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伊予市誌

2 女子青年団の活動

 処女会の発足 
 一九一二(明治四五)年五月に郡中村処女会が生まれ、一九一七(大正六)年に大平処女会、一九一八(大正七)年に唐川処女会、一九一九(大正八)年に郡中町処女会、同年ごろ北山崎村処女会、一九二〇(大正九)年に南伊予村処女会がそれぞれ誕生し、一九二四(大正一三)年四月には伊予郡連合処女団が結成された。しかし、青年団と比べて自主性に乏しく、一九二五(大正一四)年当時の各町村の処女会長は、いずれも小学校長であった。当時の処女会の活動は、総会で名士の講演を聞いたり、時々料理などの短期講習会を開く程度であった。

 女子青年団と改称 
 一九二六(大正一五)年愛媛県は、女子青年団体に関する政府の訓令に基づき、この団体の振興について訓令した。同時にその名称は処女会を改めて女子青年団に統一した。当地方での処女会は、一九二五(大正一四)年四月に南伊予村女子青年団、一九二九(昭和四)年に大平女子青年団と改称した。