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伊予市誌

4 図書館と文化団体の活動

 市立図書館の落成 
 一九六六(昭和四一)年以後、市民会館に設置していた市立図書館は、一九七四(昭和四九)年に福祉文化センターの建設に伴い同センターの二階に移転した。その後、図書の充実、利用者の増加によって施設が手狭になるとともに、図書館資料の収集、及び視聴覚関係資料の整備の必要から新しい図書館の建築が望まれるようになり、一九八〇(昭和五五)年、市立図書館の新築落成をみるに至った。建物は、延面積二、○七〇平方mで、総工事費二億九、二四〇万円、鉄筋コンクリート造り三階建てで、一階は市の保健センター、二、三階が図書館となっている。延面積は一、三七七平方mで、二階は事務室・図書館閲覧室・書庫・会議室・親子読書室、三階は会議室・三世代交流室・読書研究室・視聴覚室・資料室・古文書等資料展示室となっている。以後蔵書冊数は年々増加し、その状況は第188表のとおりである。
 市民からの寄贈図書も多いが、特に冊数が多く寄贈者の意志で「文庫」またはこれに準ずるものは、「灘萬文庫」。「ヤマキ文庫」、「フジ文庫」。「玉本文庫」、「伊予ロータリークラブ文庫」がある。
 三階の古文書等展示室には、多くの参考品が展示されている。そのうち重要と見られるものには、①原始・古代は森の扶桑木、猪の窪古墳石棺内出土品、弥生中期銅鉾、弥生式台形土器、踊る埴輪、かわらがはな瓦、柳田古墳の石、②中世は市場尼が谷五輪、③近世は赤坂泉絵図、郡中市陌浜辺図、郡中灘町古図、郡中波戸図、村諸日記、日下伯厳書、手習書、④近代は内藤鳴雪書、武知五友書、武知勇記書、佐伯矩書、湊町でとれた鯨写真、池貫工場図、三島陶器、郡中十錦、江山焼、伊豫陶器、伊豫窯業製作の陶磁器と耐火煉瓦、旧町村郷土読本、旧教科書などがある。

 利用者サービス 
 遠隔地のサービスとして、一九七一(昭和四六)年から移動図書館車が各地区を巡回している。また催しとして、読書感想文・感想画の募集展示(読書週間)や不要図書の交換市の開催、紙芝居の実演(一九八〇(昭和五五)年~)、天体観望を行う親子星空教室の開設(一九八五(昭和六〇)年~)、子ども向き映画の上映会(一九八六(昭和六一)年~)、腹話術の実演(一九八八(昭和六三)年~)、読み聞かせ(二〇〇二(平成一四)年~)などをボランティアと連携しながら開催している。

 情報化の時代 
 一九九六(平成八)年四月から貸出期間の延長(一○~一四日間)にあわせ年齢制限や住所地の制限をなくし、二〇〇〇(平成一二)年六月からは利用時間の延長を開始した。一九九六(平成八)年六月に人権に関する図書を集めた人権コーナーを、同年一〇月に初代全日本川柳協会長仲川幸男氏の協力により川柳コーナーが新設された。また同年一一月には高度情報化社会に対応しいち早くインターネット端末をロビーに置き、二〇〇一(平成一三)年一〇月のタッチパネル式の住民公開端末の設置まで、新聞記事データベースなどのデジタル情報を提供した。二〇〇二(平成一四)年四月から衛星放送を利用した教育情報衛星通信ネットワークシステム(通称エル・ネット)を設置し、完全学校週五日制に対応している。

 美術協会の誕生 
 一九七四(昭和四九)年春のこと、市内の美術愛好者である中井利明・本藤好春・武智伸・向井正孝ら数大が集まって、伊予市美術協会設立についての話し合いを行った。
 教育委員会が全面協力して、会則・細則案づくりと会員募集などが順調に進められ、同年に設立総会が開かれた。活動については、絵画・書道・写真・工芸・彫塑など各部門毎に行っている。展覧会は、市民展の名のもとに創立から昭和五七年度の間に一八回開催し、昭和五八年度以降は伊予市文化協会の市民文化祭の美術展として着実な歩みを続けている。

