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伊予市誌

6 社会体育の振興

 市民運動会の開催 
 一九五九(昭和三四)年に伊予市民の一体感を養い市民の参加する行事として、市民体育大会の開催が計画された。伊予市体育協会の主催で、青年団や婦人会も参加した。会場は五色浜グラウンドで、内容は団体競争・遊戯や踊りなどであった。翌年は大会に魅力を持たせるため、愛媛出身の体操選手 河野昭氏を招いて、鉄棒の実演を披露してもらった。第三回にはトランポリンの実演を行った。しかし、その後も市民の関心は薄く、全地域の足並みが揃わず中断された。
 一九七七(昭和五二)年区長協議会の協力支援と体育協会の技術指導により、心のふれあう温かいまち、スポーツに親しむ健康なまちづくりを目指して、第一回市民運動会が港南中学校グラウンドで開催された。第二回からは、会場を五色浜グラウンドに移し開催することとなった。年々回を重ねて開催していたが一九九四(平成六)年大渇水のため中止した。翌一九九五(平成七)年第一九回からは、しおさい公園運動施設多目的グラウンドに会場を移し開催した。
 平成九年度からは、伊予市全体で開催すると各地区に割り振られる選手数が非常に少なくなりより大勢の市民に参加してもらうには分散化した方が良いとの理由で、各小学校区ごとで開催することとなり、全体で約四、〇〇〇人の市民が参加しスポーツ意識の高揚とコミュニティーづくりに大きな役割を果たしている。

 伊予市体育協会の活動 
 伊予市体育協会は「市民の体育向上と融和を図り、スポーツ精神の啓発、アマチュアスポーツの健全な普及発達を期する」という目的で、一九六七(昭和四二)年三月五日に発足した。以後、精力的に活動し、「市民運動会及び各種スポーツ大会などを企画運営するなど、各部の市民大会を実施し、市民のスポーツへの意欲高進と底辺の拡大に努めた」ことが認められ、一九七八(昭和五三)年一〇月一〇日、社会体育優良団体として文部大臣賞を受賞した。
 体育協会とは別に、「スポーツを通して、コミュニティー活動の一環として地域住民の健康増進及び連帯意識の高揚を図ること」を目的に、一九七一(昭和四六)年頃南山崎校区に南山崎体育協会が発足、続いて、一九七七(昭和五二)年伊予校区に南伊予体育会、一九七九(昭和五四)年北山崎校区に北山崎体育会、一九八一(昭和五六)年郡中校区に郡中体育会が発足した。これら四校区の体育会が連合し、一九八三(昭和五八)年八月一二日伊予市体育連合会を結成し、広報区対抗球技大会・伊予市駅伝大会などを実施した。
 この結果、市内にスポーツ団体が二つあることとなったため、一本化の協議がなされ、一九八六(昭和六一)年四月二二日、伊予市体育協会と伊予市体育連合会が合併し、「スポーツの振興を通して、市民の体育向上と連帯、アマチュアスポーツの健全な普及発展を図り、スポーツに親しむ健康なまちづくり」を目的とした新しい伊予市体育協会が発足した。
 伊予市体育協会の主催事業として、しおさいクリテリウム駅伝大会、伊予市駅伝大会、広報区対抗球技大会を開催するとともに、平成一三年度からは、ビーチバレーの普及に力を入れるため普及委員会を設置し、毎年五月~九月まで毎月一回HIMEカップビーチバレー大会を開催するなどしている。
 平成一五年度加盟団体は、野球部、相撲部、陸上部、卓球部、バレーボール部、ソフトボール部、ソフトテニス部、普及指導部、バドミントン部、レクバレー部、テニス協会、ゲートボール部、少年スポーツ団体一〇団体(サッカー一団体、少年剣道一団体、少年柔道二団体、少年ソフトボール三団体、ミニバスケットボール三団体)、南山崎体育協会、北山崎体育会、郡中体育会、南伊予体育会の二六団体であり、それぞれの加盟団体ごとに各種市民大会などを開催したり、県大会に選手を派遣するなど精力的に活動している。

 夜間照明施設 
 社会体育の振興に伴い、本市でも勤労者青壮年層のスポーツ熱が高まり、屋内スポーツと同時にソフトボールなどのような屋外スポーツが夜間も実施できるように照明施設の早期設置が望まれ、昭和五二年度に、待望の夜間照明が伊予小学校グラウンドに完成した。以後、順次市内各地区の学校に設置された。設置状況は、第191表のとおりである。

第191表 夜間照明施設の設置状況

第191表 夜間照明施設の設置状況