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伊予市誌

3 PTAの活動

 PTAの発足とその発展 
 戦後の新教育の発展とともに発足した教育団体の一つとしてPTAがあげられる。過去においてもそれぞれの学校には、父母会・保護者会・後援会などがあった。その主たる事業は学校の設備等のために寄付後援することなどで、児童・生徒の教育については消極的であった。
 一九四六(昭和二一)年三月に来日した第一次米国教育使節団は、PTAについて勧奨したので、文部省はその普及に努めた。ここに学校・家庭・社会の三者が一体となって児童・生徒の幸福をはかり、あわせて会員相互の教養の向上につとめるためできたのがPTAである。

 当地方の結成状況 
 一九四七(昭和二二)年四月に新学制が発足して間もなく、同年八月に郡中中学校、九月に唐川小学校、一〇月に郡中小学校、翌一九四八(昭和二三)年三月に北山崎中学校、五月に南山崎中学校と順次「父母と先生の会」(PTA)ができた。当初は創立してから日が浅いためと新制中学の建築などのため、いきおいその活動は、学校建築や施設の経済的援助が中心となっていた。
 一九五〇(昭和二五)年一月刊行の県教育委員会編「社会教育の概況」によると、県下六市・九郡は連合会を結成完了した。PTA伊予郡連絡協議会は山崎正三(郡中中PTA会長)を会長とし、事務所を伊予教育事務所においていた。

 防犯活動 
 一九五八(昭和三三)年、伊予市防犯対策協議会が活発な活動を開始した。市の発足と同時に郡から独立した防犯対策協議会は、当初小中学校児童生徒の柔剣道奨励のほかは、活動が低調であった。そこで市民課と教育委員会の両者が協力して、規約及び内規を改め、一般防犯・青少年補導・交通の三部の活動を強化し、旧町村ごとに支部を置き、各公民館を拠点として事業を行うことにした。特に青少年補導部会は、街頭補導、映画対策などをPTAを中心として取り組んだ。

 街頭補導 
 我が国の急激な経済成長や、道義の退廃などによって、予どもの世界に悪影響を及ぼす深刻なものがあって、憂慮にたえない事件も起きて来た。戦前と違って、あらゆる階層の子どもの中から問題児が出てくる傾向が現れて来た。各PTAでは、防対(防犯協議会)の青少年補導活動と一体となって、校外補導に当たったが、特に郡中地区では警察の指導のもとに、PTA・民生委員・司法保護司・町内有志・小中学校教員などで街頭補導委員会を組織した。委員は四、五人で班をつくり、毎週土・日曜日や休日、特に長期の休みには、夜間に重点をおいて市内を巡回して、子どもの補導に当たった。このことは、児童生徒の不良化防止に大きな役割を果たし、後には青少年補導センターに引き継がれた。

 映画対策 
 一九五五(昭和三〇)年ごろから盛んになった太陽族映画は、青少年に与える影響か大きく、社会の風潮を反映して、ますます盛んになった。一九五八(昭和三三)年、防対青少年補導部では専門委員会として、映画対策委員会をつくった。委員会は市内小中学校教員・PTA会長・婦人会・公民館代表のほかに、市内の映画館支配人を加えて組織した。毎月末には翌月上映の映画を市内二館から提出させて、その中から許可映画・禁止映画を選別した。特に教育的な優秀映画については、学校引率のもとに観覧する場合もあり、日曜日を利用して日曜映画教室を開催するなど、子どもの映画に対する関心にこたえる方策を講じた。

 子ども会の育成 
 伊予市発足当時から、熱意あるPTA役員らの推進によって、各地域に子ども会が生まれた。伊予市VYS及び市教育委員会もこれを奨励し、市教委では谷上山で指導者講習会を開いた。一九五八(昭和三三)年における子ども会の結成状況は、南山崎地区が一六、北山崎地区が四、郡中地区が九、南伊予地区が二二であった。おもな活動は集会・奉仕作業・キャンプ・廃品回収などであった。子ども会は地域を単位としてつくる自治活動組織であるが、問題は活動経費と適当な指導者を得ることであった。灘町の旭町子ども会は、指導者平岡留次郎を推進者として特に活発な活動を行った。

 愛護班組織づくり 
 子ども会活動の推進は、いわば児童愛護活動である。一九六二(昭和三七)年、県PTA連合会(会長山崎正三)は、子どもの幸せと日本の教育の正しい発展への念願の上に立って、愛護班の結成を全県下のPTAに呼びかけた。伊予市では、郡中小PTA会長長尾嘉益、同PTA役員三好正二登が中心となって、まず郡中全地区に六団体の愛護班を結成し、更に伊予市全地域に結成を呼びかけたため続々と班が生まれた。伊予市愛護班連合会が結成されたのは、一九六四(昭和三九)年一月三〇日であった。

 施設設備の充実 
 伊予中学校の水泳プール、伊予小学校の給食室をはじめとして、市内小・中学校の特別施設には、PTAの協力によらぬものはなかった。特に水泳プールの建設については、最初に建設した伊予中学校が多額の寄付でまかなわれたので、以後のプール建設は当時のPTA会長をはじめ役員には大変な苦労があった(「2教育委員会」の記事中、伊予市内プール建設状況参照)。

 PTAの全国表彰
 昭和三〇年度 南山崎中学校 昭和三六年度 郡中小学校
 昭和四二年度 港南中学校