データベース『えひめの記憶』
伊予市誌
1 義務教育の充実と発展
校舎の新築
港南中学校の校舎新築以来、市内小中学校の校舎建築は、しばらく見送られていたが、伊予小学校・南山崎小学校の校舎及び、北山崎小学校・郡中小学校の一部校舎は、昭和初期の建築のため、次第に老朽化した。また、伊予中学校二階校舎は、太平洋戦争後の急造校舎であり、これらの校舎は、いずれも、その早急な改築が要望されていた。
市当局は、まず伊予小学校第一期工事から着手し、次のように、従来の木造校舎を鉄筋校舎とし、その面目を一新した。
<学校名> <建設年度> <構造> <面積(平方m)> <事業費総額(万円)>
伊予小学校 昭和47 鉄筋コンクリート造3階建 1,785 8,230
(第1期工事)
郡中小学校 〃 53 同 3,582 30,925
(第1期工事)
伊予中学校 〃 55 鉄筋コンクリート造4階建 1,755 23,330
(第1期工事)
南山崎小学校 〃 56 鉄筋コンクリート造3階建 2,132 27,000
郡中小学校 〃 58 同 953 12,320
(第2期工事)
北山崎小学校 〃 60 同 2,435 31,990
(第1期工事)
郡中小学校 〃 61 同 2,241 29,910
(第3期工事)
伊予中学校 〃 62 鉄筋コンクリート造4階建 1,646 25,381
(第2期工事)
伊予小学校 平成元 鉄筋コンクリート造2階建 1,936 33,145
(第2期工事)
北山崎小学校 〃 2 同 2,226 44,160
(第2期工事)
郡中小学校 〃 3 鉄筋コンクリート造3階建 2,870 67,250
(第4期工事)
伊予中学校 〃 10 同 295 5,845
伊予小学校 〃 15 鉄筋造平家建 80 2,757
屋内運動場の新築
市内小中学校の屋内運動場は、伊予・港南の両中学校にあるだけで、小学校では、講堂を利用していた。学習指導要領による体育の授業の円滑な実施、部活動での利用、更に社会体育の面からの学校開放など時代の流れは、屋内運動場を各小学校にも新設してほしいという要望が高まってきた。
市当局においては、時勢の要求に応じて、各小学校に次のように屋内運動場を新築した。
<学校名> <完成年月日> <構造> <面積(平方m)> <事業費総額(万円)>
北山崎小学校 昭和56・2・14 鉄筋鉄骨コンクリート造二階建 1,372 19,700
南山崎小学校 〃 58・2・18 鉄筋コンクリート造二階建 1,382 18,193
郡中小学校 〃 59・3・20 鉄筋コンクリート造二階建 2,238 31,450
伊予小学校 〃 60・3・20 鉄筋鉄骨コンクリート造二階建 1,395 25,280
建築にあたっては、最新の技術が用いられ、南山崎小学校以降は、第202図のように、天井に特徴があり、自然の光を採光して、昼間は照明なしで運動ができる。内部設備も充実しており、バレーボール・バスケットボール・バドミントンのコートがとられ、バリアフリーの考えから出入口やトイレの構造にも工夫がなされている。
また、柔剣道の授業に新たな場が必要となり港南中学校には武道館が、そして伊予中学校には武道館を兼ね備えた屋内運動場が建設された。
<学校名> <建設年度> <構造> <面積(平方m)> <事業費総額(万円)>
港南中学校 平成2 鉄筋コンクリート造平家建 650 13,899
伊予中学校 〃 4 同 1,717 45,518
給食施設の改築
市内各小学校で給食を開始してから、給食内容は次第に充実し、食生活の改善、児童生徒の体位向上の面から、給食は教育に欠くことのできぬものとなった。しかし、給食の施設設備は、必ずしも十分とはいえないので、次のように給食室を改築し、施設の改善を図っている。なお、伊予小・中学校については、給食人員の増加に伴い、平成一〇年度に増築している。
<学校名> <建設年度> <構造> <面積(平方m)> <事業費総額(万円)>
伊予小・中学校 昭和四八 鉄骨平屋建 一五〇 七〇〇
