して平準であるかどうかを評議し、衆議決しない時には、投票多数決によった、なお紛議に関係する村の地等議員は投票ができない、この会議により地等組み立てが決定したならば、田・畑・宅地の三つの地種の地等表(代替畑以下の地目については表は作成しなくてもよい)を提出せよというのであった。これより先、組合村内で地位中等の村一か村を選んで「模範村」と名付け、この村を準拠として、組合村々がその地位等級の評定について協議を尽くすよう指導していた。
 地位等級調査書が県租税課に提出されると、県官は各組合村のうち、一~二村を選んでその村を巡視し、実地と地等表とを照合しその適否を査察した。もし否と認むる時は、組合村地等会議に再議させた。その後この組合村地位等級評定の法を拡大して全大区に組織しようとしたが、民議の成果が期待できないので、検査官自ら村内の地位及び組合村の地位表を照合酌量して、毎大区通観の村位表を作成し、この表を区長・戸長・地租改正総代人などに示した。更にその適否を諮詢し、その確定する所を積もって郡位の優劣を定めた。一筆上の地位は各組合を限り一村上の地位は大区を限って対照組織することにした(「愛媛県地租改正紀要」)。
 こうして決定した各村の田畑地位等級を風早郡(現北条市)についてまとめたものが表1―33である。
 なお明治九年五月地租改正布令第二八号で、郡村地と別に、新居郡西条・越智郡今治・和気郡三津浜・温泉郡松山・喜多郡大洲・宇和郡八幡浜矢野町・宇和郡宇和島・宇和郡吉田を市街地として設定し、市街地の地租改正を実施しようとした(資近代1 三四〇~三四一)。
 これより先、県は地租改正布令第一五号で、市街地丈量法を公布したが、郡村地丈量法と大差はなかった(資近代1 三一七)。ただ家屋が櫛比(しっび)して実測現歩数を得ることが困難であるから、該町の表通・裏通・横町の四周から分間法で綿密に丈量して総坪数を計算した後、一宅地ごとに三斜十字両法を用いて丈量し、その坪数を総計して、総坪数と対照して相違ないようにせよと指示している。検査官は毎町一区画中五~七か所を丈量し、一〇〇坪ごとに二坪の誤差があるかもしくは最初の総積と毎地合計の積算に大差がある場合は、再調査を命じた。

 地価調査(二) 収穫量調査・米麦価の評定

 明治九年一一月地租改正第四六号で、第八大区より第二一大区までの各区々戸長に対し、地位等級が確定したら直ちに収穫地価の調査に取り掛かるよう次のように指令している。(1)収穫調査にあたっては、各村から委員若干を選挙し調査に当たらせ、調査終了後は各地主に対して、調査結果の当否を論議せよ。(2)収穫は地価の根拠となるものであるから、最前確定した地位等級により誠実に取り調べよ。但し収穫量は田方は米、畑方は麦によって書き出せ。(3)収穫量は過去五か年間の平均の作柄を基準にして書き出せ。(4)宅地については収穫高は見えないが、宅地のうち最下等のものも該村の総耕地平均と地価が同じになるようにするため、麦をもって収穫を見積もり書き出せ。(5)切替畑・林草木生地・秣場(まぐさば)・雑藪・塩田についての収穫地価の調査法を指示する。(6)掛官員は各区に出張して、右の収穫調査の当否を検査し、公平適実と認めた場合は一村総計地価表を提出させる。この際一筆限り地価帳を作成提出させる。(7)右の収穫から地価を算出するには、収穫米麦を過去五か年間の平均石代相場で金に換算し、種子・肥料代として一割五分を引き去り、六分の利子に回るようにせよ。(8)右地価取り調べの際、各自の私意をもって不服を唱え収穫を偽る村方があれば、第六八号で処分するから心得違いがない様にせよ(資近代1 四五九)。
 ところで県当局は地位等級の判定と収穫量の算定は、「持主銘々ヨリ為申立当否検査ノ上適当可相定事」(愛媛県地租改正布告第一則)とか「今調査ノ方法ヲ分ツテ二節ト定ム第一ハ人民ヨリ差出セル書上ニ就キ其当否ヲ検スルニ在リ」(地方官心得第四章)とあるように、一応地主申告を尊重する立場をとりながら、実際は新地租額が改正前の地租額と大差が生じないことを前提として、全国の地価総額を予定して地租改正事務局から各府県に割り当て、各府県は各郡町村内の地価を予定して割り当てるという、上から下へ順次下降する方式をとって算定された。
 収穫量の決定にあたっては、前もって全県あるいは郡の収穫量を予定し、これをさらに小地域に割り当てるとともに、他方一村内一地一筆の収穫量を算出したものを集計して、予定額と比較しこれを参考として決定する方法をとった。その一例を挙げると、野間郡浜村(現菊間町内)では明治一一年一〇月、権令岩村高俊にあて改租に際し県から当村の収穫を指示されたが、豊熟の年であっても定められた収穫ほどは出来ない、まして豊凶五か年を平均したら、養水乏しく旱損多い村方だから御指示の収穫はとても出来ないから、現地の実情を汲み取って容赦されたいとの嘆願書を提出している(「菊間町誌」)。米価地位等級の決定も収穫量のそれと同じであった。地位すなわち「郡位」や「村位」は本来地価決定にあまり役に立つものではないが、これが活用されたところに、上から下への割り当て決定の含みがあったわけである。一筆ごとの調査は「村内及び隣接村との比較調整のための参考数字に止まり、絶対的数字を見出すための調査ではなかった」といえる。
 このため地等調査は渋滞し、地等取調書を差し出さない村が多く、県は第八~二一区の各区々戸長にあてて、明治一〇年五月の地租改正第六五号をもって、明治一〇年二月地等取調書提出方を達してから二か月余が経過している、どのような事故が起ころうとも、地位等級の取り調べが整わない筈はない、遅延の向きは、その理由を五月一〇日迄に詳細に申し出るよう督促している。続いて同年六月二〇日には、県令岩村高俊名で公布された「地租改正事業奮励ノ告諭」の中で、「実地丈量漸クアリ地等調査ニ至ツテ、事業頓(とみ)ニ渋滞スルカ如キヲ覚フ、現ニ地等会議ノ景況ヲ報セサル茲ニ数旬、若シ今日ノ状ニシテ荏苒(じんぜん)セハ収穫地価ヲ確定スルハ将ニ何ノ日アラン乎」と嘆き、明治八年以降地租改正に着手した府県は一〇分の七に及んでいるが、事業進ちょくが遅れているのは、愛媛県伊予国ほどのものはない、今より宜しく一層奮励して地租改正に従事し、七月上旬をもって地等会議が終わるよう尽力せよと諭達している(資近代1 四七七~四七八)。
 地価取り調べ実施の進度を一覧すると表1―34のようになっている。地位収穫調査・官吏検査の着手と終了時は郡によって異なり、風早・浮穴・伊予・温泉・和気・喜多郡では一一年末には地価取り調べ作業が終了しているが、宇摩・新居・久米・宇和郡では県と各町村の間で地価査定が折り合わなかったようで、一二年末までに取り調べは終わっていない。
 地租改正地価算出に用いる米麦大豆の価格は、県下各地の商人に付き各地の相場を明治三年から同七年にかけての五か年間を平均して内定し、一応地租改正事務局へ伺いを立て、明治一〇年一〇月二一日伊予国は全地域米一石に付き金四円六六銭を以て、地価検査に用いるよう事務局から指令があった(資近代1 四七八)。
 明治三年~七年までの五か年平均米・麦・大豆の平均価格をまとめたものが表1―35である。

