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伊予市誌

2 実業補習学校の進展

 実業補習学校の発展 
 実業補習学校は、農村の男子青少年に対し、後継者教育の機会を提供したので、大正年代に著しい発達を示した。
 大正時代の初めでは南伊予村の一部を除いては男子部だけであったが、次第に女子部が増設される一方、組織の改善を図るために補習学校の整備統合も行われ、学校数はかえって整理による減少の結果を示した。
 郡中村では、一九二一(大正一〇)年三月三一日をもって米湊・上吾川・下吾川の三補習学校を廃校とし、松本尋常小学校内に郡中村補習学校を設置した。

 青年訓練所の設置 
 第一次世界大戦後、世界的に軍備縮小の動きが現れた。我が国でもその一環として、現役兵在営年限の短縮が行われることになった。その結果、弱体化される兵力を補充するために、青年訓練所が設置された。一九二六(大正一五)年制定の青年訓練所令によると、「青年訓練所ハ青年ノ心身ヲ鍛練シテ国民タルノ資質ヲ向上セシムルヲ以テ目的」とし、入所者は一六歳から二〇歳までの男子で、設置主体は市町村、市町村学校組合及び私人であった。訓練項目は修身及び公民科・教練・普通学科・職業科とされた。
 青年訓練所には主事と指導員を置き、主事は実業補習学校長又は小学校長に、指導員は実業補習学校・小学校の教員、在郷軍人、その他適当と認める者に、地方長官が嘱託することになっていた。
 一九二六(大正一五)年現在郡中地方の青年訓練所は、いずれも青年訓練所を公立実業補習学校に充当し、南山崎村が唐川と大平の二か所と定めたほかはどの町村も一か所となっていた。