北山崎小学校 〃 四八 鉄骨併用ブロック平屋建 一四〇 七三〇
郡中小学校 〃 五八 鉄筋コンクリート造平屋建 三六一 七、〇〇〇
伊予小・中学校 平成一〇 鉄筋造平家建 八〇 二、七五七
昭和五一年度から、実施されることになった米飯給食については、一九七九(昭和五四)年一一月から月一回、一九八〇(昭和五五)年から週二回実施している。現在、南山崎小学校と前記小・中学校では、給食の施設設備が改善されているため、自校で調理しているが、港南中学校では、業者の委託となっている。
「O - 一五七」を契機として、給食室の完全ドライ化か求められている。また、「食農教育」「地産地消への取り組み」など学校給食に対する期待が益々大きくなっており、今後は、こういった事柄を含めての施設改善が必要となっている。
唐川小学校と南山崎小学校の統合
市教育委員会の統合の理由書によると、唐川小学校は、近年過疎化現象によって、年々児童数が減少し、今後も増加の見込みが薄い、それで、適正規模による学校運営ができにくくなったとある。
一九八一(昭和五六)年五月現在の同校学年別児童数は、第31表のとおりであった。また教員は、校長ほか四人に過ぎなかった。
市の学校教育基本構想として、統合を含めた規模の適正化と教育施設の整備充実を重点施策として取り組んでおり、ちょうど南山崎小学校の改築整備について、国の建築承認を得ていたところであった。唐川小学校を南山崎小学校へ統合することによって、小規模校の持つ問題点の解消はもちろん、近代的な学校施設によって一段と教育効果を上げたいとの方針を立てた。そこで、関係地元民と統合について話し合いを重ね、一九八一(昭和五六)年六月一六日、両校の統合が円満に合意された。一九八二(昭和五七)年三月三一日、唐川小学校は、廃校となった。
唐川小学校の起源は、遠く一八七四(明治七)年、上唐川に勧善小学校、下唐川に明道小学校が生まれ、一八八三(明治一六)年両校を合併して勧明小学校となり、一八九〇(明治二三)年には、南山崎尋常小学校の分教場となったが、一八九二(明治二五)年独立して唐川尋常小学校が創立された。昭和時代の初期大平尋常小学校との統合問題が起こり、一時、大平小学校の分教場となったが、一九三三(昭和八)年再び独立した。児童数は、一九二八(昭和三)年から一九三〇(昭和五)年にかけて高等科を併設していた当時は一八二人が最高で、一九六九(昭和四四)年は九三人であったが、その後過疎の波によってその三分の一にも及ばぬ程に激減した。独立校としての存続は校下住民の悲願で、一九七〇(昭和四五)年には市に要請して鉄筋コンクリート二階建て二八二平方mの校舎が建築された。すべてにおいて学校は、地域の中心的な存在であっただけに、一九八二(昭和五七)年三月二五日の廃校式はあまりにも早い時勢の移り変わりに、参列した校下の人々にとっては感慨無量のものがあったという。
一九八二(昭和五七)年四月一日をもって、唐川小学校と南山崎小学校は統合し、新しい南山崎小学校が発足した。なお、唐川小学校舎は、唐川コミュニティセンターに生まれ変わり、広く社会教育の場として、活用されることになった。
地域に根ざした学校教育の推進
昭和五〇年代になって、「物」の豊かさよりも「心」の豊かさを軸として、幸せと生きがいを求める人間的な触れ合いを基盤とする社会づくりが強く要請されるようになった。
学校教育における地域社会との連携の重要性は、時代の流れとともに大きく取り上げられ、地域社会の構造や子供の生活環境が、大きく変化してきたことに因って、コミュニティにおける学校教育の役割が、改めて見なおされるようになった。
そこで、地域社会と学校のかかわり方について再検討し、地域に開かれた学校教育としての仕組みを整え、教育の内容や場を学校外にも求めるなど、新しいコミュニティー意識を身につけた子供たちの育成を目指して、「地域に根ざした学校教育」の推進が図られるようになった。