 歴史文化の会の誕生 
 一九七八(昭和五三)年の秋、市内の郷土史愛好家によって、郷土の歴史や文化を理解し郷土文化の向上発展を図ろうとする会の結成が図られた。数回の会合を経て、一九七九(昭和五四)年一月、新井長一ほか一三人の発起人によって、結成趣意書が配布され、同年三月一〇日「伊予市歴史文化の会」が誕生した。会員数三九〇余人で、会長には玉本善三郎、副会長に堀井恭弌・森岡正雄が就任した。
 現在会活動としては、郷土文化講演会を年二回、歴史文化を語る会を年二回、会員の研修として県内探訪を年一回、県外探訪を年一回、機関紙「伊予市の歴史文化」を年二回発行している。平成一五年度末の会員数は、四四四人である。

 文化協会 
 それぞれ自主的な活動を営んでいた文化団体が、これらの団体の連携と交流によって、香り高い文化のまちづくりに寄与することを目的として、一九八三(昭和五八)年八月伊予市文化協会が結成された。活動としては、春・秋の文化祭、芸能発表会、吟詠大会及び郷土文化講演会など多彩な行事を開催し、伊予市の文化の振興に寄与している。
 二〇〇三(平成一五)年には二〇周年記念式典を開催し、功労者表彰をはじめ記念講演・コンサートなど多くの記念事業を開催した。結成当初約五〇団体であった団体は、現在八二団体一、三三七人の会員となり、熱心に活動をしている。

 放送利用グループの活動 
 昭和四〇年度に始められた「放送をくらしに生かす運動は、数年にわたって計画的な活動を展開したが、その間に、あかつきグループ・すいせんグループ・あやめグループ・しらゆりグループなど、本庁地区を中心に数多くの自主的なグループが生まれた。こうした状況の中で、子どものテレビ視聴の在り方を考えようとする北山崎小学校PTAの母親を中心に中村地区放送利用グループの発足をみたのが、一九六八(昭和四三)年であった。毎月一〇日前後に集まることが通例となり、人数も一〇人前後であったから、誰いうともなく「十日会」の名が生まれた。会員によって「十日会の歌」も作られ、他のグループとは違った特色を持つグループに成長した。
 十日会の特質は、次のようである。

①年齢の多様性 他のグループはほとんど同級生の母親で構成されていたため、「お母さんの勉強室」や、「中学生日記」を見るときには、共通点が多く話も活発で連帯感も強かったが、中学二年後半となり高校入試が近づくと、いつのまにかテレビ視聴の回数が減り、それを境として自然消滅の形をとった。その点、十日会では、年齢差があったためか、「中学生日記」から「青年の主張」「文化シリーズ」などへの移行がスムーズに行われ、いつまでも勉強にこだわらず生涯教育の場としての切り替えが早くできていった。

②職業の多様性 他のグループのほとんどはサラリーマン家庭であったが、中村地区は農村地域であったため、サラリーマン家庭もあれば農業・商業など職業が多様であり、意見もそれぞれ違っていた。そうした中で、遠慮なく話し合い、親しみを増し、何でも話せる雰囲気へと好転していった。

③運営の当番制 番組の選定から、当日の会の持ち方、食事のことまで当番制として責任を持つ。忘年会・新年宴会なども例外なく当番に任せる。こうすることは、責任感とともに協力する態度ができ、会が永続する大きな理由となった。

④指導者の充実 会場が中村地区公民館であるため、ビデオその他の機器を取り扱うのに複数で指導を受けることが多く、その上、隣にある北山崎小学校の先生方の応援が得られやすい点恵まれていた。テレビ視聴外でも、短歌の手ほどきや、記念碑・句碑などの拓本取りなど小学校の先生方の指導を受けることができた。

⑤プログラムの柔軟性 一九七〇(昭和四五)年頃から生涯教育論が、一九七五(昭和五〇)年頃からコミュニティー論が唱えられたが、いち早くその考え方を取り入れ、幅広い考え方、郷土重視の研究などを考え、交流・見学などのプログラムを多く取り入れた。NHK見学、県議会傍聴、知事公舎見学、大洲中央青年の家、宇和町の文化の里、開明学校見学、西山興隆寺での中萩放送利用グループとの交流、東京全国大会参加と「こまどりグループ」との交流(東京)など多彩なプログラムを消化してきた。

 一九八一(昭和五六)年三月二二日、「十日会」は、多年の活動実績が認められてNHKから表彰された。この「十日会」のあとに続くグループの誕生が関係者から待望されていたが、この年九月あすなろグループが、中小学校二年生PTA有志による「お母さんの勉強室」視聴グループとして発足した。毎月第二水曜日の午前中公民館に集合し、一〇数人で楽しいテレビ視聴学習を始めた。

第188表 私立図書館の蔵書

第188表 私立図書館の蔵書