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伊予市誌

3 婦人会の結成

 明治時代末期に下三谷原組婦人会の発足後、大正時代に入って、各町村に婦人会が結成された。
 北山崎村では、大正時代の初めに婦女会が発足して、講話会、視察、染色、割ぽう・児童服などの講習、尚歯会、出征軍人慰問などを行った。会長は小学校長であった。一九二四(大正一三)年三月一二日には主婦会が創立された。総会には会員の出席者は一六〇人で、会長に村長永井貞市が当てられた。
 郡中町では一九二四(大正一三)年、当時の郡長鷹卯吉郎夫人静子を会長として婦人会が生まれたが、一九二六(大正一五)年の郡制廃止とともに木下光代が会長に選ばれた。
 郡中村では、先に生まれた処女会も含めて一九一三(大正二)年ごろ郡中村婦女会が生まれた。松本小学校長伊出季吉は女子教員全員に主婦の戸別訪問を行わせて、主婦会の結成に努力した。一九二六(大正一五)年四月の主婦・処女連合総会には、出席者が六〇〇人の多数にのぼった。
 南伊予村では、一九二二(大正一一)年に南伊予村主婦会が結成されて育児・教育・家政・衛生・慈善・習慣の改善・消費節約・講習・懇話会・貯金の実行などの活動を行った。