学校教育の目標には、①地域社会から学びとる、②地域社会の共同生活に参加する、③公共の福祉に貢献し、社会に役立つ、ということが重視され、地域の願いが十分織り込まれた、特色のある地域社会学校教育の推進を意図し、それが、各学校の教育計画に位置づけられている。
実践においては、①地域社会より教材の素材を求める、②家庭(PTA)との連携、③学校開放(学校施設の多目的利用)、④諸団体との連携(公民館・同和対策協議会・青年団等社会教育諸団体)(愛の一声運動の推進)、⑤連帯感を育てる教育との関係(地域行事への参加、奉仕活動、地域の人々の参加する学校行事)といった内容が、集約され、統合され、精選されて、実践されるようになった。
愛媛の教育では、研究指定校を設けて、研究への推進を活発にした。伊予市においても、昭和五七年度、同五八年度と二か年にわたって、伊予小学校・伊予中学校が、「地域社会学校教育」の研究校として、県教育委員会から指定され、その研究の実践が進められた。
伊予小学校においては、「豊かな心とたくましい実践力を育てる教育」(地域への広がりを求めて)、伊予中学校においては「地域に根ざした教育」(郷土に親しみ、地域に学ぶ活動)をテーマに、一九八三(昭和五八)年一一月一四日、両校合同の研究発表大会を実施し、これまでの研究の成果を発表した。
この研究を更に継続し、伊予小学校、伊予中学校ともに、「地域に根ざした教育」の成果が認められて、愛媛県教育委員会教育長より表彰を受けた。
地域に根ざした教育推進の一環として、一九七八(昭和五三)年に伊予小学校では、児童用の郷土読本として、「わたしたちのふるさと」を編集刊行した。続いて、北山崎小学校は、一九八二(昭和五七)年に「ふるさと北山崎」を、郡中小学校は、一九八四(昭和五九)年に「ふるさと」を完成した。これらの資料が、児童の郷土に対する理解を深め、郷土を愛し、郷土に尽くす心情を培うことに、大きな役割を果たすものと期待される。
また、一九五九(昭和三四)年社会科副読本としていち早く編集された「伊予市のくらし」は、その後数回の改訂を経て、「地域に根ざした教育」への資料として現在も活用されている。
障害児教育の充実と進展
人権・同和教育の浸透とあいまって、障害児教育への理解が深まるとともに、この教育に対する期待が高まり、充実と進展を遂げていった。特殊教育から特別支援教育への動きが起こる中、一九九三(平成五)年には、学校教育法施行規則の改正に伴い、通級の指導教室が認可された。これは、「通常の学級に在籍する軽度の障害がある児童・生徒に対し、通級による指導が必要な場合に、特別な教育課程による教育ができる」とするものである。伊予市でも一九九五(平成七)年に言語の通級指導教室、一九九六(平成八)年には難聴の通級指導教室が設置された。通級による特別の指導は、心身の障害の状態の改善、克服を目的とし、特に必要があるときは、各教科の内容を補充するための指導を行っている。二〇〇三(平成一五)年現在、郡中小学校に言語障害二教室、難聴一教室の通級指導教室が設置され、約四〇人の児童が指導を受けている。この教室に対する保護者の期待は特に大きく、年々希望者が増え、対応に苦慮している。
特殊学級の教育においては、一人ひとりの児童・生徒並びに保護者の願いと教育的ニーズを反映していくために、個別の指導計画の作成が行われ、発達段階に応じた、より専門的な指導が行われるようになった。しかし、特殊学級においては、障害の重度化、多様化に応じた教育の難しさ、更に、少人数学級、特に一人学級の運営の難しさなど、今後、解決しなければならない課題が残されている。二〇〇三(平成一五)年現在、小学校では知的障害三学級、情緒障害二学級、中学校では知的障害一学級、難聴一学級の特殊学級が設置され、一四人の児童・生徒が指導を受けている。この内一人学級の特殊学級は二学級である。