 新地価の決定と地券の交付

 地所反別・地位等級・収穫高・穀価などの地価算出の基礎となる主な資料が揃って、初めて地価が算出されるが、明治八年八月三一日付けの「愛媛県地租改正報告第一号」によって、算例を示すと表1―36となる。
 県当局が示したこの算例をみると、種籾・肥料代及び村入費を差し引いた利益が、土地所有者にとって、自作地で六分、小作地において四分の利回りとなるよう地価が算定されている。地価が決定されると、その一〇〇分の三と定められていた地租額が容易に算出されるわけである。地価が決定されると、愛媛県は各郡長を通じて土地所有者に、壬申地券と引き替えに新しい地券を交付した。地券には地目・反別・土地所有者名・地価を記載するとともに地租額も明記されている。また各村役所には地券台帳が保存され、地券が土地の所有権を示すものとしての性格を有するようになった。
 ここで市街地の地価調査についてみよう。各町地主総代人及び地位委員が、該宅地のある場所の表・裏を分け、運輸・交通の便否、商業の盛衰などを考慮して議定したその地の地位等級により、毎等一〇〇坪の地価を申告させ、官吏が実地に臨んでその適否を検査し、地価を決定する。但しその地価を定める際、今治・宇和島・吉田・大洲・八幡浜の五市は、土地の売買実価とし、なお商業の便否を図り、その上等地は全県下各市街地の均衡を対照し、下等地は近接郡村宅地々価の基準とする。また松山・三津の二市街は、戸口に比べ地所が広いから、上等地は各市街等位の水準を考え、その下等地は近接郡村宅地々価を準拠とし、売買価格に拘泥(こうでい)しないで決め、商家とか侍屋敷とかの区分をしないようにしていた。
 しかし、地価の算定決定は、天下り的に行われる傾向があったため、宇摩・新居・周布・桑村・久米・下浮穴などの各郡では、苦情が続出する状態であった。県官の高圧的説得、区長・戸長・地租改正総代人らの説諭によってどうにか収まったが、それでも決定を承服しない村が全県中なお一四か村も残り、大蔵省官吏が復命書作成の時もなお決定しない始末であった。だが明治九年、三重県において発生したような地租改正反対の農民暴動は本県にはほとんど発生しなかった。
 幕藩制下、百姓一揆が各地で頻発し、その件数において全国屈指といわれ農民運動が盛んであった伊予国で、地租改正反対の一揆が起こらなかった原因はまだ明確ではないが、旧税が「伊予の七ツ免」(村高の七割の課税)と一般にいわれていたほど苛酷であったから、改正による新地租は旧税に比して相対的に軽減されているという印象を県民に与えたこともその一原因と考えられる。
 明治一二年一月時の「地租改正実施状況」を示したものが表1―37・表1―38である。

表1-27 地租改正関係布告表

表1-27 地租改正関係布告表


表1-28 地所取調べ実施進度表

表1-28 地所取調べ実施進度表


表1-29 愛媛県(伊予国)新旧反別比較表

表1-29 愛媛県(伊予国)新旧反別比較表


表1-30 愛媛県伊予国各郡新旧反別比較表

表1-30 愛媛県伊予国各郡新旧反別比較表


表1-31 地租改正総代人数

表1-31 地租改正総代人数


表1-32 組合村数

表1-32 組合村数


表1-33 第12大区風早郡各村田方村位等級表

表1-33 第12大区風早郡各村田方村位等級表


表1-33 第12大区風早郡各村畑方村位等級表

表1-33 第12大区風早郡各村畑方村位等級表


表1-34 地価取調べ実施の進度

表1-34 地価取調べ実施の進度


表1-35 5か年平均の米価

表1-35 5か年平均の米価