また、二〇〇二(平成一四)年には、特別支援教育の在り方について、文部科学省より最終報告が出され、障害のある子供一人ひとりのニーズに応じたきめ細かな支援を行うための方策が出された。障害のある子供の一生涯にわたる支援体制についてや、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)など、通常の学級で指導が行われている児童・生徒への対応の必要性等が大きな課題として取り上げられるようになった。特にLD、ADHD、高機能自閉症などへの教育については、社会的にも大きくクローズアップされ、障害児教育担当者が支援のセンター的役割を果たし、通常の学級の担任とともに、適切な支援を行っていくことが期待されている。この教育の一環として、伊予市では、平成一三年度から学校支援員制度を導入し、郡中小学校では難聴の児童への支援、伊予小学校では、ADHD、軽度自閉傾向の児童への支援が行われるようになった。支援員は一般公募され、二〇〇三(平成一五)年現在は、教職経験のある二人が指導に当たり、成果を上げている。今後も特別支援教育が充実し、軽度の障害がある児童・生徒へのきめ細かい指導が展開されていくものと思われる。
フッソ洗口
人は、食物を食べないことには生存できない。生涯を通じて自分の歯で生活することは、人類の願いであるといっても過言ではない。「8020」(八〇歳で二〇本の自分の歯)運動が推進されていることは、このことと無縁ではない。その一つの方法として本市では、平成五年度から小中学生を対象にフッソ洗ロを実施している。次の表を見ても分かるように、平成一四年度の永久歯の一人平均う歯数は小学生〇・二五本、中学生〇・七六本と年々減ってきており、その効果が徐々に現れてきている。
<年度> <小一> <小二> <小三> <小四> <小五> <小六> <中一> <中二> <中三>
平成 七 〇・五 一・一 一・四 二・二 二・六 二・〇 二・七 二・九 二・九
〃 一〇 〇・三 〇・七 一・二 一・二 一・七 一・〇 一・七 一・三 一・八
〃 一四 〇・一 〇・一 〇・二 〇・三 〇・四 〇・五 〇・六 〇・八 〇・九
(一人の平均のう歯数調べ)
学校週五日制
学校週五日制は、子どもたちの生活全体を見直し、ゆとりのある生活の中で子ども一人ひとりが自己表現できるよう、一九九二(平成四)年九月から月一回、一九九五(平成七)年四月からは月二回と段階的に実施されてきた。更に一九九六(平成八)年の中央教育審議会答申を受け、学校・家庭・地域社会がそれぞれの役割を明確にし協力しながら、子どもたちにゆとりを確保し、生活体験・社会体験・自然体験など様々な活動の機会を与え、自ら学び自ら考える力や豊かな人間性などの「生きる力」を育むことを趣旨として、平成一四年度から完全学校週五日制が実施された。
その間、完全学校週五日制の円滑な実施が可能になるよう、一九九八(平成一〇)年には、学習指導要領が改訂され、教育内容の厳選や授業時間数の削減がなされた。また、休日における子どもの活動の場は、社会教育や地域の種々の団体によって漸次増加してきた。
今後も学校・家庭・地域社会・教育行政などが連携しながら、子どもたちのゆとりある生活と学力の充実との調和を図っていく必要がある。
学校生活支援員
今日、社会のノーマライゼーションの進展、教育の地方分権の推進など、学校教育を巡る状況の変化をふまえて、障害のある児童生徒一人一人の特別な教育的ニーズに応じた適切な教育が行われることが求められている。
そこで、伊予市では平成一四年度から障害等を有し、学校生活への適応が困難な児童生徒が、豊かな学校生活を過ごせるようにするため、必要に応じて市内の小中学校に学校生活支援員を配置することとした。
二〇〇三(平成一五)年現在、二人の支援員が、郡中小学校と伊予小学校に配置され、本人の自立が図られるよう、個別指導・一斉指導の両面にわたって支援している。また、生活習慣面での指導も場に応じて行われており、学校生活支援員がいることで、本人の心の安定が図られ、楽しい学校生活が送られていることは、保護者も認めているところである。
学校表彰の状況
昭和四九年度以降、市内各小中学校が受けた学校表彰などの状況は、第185表のとおりである。